第453話「誰のものなのか?」



 店の奥の扉から入ると、すぐに窓のない作業室らしき場所に出た。

 ところどころに木材やら粘土やらが転がっていて、テレビ東京でやっている日本の伝統工芸などを紹介する番組でよくある光景だった。

 雑然としていて、いかにも職人の仕事場という感じだ。

 メインの作業は端にあるデスクでするらしく、そこに簡易の台のようなものが置いてある。

 店内にはしていなかったニスだか漆だかの嗅いだことのない臭いが漂っていた。

 さらに奥の居住スペースにつながるっぽいドアには、防犯用の鍵がかかっていたので仕方なく、応接用らしい三人掛けのソファーに横にさせる。

 孟賀さんは完全に意識を失っているらしく、うんともすんとも言わない。


「そこの洗面所でハンカチを濡らしてしてくれ」

「ごめん、持ってないんだ」

「ボクのを使うといい」


 差し出されたわりとシンプルで、いい匂いのするハンカチを手にとる。

 このあたり、ガサツそうに見えて或子はしっかりとした躾を受けて良家の子女なのである。

 むしろ、銀縁眼鏡で真面目そうなのに私の方が蓮っ葉で雑極まりない。

 水で湿らせたハンカチで額と頬のあたりを濡らして、介抱してもまだ起きる様子はなかった。


「……完全に乗っ取られていたからね。すぐには戻らないだろう」

「或子は何がどうなっているかわかったの?」

「まだ推測の段階だけどね。―――聞くかい?」

「うん、教えて」


 或子は店の方を見やった。


「キーアイテムはこのデスマスクだ。どういう訳か、さっき外にいた妖魅はこいつを追っているようだね。きっと学校にいたときから着いてきたはずだけど、ボクらじゃなくてずっとこのデスマスクだけをみていただから気が付かなかった」

「いや、普通は気づかないからさ」

「まあ、どうも首筋がムズムズしておかしいなと思ってさっき顔にはめる素振りをしたら、すぐにこのデスマスクに集中している視線があったんだ。だから、そいつを追跡したんだけど見当たらなかった。あの段階でやはりおかしいことはわかっていたんだけど、虎穴に入らざれば虎子を得ずをしすぎたかもしれない」


 だから、街中でいきなりダッシュをかましていたのか。

 しかし、事実ならなんというか動物めいた勘の持ち主だ。


「あそこまでの執着だ。……このデスマスクにきっと何か秘密があるね」

「秘密って……これはパパが小説の資料に用意しておいたものみたいで……」

「小説家。どんなものだい?」

「うちのパパは基本的に推理小説が多いから……。でも、最近は歴史ものが増えてきていたかな」


 すると、或子はスマホを取り出して検索を始めた。


「もし京一がいたら、こういう時にまずはヒントを探すんだよね。天子のパパは確か千灰保せんばいたもつだったから、まずはウィキペディアを開いて……」


 パパのウィキペディアは私も読んだことがある。

 マイナー作家らしくそんなに書きこまれていないのが残念だった。


「直近では織田信長のものを上梓しているね。うんと、『オカルティック本能寺』……。またキワモノっぽいけど」

「えっとね。娘として擁護させてもらうけど、織田信長の周囲に外国からやってきた邪神みたいなものを崇める狂信者がいてっていう、あらすじはアレだけど結構真剣な歴史ミステリーなんだよ」


 うん。まあ、正直、万城目学のパクリっぽいけど。


「邪神? どんなのだい?」

「えっと、バールとかそういうの」

「なるほど、ソロモンの七十二柱の悪魔か。となると、元ネタはフランシスコ・ザビエルだろうね。信長と交流があったはずだから」

「……よく知っているね」


 或子が博識なので驚いた。

 ただの厨二病かもしれないけれど。


「色々と見えてきたな。信長の小説を書いていた作家が手に入れた正体不明のデスマスク。日本にデスマスクを伝えた可能性のある黒人奴隷の子孫を名乗る面づくり。そのデスマスクを追う妖魅。―――そして、それをつけると譫妄状態になり、何かわからないことを呟きだす」


 或子は頭の中で一つずつ検討する。

 

「やっぱりこのデスマスクが原因だね。となると、まずは誰のデスマスクかが問題なんだけど……」

「信長のものではないよ。西山自然歴史博物館に本物があるけど、これとは違う。デスマスクって絶対に似ていないとまでは断言できないけど、少なくとも写真のものとは違うよ」

「じゃあ、誰のものなんだい?」


 作家のパパならばともかく、私にはそこまでの想像力も推理力もない。

 しかもこの異常な状況の中で答えを出せるほど聡明でもない。

 だけど、心配なことがある。

 パパはどこに行ったのか。

 あの化け物を見て考えた。


 もしかして、パパはあいつに襲われて―――殺されたのか!?


 急激なまでの恐怖が私を揺らす。

 パパがいなくなってしまったら、私はどうすればいい。

 あの尻軽で思いやりのない母と暮らすのか。

 いや、自分のことなんてどうでもいい。

 パパが、パパが心配だ。

 生きていて。

 死なないで。


天子のりこ。―――しっかりしろ」


 或子に肩を押さえられた。

 悪い考えが急速に鎮まっていく。

 彼女の声にはそんな不思議な力があるような気さえした。


「……あの妖魅自体はまだ何かをしでかしたわけじゃない。一瞬見ただけだが、外観はグロテスクっぽいが特に邪悪そうでもない。それに、何と言っていたんだっけ?」

「ソコノ貌ガ欲シイ……とかなんとか」

「貌はデスマスクのことだね。やはり、狙いはそうなんだろうけど。待てよ、こっちの面づくりも何か叫んでいた」

「ああ、なにか人の名前のようなものを言っていたみたい」


 こうやって色々と話し合ってみると発想がでてくるものだ。


「それがわかれば……」


 と話をしていたら、或子の携帯電話が鳴った。

 凄い勢いで或子が耳に当てる。

 誰からだろうと思ったが、すぐにわかった。


「もしもし、京一かい、ボクだ。何の用だい、忙しいから手短に頼むよ」


 忙しかったらそんなに素早く電話に出ないだろう。

 待ち構えていたような早さだったぞ。


「五十メートル先の空き地に〈護摩台〉を作ったって? ちょっと待ちなよ。なんで、そんなに手早く……藍色に聞いたからって……そういう訳じゃなくて、どうしてボクが妖魅と揉めているのがわかったのさ」


 私ははっとした。

 そのとき、或子が見たこともないぐらいに頬と耳たぶを真っ赤にして目を泳がしたからだ。

 俗にいう雌の顔をしていた。


「―――バカ。そういう恥ずかしいのは禁止だ。もしかして藍色にもそういうことを口にしてるんじゃないだろうね」


 照れ隠しにぶっきらぼうなことを言っているのだが、相当嬉しいことを言われたらしく、空いている手をぶんぶんと振り回している。

 これでわからない人はいないだろう。

 或子は電話の相手に恋をしているのだ。


「うん、まだ正体はわからない。とりあえず、このデスマスクだけもって向かうよ。……ありがとう、相棒」


 顔を上げた或子がデスマスクをひっつかみ、私の手を引いた。


「とりあえず、ここを出よう。行く当てができた」

「当てって何?」

「ボクら人間が妖魅と戦える場所フィールドさ」


 そして、或子は言った。


「―――面倒な謎は京一に回すさ。ボクの仕事は妖怪退治だ」



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