第459話「車椅子の巫女」



 日本に鉄道が開通したのは、明治五年の新宿から横浜の間である。

 九月十二日の開業式には明治天皇まで行幸し、勅語を賜られたというぐらい大変な賑わいと喧騒であったという。

 

「今般、我が国の鉄道の首線工竣を告げ、朕、自ら開行しその便利を欣ふ」


 東京の新聞社の記事によると、人民が貴賤問わず数万も雲集したと伝えている。

 ちなみにこの時の汽車賃は高いもので片道一円五十銭、安くて五十銭だったというが、切符は飛ぶように売れたという。

 それまで交通機関といえば馬に乗るか、駕籠に乗るしかなかった時代に新たな道が加わるということで、国中がどれだけ期待していたのかがわかる。

 もっとも、反感を覚えるものは確かにいて、馬の名手が汽車に挑んだが、彼が横浜から品川に辿り着く間に三台に追い越されたというエピソードなどもある。

 古くて遅れた時代の文化といっては語弊があるが、それらに関わるものにとって文明開化とはやはり遠巻きにしたくなるものでもあったのだ。

 そして、それは人間だけではない。

 鉄道の開通とともにさまざまなトラブルが始まっていたのだ。

 柳田国男が書いた「狸とデモノロジー」という文章によれば、開通してしばらくすると〈偽汽車〉という言葉が発生していたらしい。

 狐狸の類いが、汽車に化けて運転手を悩ませ、挙句の果てには轢死する事件が多発したのだ。

 明治の文明開化の灯りの中で、徐々に棲家を追われざるをえない妖魅たちにとって汽笛を轟かせ大地を闊歩する汽車というものは、自分たちを迫害する象徴にみえていたのかもしれない。

 自分たちを脅かすものと対峙するために立ち上がり、鋼鉄の馬の前に次々と討ち死にしていったのが明治から大正に至るまでの滑稽で、少し哀しい狐狸たちの物語なのである……



         ◇◆◇


「君たちは、汽車を恨んでいたんじゃないの?」


 タヌキ軍とキツネ軍の二派に別れた動物妖怪たちを、線路で結んだ中央付近に僕と〈犰〉、そして両軍の代表である玄蕃丞げんばのじょうと分福茶釜がいた。

 二匹の妖怪は互いに睨みあいつつ、僕に〈偽汽車相撲〉という競技の説明をした。

 要するに、合図とともに二台の妖怪が化けた〈偽汽車〉がぶつかりあい、より強い方が勝つというシンプルなルールで、幻法が解けるか脱輪すると負けというものらしい。

 審判いらないじゃん、とも思うけれども一応中立の立場の人間が立つことでどちらからの不満や物言いを防ぐ仕組みなのだそうだ。

 それで選ばれたのが僕ということか。


『汝はここ最近では名の聞こえた人の仔じゃからの』

「……まあいいけど」

『今宵はD51の復活も兼ねて久方ぶりの開催であり、以前、頼んだ巫女にもきてもらったのじゃがな』

「―――この姿では妖魅の戯れには付き合えませんよ」

「えっ」


 ギコギコと音がして一つの影がやってきた。

 ひと目でわかるシルエットは車椅子のものであった。

 そこに乗っているのは白衣と緋袴を着た巫女装束の女性だった。

 かなり大人の雰囲気があって、きっと二十代半ばから後半ぐらい。

 ちょっと疲れた感じがするけれど神秘的な美貌の持ち主で、すぐに素性がわかった。


『妙義か。身体の具合はよいのか。無理してこんでも良かったのじゃぞ』

「そうはいかないわ。妖怪の宴なんて何が起きるわからないもの。北関東を守護する自分が見張らないとね」

『ふん、お節介め。では、キョーマに足りない説明をしておいてくれ。汝は慣れたものだろう』

「わかったわ、玄蕃丞」


 玄蕃丞は、分福茶釜たちと打ち合わせがあるのが手を振って離れていった。

 意外と気さくな妖怪なのだ。

 だけど、いかに親しげとはいえ妖怪たちと対等に渡り合うこの巫女さんは―――


「〈社務所〉の……」

「はい。初めまして、升麻殿。自分はほとんど現役からは引退していますが、とりあえず群馬を管轄とする媛巫女で、姫貴きき妙義みょうぎと申します」


 色々な人たちにあったけれど車椅子の巫女というのは初めてだ。

 どこか怪我をしているのだろうか。

 そういえば群馬にも担当の巫女さんがいるということは聞いていたけれど、この人のことなのだろうか。

 以前、てんちゃんが群馬の先輩は出不精だとかいっていたけれど、車椅子では遠出しづらいということだったのかも。


姫貴ききさん、ですか? 初めまして升麻です」

「あなたのことは田舎に引っ込んでいる自分でさえ、よく聞き及んでおります。こぶしがよく情報をくれますしね」


 媛巫女の統括をしている不知火こぶしさんを呼び捨てるということは、対等かそれに匹敵する立場なのだろう。

 つまりは逆らってはいけない人だ。


「あと、妙義でいいですよ。群馬三山の一角からとられた自分の名前ですから」

「はい、よろしくお願いします」


 御子内さんたちの先輩らしからぬ物腰の柔らかな人だ。

 ていうか、普通の巫女さんっぽい。

 毒され過ぎかもしれないけれど、最近の僕は巫女というものに相当の先入観を抱いていて、こうやってたまに普通の雰囲気の人に出会うと逆に戸惑ってしまうようになった。

 ほら、蒙古タンメン中本ばかり食べていると、日高屋のラーメンでさえ新鮮に感じてしまうようなものだ。

 ここで二郎をださないのは、ファン層の濃さを考えてのことである。

 だからというわけではないが、僕は姫貴―――妙義さんのぽわぽわしたところが気になって仕方なかった。

 すぐ傍にいる雌妖怪二体がともにキツすぎるというのもあったけれど。


「〈社務所〉の人がどうしてここに?」

秩父ここで妖怪たちがどんちゃん騒ぎをするのはよくあることなのです。特に狐狸たちは鉄道―――汽車が大好きですから」

「そうみたいですね。でも、前に聞いた話ではタヌキとかってできたばかりの汽車につっかかって大勢死んだらしいから今でも恨んでいるものだとばかり思っていましたけど」


 妙義さんはふふとお淑やかに笑った。


「明治と大正まではそうだったみたいです。でも、昭和になってようやく鉄道というものがなんたるか理解したら、今度はタヌキたちは手のひらを返すように鉄道ファンになっていったみたいですよ」

「まさか」

「そのまさかです。あそこの玄蕃丞にしても、祖父に当たる同名の玄蕃丞は篠ノ井線の開通時に轢かれて死んでいますが、今となっては鉄道に挑んだ祖父は英雄であるとして誇りに思っています。同時に祖父のライバルであった鉄道をずっと愛しているんですよ。なんというか、さすがは動物型の妖魅といいますか、変な話ですね」


 なるほど、さらに好きが高じて、狐狸の妖怪たちはこんなところで集まっては汽車に変化して踊ったり唄ったり相撲を取ったりしている訳か。

 こんなときは妖怪の世界も楽しそうだなと思ってしまったりする。


「……妙義さんはもしかして」

「あなたと一緒です。〈偽汽車相撲〉というあの対決の行司役ですよ。もう三回ぐらいやっていますが、今回は自分がこの姿なので、あなたを招くことにしたんでしょうね。車椅子ではちょっと危ないですから。あなたの場合はタヌキに化かされたんですよ、きっと」

「やっぱりタヌキ汁にしてやる」

「ふふふ。でも、ホント珍しいです」

「何がですか?」

「自分とはもう知らない顔でもないのですが、どうしても妖怪たちはこちらとは一線を引いてきます。自分が退魔巫女であることからすると、対峙される側の彼らからすれば敵も同然ですからあたりまえなんですけど」

「そう―――なんですか」

「でも、不思議。あなたは違う。タヌキともキツネとも、あの〈犰〉という本来は獰猛なウサギの妖怪とも友達のようです。いくら、彼らが純粋な妖魅と違って人に近いとはいっても、あんな風に懐くなんてありえません」

「いや、そうでもないですよ。結局、ある程度思考が似通っていれば友達にはなれるようですし」


 とはいっても、ウサギとキツネはともかくタヌキとはあまり親しくなりたくない。

 臭いし。


「最も古い呪術師は、呪文も儀式も供物も使わずに神や精霊と契約をしたといいます。どうやってだと思いますか」


 僕は呪術も神通力もないからわからない。

 巫女と比べたら知識だって足りていない。

 だから首を振った。

 本当に何もわからないのだから。


「彼らはその態度のみで、人ならざるもの、目に映らないもの、手の届かないものを感服させたのです。契約を求めるのでも、強制するのでもなく、妖魅の方から友誼や従属を願ったのです。……自分が思うに、人の持つもっとも恐ろしい能力はそこです」

「なんですか、それは?」

「生き様だけで他者を惚れさせる力ですよ。力でも、弁舌でも、思想でもなく、ただただどうやって生きるかだけ。この人についていったら破滅する。この人に惚れたら死んでしまう。でも、共に歩きたい。そう思わせてしまうのが、最古の呪術師だったのです」


 なんというか、はた迷惑なタイプだよね。

 無意識のカリスマというか。

 そんなのが傍にいたら、きっと平穏な生活はできないに違いない。


「でも、なんで今その話を?」

「さあ」


 煙に巻かれたと思ったとき、シュポオオオーーーーーーーーと汽笛の音が左右から鳴った。

 完全に準備が整ったのだ。

〈偽汽車相撲〉が始まる。

 行司役なのでやりたくはないけれど準備をしないと。


「じゃあ、いってきます」


 僕は渡されていた行司用の軍配を手にして、中央に向けて走り出した。


「―――納得したわ、こぶし。ただの正しい態度だけで、数多の妖怪と友誼を結び、〈五娘明王〉を奮い立たせ、軋みをあげる世界の条理を指一本だけで支えられる子供がいるんだって」


 妙義さんは呟いた。


「何の変哲もない民草の坩堝から、堅苦しい理屈も理論も技術も使わずに産まれいでる善きこころ。―――なるほど、〈神釼・大元帥明王法しんけんだいげんすいみょうおうほう〉の究極はここに極まれるのですね」


 とても大事なことではあったが、そんな彼女の呟きを耳にしたものは、僕を含めてどこにもいなかった……

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