第461話「野生連合軍」


〈偽汽車相撲〉の土俵となっていた線路から脱輪し、広々とした野原さえ駆け抜けて暴走するタヌキはブナやシラカバが中心の林の中に飛び込んでいった。

 玄蕃丞の予感があたるのならば、彼が進行していくずっと先にはおそらく人家がある。

 そこに〈偽汽車〉が突っ込めばどんな混乱が生じるかしれたものではない。

 最悪を想定した場合、もし人間に被害がでれば、〈社務所〉とタヌキ・キツネとの関係にも悪い影響がでかねないかもしれないのだ。

 おそらく妙義さんがこの祭りのお目付役についているのは、人間側があえてどんちゃん騒ぎを見逃しているという意味もあるのだろう。

 いくら汽車が好きだといっても、これだけの妖怪が移動して一か所に集まったら何が起きるか普通は予期できない。

 ただ、無理に弾圧したりするのは〈社務所〉の方針ではない。

 あそこは西の仏凶徒とは違って、人に害する妖魅のみを討ち滅ぼす機関なのだから。

 だからこそ、平成の世の中では妖怪たちも勝手に好き放題にはせず、こうやってなんらかの根回しをすることで共存できるように計っているらしい。

 以前のハクビシン退治についても妖狸族は〈社務所〉と連絡を取り合ったりしていたしね。

 この妖怪たちの大運動会めいた宴だって、彼らにとっては珍しく息抜きのできる場所なのかもしれないから、なんとしてでも開催したいものなのだろう。

 現代の世界というものは闇に棲むものたちにとっても窮屈な世界のようだった。

 だから、この宴を守る意図もあって、タヌキたちだけでなくキツネまで〈偽汽車〉を追って走り出していた。

 百匹近い動物妖怪が一斉に駆け出したのだ。

 打ち合わせもなしに。

 何故か熱くなる光景だった。


『止めるのじゃ! ニンゲンに介入の口実を与えてはならぬ!』

 

 玄蕃丞の琴のように澄んだ声での冷静沈着な命令がくだった。

 その隣で分福茶釜が汚く唾を飛ばしながらがなりたてる。


『てめえら、同胞を止めろ!』

『えいさ!』

『キツネどもに後れを後れをとるんじゃねえぞ!』

『ほいさ!』


 タヌキたちもこれまでの間抜けさが嘘のように精悍に動きだす。

 普段はどうあれ、江戸前の妖狸族はいざ鎌倉となったら鍛え抜かれた精鋭と化す一族でもあるのだ。

 東京の闇に君臨する一派であるという看板に偽りはない。


「……でもどうしてあのタヌキは暴走したんだろう?」


 ふと口に出したら、すぐ後ろから声がした。


『ごめん、京ちゃん。あたしのせいだ』


 バツの悪そうな、恥ずかしそうな殊勝な顔つきで手を小さく上げたのは〈犰〉だった。

 バニーガール姿のウサギの妖怪が珍しく縮まっていた。

 そういえば分福茶釜に秘策があるとかいっていたっけ?

 もしかしてそのせいなのか。


「君はいったい何をしたの?」

『ごめん……』

「いい、許すよ。僕は君が悪意をもってタヌキたちを陥れた場合でない限り、許してあげる。今の〈犰〉がそういうことをするはずがないけど」


 そうすると、〈犰〉はぱっと顔を上げて、


『ありがと、京ちゃん!』

「調子いいことすると、前言撤回するよ。で、何をやらかしたのさ?」


〈犰〉は反省しつつもそういう性分なのか、ちょっとエロく舌を舐めて、


『次の取り組みに勝てるようにオマジナイをしてあげるって耳に接吻したの❤』


 ―――あー、わかりすぎるほどにわかったよ。

 要するに、色仕掛けでタヌキを昂ぶらせてドーピングしようとしたらやりすぎてしまったと。

 ウサギの色香は、タヌキにとっては毒のように浸透するということはわかりきっていたはずなのに、迂闊なことをしてくれたものだ。


(いや、違うか……)


〈犰〉は御子内さんに敗れて以来、タヌキとの交流を増やし、分福茶釜や八ッ山と僕を遊びに誘うほどに仲良くなった。

 タヌキに対して持っていた優越的意識というものを捨てたからだけれど、逆に双方にとって適度なラインというものを見失ってしまったのだ。

 だから、タヌキたちを勝たせようとしたことが反対に作用してしまい、自分の色香がどれだけ強い効力を有するものか失念した。

 その魔力によってあの〈偽汽車〉に化けていたタヌキは暴走してしまったのだ。


「……童貞には刺激が強すぎたのね」


 と、いつのまにか車椅子で追いついてきていた妙義さんが呆れたように呟いた。


『そう。あのタヌキ、童貞だったの。タヌキの童貞ってあんなになるんだ。ニンゲンの童貞の場合は逆に自制心があるのに、京ちゃんみたいに。ホント、童貞って怖いネ☆』

「悪いけど、そんなに強調しないで。僕まで哀しくなるから」

『でも、あいつが童貞だってことはマジで知らなかったの。ごめんね。テヘ』

「あ、升麻京一さんは童貞だったのですか。なら、うちの後輩たちも安心ですね。一応、あの子たちも清らかな巫女なので」


 ―――心底哀しくなるから追い打ちかけないで。

 そもそも僕が童貞で何が悪いっていうのさ。

 物凄くへこたれそうになった。

 しかし、これであの暴走の原因はわかった。

 変な術とか呪いとかでないのなら、最悪にならないように止めればいいだけのことだ。


「よし、〈犰〉。僕を運んで、分福茶釜たちと合流しよう。なんとか、あの〈偽汽車〉が人に見られて最悪の事態になることを防がないと、このお祭り自体の存続が危うい」

『うん、あの童貞タヌキを止めようね☆』


 ……もう、童貞は繰り返さなくていいから。


〈犰〉は妖怪特有の膂力で僕を抱え上げると、まるで風のように走り出した。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る