―第60試合 団地の怪―
第468話「とある福祉事業」
慣れた仕事ではあるが、今回は何故だか嫌な胸騒ぎがしていた。
普段なら別にどうということもない。
依頼対象の部屋に押し込んで中から引き摺りだすだけの簡単な仕事だからだ。
半分は抵抗するが、半分は無気力で終わる。
抵抗されたとしても、長らく運動もしていない程度の人間なのだから簡単に制圧できる。
なんといっても庄司昇はつい一年前まで現役の警察官であったのだ。
柔道も剣道も段持ちであり、ガタイも十分に巨漢といえる。
依頼対象が凶器を構えていても畏れることはない。
だが、そんな彼だからこそ湧き上がる不安が気になって仕方なかった。
「……どうしたんすか、庄司さん?」
同僚の山田が心配なのか声を掛けてきた。
怖いもの知らずで強面の庄司が顰め面をしていたら当然かもしれない。
山田は元々警備会社の出身で、大学時代はボクシングをやっていた猛者ではあるのだが。
「なんでもねえ。昨日の酒が残っているだけだ」
「なら良かったです。庄司さんがたかだかヒッキー相手にぶるったりする訳ないとは思ってましたけど」
「てめえ、なめた口を叩いてんじゃねえぞ。誰に向かって調子くれてんだ?」
「鬼の刑事部長でしょ?」
若いだけでなく腕っ節に自信があるからか、山田は庄司を恐れず平気でイジってくる。
注意するだけ無駄なので諦めていた。
もっとも、この仕事においてはこの傍若無人さは武器になる。
人の痛みに無神経というのは美徳にはならないが武器にはなるからだ。
「ヒキコモリだからといって甘く見んな。怪我するぞ」
「まさか。あんな生産性のないクズどもが何人かかってきたって屁でもありません。今までだってまともに抵抗できた奴なんていないでしょ。一発殴るだけで涙目になって黙っちまうような連中ばかりなんですから」
「殴るな。あと、そういう発言を依頼人に聞かれないようにしろよ。少なくとも俺たちはヒキコモリの健全な更生を支援するNPO法人の社員なんだから」
「へいへい。元警察官は建前が大切なんですねー」
いつまでも山田の相手をしていられないと、社用車のハイエースから降りる。
幾つかの道具箱とリュックサックをもって、そのまま団地の一棟に踏み込んだ。
その瞬間、またも不安が胸をよぎったが、頭を振って無視した。
山田ではないが、いつまでもこだわっていては先に進めない。
郵便受けを見た。
四階建ての建物で、左右に一部屋ずつ設置されているからか、部屋と同数の八つのポストがついていた。
「なんだ?」
八つのポストのうち、名札が貼ってあるのが一つ。
あとは誰が住んでいるかもわからない。
最近は表札どころかポストに名前をつけるのも嫌がられているということだが、いくらなんでもこれでは郵便配達が困るだろう。
「うわっ、庄司さん。ここの棟ってもしかして、402号室以外使われていないんじゃないっすか?」
「……マジか」
意外に鋭い山田の指摘に対して、庄司が確認をとるためすべてのポストを開けてみた。
勝手に投入されたらしいチラシだけしか入っていない。
しかも、チラシも同じものばかりだ。
つまり、管理人なりが回収しない限り、この棟の誰も持って帰ったりはしていないということだ。
402号室以外、使われていないことの証左だろう。
「俺らの依頼対象って、402で間違いないんすよね」
「まあな」
「なるほどね。誰もいない団地の棟だから、普通よりもさらに人目を気にしないから十年もヒキコモリしてられんのか。まともならさすがに近所が気になるもんな」
「しかし、妙だな。この団地、わりかし駅から近いのに一棟丸々人がいないなんてことあるもんか?」
「あっちの端の方とか、
確かに他の棟には人の気配がある。
ただ、妙なことに何部屋かの窓にどうみても覗き見防止用の板が貼られているということだった。
庄司には、まるでこっちの棟を見ないで済ませたいという風にも思えた。
「まあいい。依頼人が変に勘付く前にさっさと対象を施設にまで連れていくぞ」
「さっきのババアですか? シングルマザーの娘が産んだガキの面倒なんぞみたくないってのがプンプンしていたじゃないっすか。こっちが多少乱暴に扱ったって気にしませんよ。それにまあ、こんな不気味な孫なら会いたいとも思わないでしょうがね」
山田が手にしているのは、さっき契約した依頼人が「孫の写真」として渡してきたスナップ写真だった。
とはいっても、きちんとしたものではなく誰かが盗み撮ったものらしく、判別しづらいものであった。
そこに映っているのは、背が高く肩幅があるガリガリの少年だった。
髪はざんぎりで、妙に耳が大きく尖っているようにみえる。
何より、手が異常に長くみえ、とてもバランスの悪い体格をしていた。
栄養が足りていないのか、それとも筋肉が未発達なのか、ある意味では幽鬼かゾンビのようだ。
祖母に当たるものの説明では十七歳ということだ。
「……とても十七には思えんな」
「小学校でイジメられて、それから中学からヒッキーだそうです。いやいや、こんなもん良く母親も育ててたなあ」
「母親は妙に美人だがな」
同時に渡されていた、二か月前に死んだという依頼人の娘の写真もあった。
神が真っ白でカツラのようにも思えたが、どうも先天性のアルビノだったらしい。
アルビノとは先天的にメラニンが欠乏していて、黒い部分が少なく白い肌・白い髪をもって産まれてくる生物のことを言う。
生物的には弱い個体なのであるが、自然界を含め、かなり多く誕生することが確認されている。
この母親はアルビノだけでなく、もともと顔だちの整った美形であり、やや顎が細すぎることを除けば絶世の美人といっても過言ではなかった。
「でも、息子たちはこれでしょ。前世で何をしてきたんだという感じですよ」
「―――結局、弟の方の写真はないのか?」
「双子って話ですから、兄貴と同じ面なんじゃないすか」
「依頼人も娘からはそっくりな顔をした双子が産まれたとは聞いていたな。まあ、兄弟二人仲良く引きこもっているんだから、一緒に追い出せばいいか」
彼らの職業は、NPO法人の社員である。
業務は「引きこもりを続ける青年の更生と支援」であり、主な活動は依頼を受けて引きこもりの対象を部屋から連れ出し、自分たちの施設に収容して社会生活への慣れと自立を手助けすることであった。
その代わりにかなりの金額を対価としてもらい、法人の運営費に回すことになっている。
ただし、そのやり方は―――
「俺が鍵を開けたら、すぐに閂かませ。チェーンがついていたらクリッパでぶった切れ。委任状もとってあるしな」
「いつものようにでしょ。開けたら、庄司さんが突っ込んで、とりあえずどっちかを捕まえてください。俺は双子を逃がさないようにドアを塞ぎます」
「あまり痛めつけんなよ。いちお、依頼対象だ」
「へいへい。でも、ヒッキーってキモいんですぐ手が出ちまうんです」
強引で力任せ、暴力すら好んで振るうという乱暴なものであった。
当然、更正施設もただの監禁場所のようになる。
殴る蹴るも日常的に行う。
そして、依頼人に対して莫大な対価を要求するのが庄司達の会社のやり方だった。
もと警視庁の警部であった社長が立ち上げた会社なので社会的信頼があるからか、依頼人は途切れることがないが、ほとんど詐欺か恐喝まがいの犯罪スレスレだと一部では問題になっていた。
警察をある事情で追い出された庄司には相応しい職場であると言えた。
「―――じゃあ、いくぞ」
「へいへい」
二人の先天的暴力者は、福祉という美名のもと、団地の階段を昇り始めた。
いつも通りに虚弱なひきこもりを相手にするだけの簡単な作業だと思っていた。
だが、そうはいかなかった。
彼らが向かう先にいるものは―――闇そのものであったからだ……
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