第455話「店の名は……」



 僕は、千灰天子さんから預かった例のデスマスクをもって、御子内さんと黒い悪魔のような妖魅との戦いがあった解体工事中の空き地の傍にある店に入った。

 面の製作とその販売が主な業務という店であった。

 カランと鈴のついたガラス戸を開けて中に入ると、応接用のテーブルセットで一人の男性がお茶を飲んでいた。

 浅黒い肌で、彫りの深い顔付きのハンサムだった。

 色の違いからか潤んだような目に見つめられたら、ほとんどの女性が頬を赤らめてしまいそうだ。

 ややちりちりの髪の毛に外国人の血筋を思わせる。

 彼が「孟賀捻」だろう。


「もう店じまいしていますよ」

「すぐにお暇します。これをお返しに来ただけです」


 僕はタオルに包んでいたデスマスクをテーブルに置いた。


「私に返す? いえ、これはさっきの女子高生さんのお父さんのものではなかったですか。私のものではありませんよ」

「そうでしたか? 僕が二人に聞いた話では、このデスマスクはもともとあなたのものだと思ったのですが」

「……どうしてそんな風に思ったんですか」

「説明した方がいいですか?」

「ぜひ」


 勧められたので僕は応接のイスに腰掛けた。

 意外と座り心地のいい高級品だ。


「孟賀さんは、不思議な体験をしたはずなのに落ち着いてますね」

「目が覚めたら店のレジがぶちまけられていて片づけるのが大変でしたよ。今までその片づけをしていて、変なことなんて気にしている暇がなかっただけです」

「そうですか。僕はてっきり遠くから観察していたのかと思いましたが」


 普通ならば僕の言い草は失礼にあたるだろう。

 ただ、孟賀捻は口元に薄い笑いを貼りつけているだけだった。


「―――それで、一つおききしたいのです。……あなた、誰です?」


 孟賀捻は今度ははっきりと声を出して笑った。


「ははははは。面白いことをおっしゃる。私は孟賀捻。この店の店主で、面造りを仕事にしているただの男ですよ。一つ違うのは、ご先祖様に歴史上で少し有名な方がいたということぐらいです」

「二十一代目モルガン・弥助でしたっけ」

「そうですよ」

「実は僕はその自己紹介を疑っているんです。あなたは本当に弥助の子孫なのでしょうか。僕にはそれがどうしても納得できないんです」

「どうしてでしょうか」


 僕は御子内さんと千灰さんから聞いた話を検討してみた結果を説明することにした。

 彼も聞く気満々のようだったし。


「今回の事件の元は、千灰天子さんの父親である作家の千灰保が一つのデスマスクを手に入れたことから始まります。織田信長を小説のネタにしていた彼は、次回作の資料として信長のデスマスクだというものを古美術商から買いました。そして、実際に調べてみると、信長本人のものとは微妙に違う。だから、いてもたってもいられなくなって保さんは実際に本能寺周辺まで出掛けて行ったんです」

「というと、あのお嬢さんの御父上はご健在であったと」

「そうです」

「それは良かった」

「……ただ、それは偶然なのかどうなのか。なぜなら、あのデスマスクはとある怪物に狙われていたからです。ずっとデスマスクを見つめるだけの、異常なまでの執着を示す貌のない怪物でした。―――もしかしたら顔がないから仮面が欲しかったのかもしれませんね」


 差し出されたお茶を飲んだ。

 意外と美味しい。


「なんですか、その怪物って? どうしてデスマスクに」

「何故でしょうね。ただの偶然かもしれない。でも、そんなことはなさそうです。結局、このデスマスクが元ある場所に帰ってきたというのなら、それはシナリオのうちといっていいかもしれないのだから」

「シナリオ。元ある場所。……あなたの言い分を聞いているとまるで私がすべての黒幕のようじゃありませんか。あの二人の女子高生がここまで来たのは、たまたま私がデスマスク造りの専門家だからというだけじゃありませんか。偶然にしては出来過ぎと思いません」

「そうですね。出来過ぎです。ただ、この事件の一つ一つのストーリー自体はぐちゃぐちゃですが、ただ一点だけどうしてもおかしい部分がある。それが、この店の存在ですよ」

「というと? はて」

「……ここ、人払いの術がかけられていますね。御子内さんが確認している。それに、ここを教えてくれた陣内さんもたまたま知り合った古物商からあなたを紹介されたと言っていました。その人、きっと千灰パパにデスマスクを売った人でしょう。しかも、ここは於駒神社のすぐ近くだ」


 豹頭まきさんから連絡を受けた僕が、用心のために〈護摩台〉をすぐに用意できたのは、そこがもともと藍色さんがいざという時のために確保していた土地だったからだ。

 つまり、於駒神社の縄張りの中にわざわざこんな店を作っていたのはなぜか?

 僕が最初神撫音ララさんを疑ったのはまた同じような試練を狙っていたからではないかと思ったからだ。

 つまり、いつも感じる、誰かが糸を引いている感触に似たものがあったのである。


「あなた、〈社務所・外宮〉の人ですか?」

「残念ですがそんな組織とは関係ありません」


 やはり〈社務所・外宮〉を組織として知っているのか。


「では、なんです。この店自体はごく普通のもののようですが、となるとあなたがおかしいのですか? もしかして仏凶徒ですか?」

「いいえ。まあ、二十一代目弥助というのはあなたの言う通りに嘘です」

「あっさり認めますね」

「まあ」


 孟賀捻は肩をすくめた。


「あなた、徳川光圀が蝦夷地調査の際に雇った水先案内人が「我、モルガン・弥助の孫なり」と名乗ったという逸話を知っていますか?」

「―――いいえ」

「本能寺の変のずっとあとに、九州での龍造寺と有馬の戦に突然飛び込んできて、龍造寺に味方して大砲を操った黒人がいたという話については?」

「知りません。本当のことなんですか?」

「とある南蛮寺の寺男が日本語の話せる子供好きな黒人だったという伝承もあります。実は日本の各地にそういう話は残っているんですよ」

「―――?」

「つまり、弥助という元黒人奴隷は本能寺のあと、日本のいたるところに出没して色々なことをしていたのです。アフリカに帰されたという説の方がずっと信ぴょう性がない。では、いったい故郷にも帰らず何をしていたのでしょう?」


 ……この日本では今でも黒人の肌は目立つ。

 当時ではもっとだ。

 後ろ盾もないはずの異人が日本全国を旅できる環境ではないはず。

 確かにおかしいと言えばおかしい。


「弥助はね。与えられた任務をこなしていただけなんです。信長公ではない、さらに上位に位置する真のご主人様の」

「真のご主人様ですか?」

「ええ、こことは違う別の星々の谷間の中で安穏と惰眠を貪る、それはそれは怠惰なご主人さまです。ただ、ご親戚の方々がこの国のいたるところで御休みになられているのでそれを訪問していたのです。あれは、面倒な仕事でした。とにかくこの国で黒い肌のまま旅をするのは私でも非常に困難でしたからね」


 今、私でも、とかいったか。

 まさか、まさか……


「もしかして、あなたは二十一代目どころではなく……」

「初代かも知れませんよ。わかりやすくいえば本人」

「―――」


 また、頭が壊れそうなぐらいに異常な言説を聞いてしまった。

 戦国時代の人間がここにいて、それと喋っているなんてありえない。

 でも、薄々わかってもいた。

 この世界には信じられないことが山のようにあり、奇跡と同等の出来事が低くない確率で多発していることを。

 例えば、織田信長に仕えた弥助本人が生きてここで喋っていたとしても、絶対にありえないとはいえないのだ。


「信長公が明智に討たれた理由を知っていますか? あれ、私のせいなんです。エジプトで流行らせていたアトゥという信仰を広めようと、信長公にお頼みしていたところ、それを邪教ときめつけた明智が絡んできましてね。アトゥというのは、途中で折れた巨木のようにも見えますが、幹のあらゆる所から、石英が散りばめられたように輝く金の巻き枝が生えているといわれている、狂信者のための神なのです。ほとんどの信者は、希望を持つことを禁じられ、重い刑罰や鞭打ちのために体中酷い怪我を追っていたり、四肢が欠損したりしているのでまあ邪教といわれても仕方のない信仰でしたが」

「あなた―――弥助がその信仰を広めようとして邪魔されたってことですか?」

「その通り、あの時は大変でした。信長公が討ち取られ、さらに庇護を頼もうとした信忠公も討ち取られてしまい、仕方なくお二人の御首級みしるしをもって逃げる羽目になってしまいましたしね」


 ああ、そうか。

 このデスマスクは信長の長男・織田信忠のものなのか。

 そういえば彼の死体も発見されていないはずだ。


「まあ、返してもらえるというのならそれは助かります。一応、本物なのでまだ使い道はありますし。なんだかんだいっても、私と信長公親子との思い出は悪くないものでしたからね」

「……頭の中がごちゃごちゃしてきましたよ。結局、あなたが弥助本人であったとして、何を目的として、この信忠のデスマスクでしようとしていたのですか」

「それは内緒ですね。でも、わざわざ〈夜鬼ナイトゴーント〉を焚きつけて使った甲斐がありました。多少、見込み違いはありましたが」


 そういうと、孟賀捻―――いや、自称モルガン・弥助はデスマスクをとって立ち上がる。

 奥へと戻ろうとするのだ。

 話は終わっていないといいかけたが、これ以上は無駄だという勘も働いていた。

 御子内さんに出会ってから、僕もこの手の勘働きは異常に鋭くなったものだ。

 だから、無理して引き留める気はしなかった。


「……あと一つだけいいですか」

「なんです」

「もしかして、あなたの目的は神物帰遷の時代と言われているものに関係するのでしょうか」

「あたりです。それでは、また近いうちにお目にかかりましょう」


 浅黒い肌のイケメンはウインクをして奥へと消えていった。

 取り残された僕は虚脱感だけに支配される。

 名探偵ではないからすべてを解決できるとは思わないけれど、今回ばかりはお手上げだ。

 売り物であろう周囲の面を見渡した。


「……これだけ貌があっても、それが本物なのか見当もつかない。いったい、あの男はなにがしたいんだかわからないよね」


 テーブルの上にいつのまにか置かれていた名刺をとる。

 多分、僕宛だ。

 一瞥してからポケットにしまった。

 店名とマスコットキャラクターのイラストだけがやたらと記憶に残っていた


「〈顔のない黒い狗〉って変な名前だな。選択ミスじゃないのかな」


 なぜなら店名では“狗”とつけられているのに、描かれたマスコットキャラクターはどうみてもエジプトの姿のであった……






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