第462話「あっちへ走れ、森の道を」



 驚いたことにブナやシラカバの林の中は、思ったよりも荒らされていなかった。

 巨大な〈偽汽車〉が踏み入っていった跡なのであるから、木々が薙ぎ倒されているものと想像していたのだが、まったくもって普通のままだった。

 このあたりの林は高い草が生えておらず、土が剥き出しの部分も多いのだが、そこに誰かが通った跡のようなものは見当たらなかった。

 どういうことか、と〈犰〉の背中で振り向くと、玄蕃丞キツネがいた。


『升麻京一。汝は〈偽汽車〉が本当に汽車になる幻法だとでも思っておったのか?』

「そんなことはないけど」

『あたりまえじゃ。この世の理には質量は一定のまま不動だというものがある。どんなにうまく化けたとしても、通常ならば所詮タヌキがあれほど大きなものになれるはずがなかろう。あれはだけじゃ』

「ってことは?」

『妾たちの目にどう映ろうが、汽車そのものが暴走した訳ではなく一匹のタヌキが駆けておるだけなのだ』

「でも、八ッ山のタヌキは違うという話だけど……」


 以前、こぶしさんに聞いた話を思い出した。

 幻法は質量保存の法則も覆すと。

 玄蕃丞がそれを肯定する。


八ッ山あやつは特別じゃ。タヌキどもに江戸前の五尾などと持て囃されておるのもあやつだけが本物の汽車にまで変化できるからじゃ』


 そうか、結局は八ッ山を除けば〈偽汽車〉というものは幻に過ぎないということか。

 ちょっとだけ僕は八ッ山のことを見直した。

 でも、見た目だけは完璧に大きな鉄の機械そのものだ。

 誰かに目撃されたら言い訳が聞かない幻である。

 一刻も早く止めないと。

 あと、もう一つ。


「でも、あれに轢かれたら死ぬのは確かなんだね?」

『うむ。幻とはいえ、妾らキツネとタヌキの幻法はほぼ完ぺきよ。ぶつかってしまえば、例え幻とわかっていたとしても心が耐えきれずにと認めてしまう。それでぺちゃんこじゃ。〈偽汽車〉同士ならば同等のものがぶつかり合うということで抑えられるのじゃがな』

「わかった」


 つまり、僕たちでもあれに轢かれないようにしないとならない。

 当然何も知らない人を巻き込む訳にはいかないのだから。


『行け、寿村の新左衛門! 横手ヶ崎のお夏! 田川橋の与三郎! 沢尻のさゑん!』


 玄蕃丞の脇を走っていた四匹のキツネが煙とともに変化して、〈偽汽車〉ではなく、色とりどりのオートバイになって走り出した。

 やや尖ったデザインばかりのせいで、このキツネたちがKAWASAKI推しらしいことがわかる。

 次々とエンジンを吹かして先行していくオートバイ=キツネたちについていく。


『あやつらがなんとか〈偽汽車〉に追いついて足止めするじゃろ。妾たちはその後にあの汽車に飛び移ってなんとかして目を覚まさせよう。まったく色ボケしたタヌキはいい迷惑ぞ。そこな淫乱兎ものお』

『ほっといて』

「突っかからないでよ、玄蕃丞。〈犰〉だって反省しているんだから」

なれも色香に迷ったか?』

「それはないよ。僕、けっこう好きな子がいるから」

『ならばよし。汝も〈犰〉とともに行くがよいぞ。そのウサギもまたケモノじゃ』


 僕を背負っていた〈犰〉の速度が上がった。

 前に出た右足が地面に触れるか触れないかのところでさらに左足が前に出るという異常な歩法で、夜の林の中を疾走する。

 バニーガール姿なので緊張に欠けるが、間違いなく〈犰〉も妖怪なのだ。

 しかも、あの御子内さんを足技だけで破りかけた強い妖魅なのでもある。

 僕を背負っているというのに飛ぶように迅い。

 それだけではない。

 僕らの後方を照らす一条の光があった。

 これは覚えている。

 かつて聖地・後楽園ホールでレイさんに目くらましをしようとしたサーチライトであった。


「八ッ山!!」

『シュポオオオーーーーーーーー!!』


 すぐ後ろに巨大な〈偽汽車〉が迫る。

 だが、その汽車は幻らしく林の木々をすり抜けてくる。

 八ッ山のタヌキの〈偽汽車〉は本物の質量を備えているという話はどうなったのだろう。

 玄蕃丞のはったりだったのか。

 だが、それを否定したのは〈犰〉だった。


『八ッ山、努力して幻法の力をコントロールできるようになったんだヨ☆ 前にレイって人間にやられてから修業していたんだって』

「―――そうなんだ」


 後楽園ホールでの戦いは僕とタヌキたちが仲良くなってしまった原因でもある。

 でも、あの五対五の戦いの興奮は今でも忘れられない。

 あれから御子内さんたちも強くなったが、分福茶釜や八ッ山もまた強くなろうと努力していたのだ。

 人であっても妖怪であっても、やはり前へ向くというのは大切なことなのだろう。


兄弟きょーでー!!』

「分福茶釜もか!!」

『おうよ! あいつは大事な同胞だからな!! キツネや兄弟きょーでーばかりに任せてられっかよ!!』

「わかった! 一緒に追おう。絶対に人に見られないように! あと人に被害を出させないようにしてくれよ!!」

『あたりきしゃりきのコンコンチキよ!!』

『シュポオオオーーーーーーーー!!』

 

 随分と先行させてしまった暴走する〈偽汽車〉に追いつけるのは、もう僕と〈犰〉、四匹のキツネバイク、そして二匹のタヌキたちだけのようだった。

 他は玄蕃丞でさえもう間に合いそうもない。

 しかし、これだけいれば十分だろう。

 キツネたちはわからないが、僕には頼りになる仲間たちがいるのだ。

 

「行けぇぇぇ!! 〈犰〉!!」

『御意♡!!』


 僕たちは一気に加速して、少し先を走る〈偽汽車〉の尻を捕まえた。

 少し先には崖らしいものと、少し拓けた場所、そして誰でもわかる自動車道路のガードレールが見えた。

 しかも、さらに遠くには明らかに人の集落と思しき灯りが浮かんでいる。

 あそこに辿り着く前に暴走を止めなければ。

〈偽汽車〉を囲むように並走するバイクたちが見えたが、どうも手を拱いているようだ。

 玄蕃丞のいうとおりに、一匹ぐらい変化を解いて乗り込めばいいのに。

 だが、ああいう下級の妖怪は指示を出すものがいないと途端に頭の回転が悪くなることは知っている。


「キツネ!! 一匹でいい、僕と〈犰〉を乗せてあいつに身体を寄せろ!!」


 抵抗されると思ったが、意外と素直に一匹のバイクが乗せてくれたので、〈犰〉がアクセルをフカして横づけに成功した。

 おかげで〈犰〉が走るよりも安定できた。

 こうして多分に危険ながら僕らは手を伸ばした。

 迫りくる木々を避けながらなのでかなり不安定だがそれしか道はない。

 僕は手にいつも懐に入れている護符を取り出して、それを思いっきり〈偽汽車〉に貼り付ける。

 破邪の護符の効果があったのか、


『ニュホオオオオオオ!!』


 と、汽笛とは絶対に違う悲鳴が轟く。

 タヌキ本体にダメージを与えたようだった。


「よし、もう一枚!」


 もう一度手を伸ばしたとき、運悪く跳ね返った木の枝が僕の胸をはたいた。

 

(あっ)


 何を思う間もなく、僕は〈犰〉の背中から後方へと投げ出されてしまった……


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