第451話「その名は弥助」



 戦国時代に生きた黒人の武士。

 それが弥助である。


 もともと、キリスト教の宣教師が連れてきたアフリカの黒人奴隷であったのだが、この頃は人身売買が盛んで、奴隷をものと同等に扱うのが常であったからか、日本という未開だと思われていた国の有力な軍閥の大将への贈り物として献上された。

 宣教師たちは後の世にいう人権意識などなく、また肌の黒い生き物など同じ人間だとは思いもしなかったからか、日本人も同様だろうと考えていたようである。

 黒人奴隷を献上された軍閥の大将は、その肌を一目見るなり、


「墨でも塗ったのではないか」


 と疑って、裸にして洗うように命じた。

 当然のことだが、当時の日本には肌の黒い黒人という人種は皆無に近い。

 大将は自分がかつがれているのではないかと疑ったのだ。

 だが、なんど布でこすっても黒人の肌は白くはならない。

 ついに、その大将も献上された黒人奴隷の肌が偽物ではないということを認めざるを得なかった。

 この黒人奴隷は六尺を越す身長と(180センチ以上)広い肩幅、そして強い膂力を有していたことから、なんとこの大将の近習にとりたてられたのである。

 日本の歴史上でも類を見ない、新しいもの好きで進歩的な大名と呼ばれている―――織田信長の家臣となったのであった。

 信長はこの黒人奴隷に「弥助」という名前を与え、槍持ちとして仕えさせたという。

 この当時の信長はすでに尾張の一大名ではなく、天下不武ももうすぐ狙える位置につけていたことから、すぐそばに侍らしていたということは、士分としてとりたてられ、小姓としての身分であったと考えられている。 

 白人からはほとんど獣同然の扱いを受けていた身分から、いきなりの武士階級になったことに弥助がどのような感想を抱いたかは定かではない。

 ただ、平均身長が低かった時代に頭一つ高い体格のいい黒人が信長の傍で槍を持っているという光景はとてつもなく目立つものであったのは想像に難くない。

 そのあまりに目立つ容姿から、織田家の戦場の一つから弥助への出陣要請があったほどである。

 わざわざ名指しで来るのであるから、黒人の容姿だけでなく弥助の戦闘力についても相当のものがあったのではないかと考えられている。

 この要請について、信長は「弥助は侍大将の器であるから前線には出さん」と拒否していることが興味深い。

 すでに長男の信忠が武田家を潰した後になるが、信長は甲州征伐にまで近習として弥助を連れて行っていることからすると、もしかしたら息子のための戦力として育てようという意図があったのかもしれない。

 若殿の近習から家臣団の中核になるというルートは当時ではごく普通のものだからだ。

 そして、なにより、明智光秀が信長を討った本能寺にまで弥助は供として従っていたのである。

 本能寺を取り囲み、なんとしてでも信長を討とうとする明智の部隊を突破して、二条城にいた信忠に変事を伝え、さらに戻ろうとしたところを捕縛されている。

 弥助について光秀は、


「このものは色の黒い動物でしかない。また、日本人でもない。殺す必要もない」


 といって南蛮寺の一つに送ったという。

 これについては光秀に黒人に対する差別意識があったからとも、憐憫の情があったからだとも伝えられているが定かではない。

 だが、このエピソード以降、史実にはっきりと弥助が登場することはなくなったのは確かである。


 ただし、歴史において、弥助の名が再びスポットライトを浴びるときがきた。

 それは愛知県にある西山自然歴史博物館に、信長のデスマスクが保管されているということが注目を浴びたときである。

 博物館の所有者は、織田信長の孫にあたる秀信の子孫にあたり、その真偽が話題を呼んだのであった。

 本当に信長のデスマスクであったとしたら、果たして誰が信長の首をもって逃げたのであるか。

 そこでただ一人、本能寺の囲みを破って一度は逃走した弥助の業績ではないかと注目されたのである……



     ◇◆◇



「……それで、彼が弥助の子孫だっていうのかい?」


 孟賀もうがねんという男性と話をしているときに戻ってきた或子ともとども、私たちは彼のアトリエ兼お店らしい場所に連れてこられた。

 それほど広くない店内はほとんどガラス張りで、中にはお面の類いが所狭しと飾られている。

 ほとんどが能面で、私たちでもわかるおかめ、ひょっとこ、夜叉などがこちらをじつと見つめているような気分にさせられる。

 能面以外にも幾つかの変わった仮面があったが、あまりインパクトはない。


「ここの面のほとんどが、孟賀さんの作品らしいよ」

「ふーん、面造りか。あっだから、デスマスクも作っているんだな。稼業が面造りというのはそういうことかも!」

「今頃、気づいたの、或子」

「ほっとけ」


 或子はどうも電話の相手に孟賀さんの職業について聞いていなかったらしい。

 ただ、「日本には珍しいデスマスクの職人がいる」としか聞いていなかったのだろう。


「でも、どうして弥助の子孫がデスマスク造りの職人になんかなっているんだい?」 

「これは私の推測だけれど、信長のデスマスクを作ったのって、弥助なんじゃないかな」

「根拠は?」

「遺体の顔を石膏でとるなんていう文化は日本にはなかったからね。西洋では17世紀ぐらいには普通になっていたけれど、私の知る限り日本には伝わっていない文化だよ。だから、明治になってから西洋文化が流入してくると、進歩的文化人という人たちが西洋にかぶれて死んでからデスマスクなんか作っちゃったりしたんだと思う」

「あー、だから弥助なのかい」


 或子がぽんと手を叩く。


「そう。アフリカのモザンビークあたりの出身だって言われているけれど、長い間ヨーロッパの白人の船に乗っていたんだから、そっちの文化に慣れていてもおかしくないでしょ。弥助は自分をとりたててくれた恩人の首をもって逃げるように本人に言われ、それに従ったけれど、どうしても信長の生きた痕跡を残しておきたかった。だから、デスマスクを作ったんじゃないかなあ」


 私は妄想を語った。

 実のところ最初の思惑とは外れすぎていたが、これはこれで好奇心を刺激されて楽しい。

 あの弥助の子孫という人物に会えたということもワクワクする。

 あとは、パパが置いていったあのデスマスクの正体が知れればそれでいいんだけど……


「僕のご先祖様は、信長公に永遠に忠誠を誓いたかったのかもしれませんね」


 私が預けた木箱を手にして孟賀さんが戻ってきた。

 室内で見ると、彼の浅黒い肌はかなり異質だった。


「永遠というと?」

「デスマスクには人の魂を封じるというお呪いの意味もあるんですよ。死んだ人の魂が完全にあの世―――天国や地獄に行く前に現世に留めてしまうということができると信じられています」

「つまり、キミのご先祖様は信長の魂をデスマスクにいれたということかい?」


 すると、孟賀さんは軽く笑った。


「かもしれませんね」


 手にしたデスマスクを取りだす。


「これ、普通のものではありませんね。デスマスクというよりも仮面のようになっているじゃないですか。裏に凹みがあるのは、誰かの顔に合わせるための細工なんです。―――要するに死人の顔を自分のものにするための作品ですね」


 そういって、彼は自分の顔につけた。

 デスマスクの方が小さいはずなのに、ぴたりと吸いつくようだった。


「まあ、こんな風にです」


 確かに孟賀さんのいう通りだ、と思った瞬間、


「うっ」


 と、うめき声が聞こえた。

 目の前にいる浅黒い男性の口からだった。

 それは徐々に地鳴りのように大きくなっていき、ぶるぶると肩が震え出した。

 孟賀さんが顔につけたデスマスクを外そうとしても敵わなかった。

 明らかにおかしい。

 さっき或子も同じようにつけたはずなのに、まったく違う様相を呈し始めていた。

 

「え、何……」


 私が苦しみだした孟賀さんに触れようとしたとき、肩を引っ張られ、彼との間に誰かが割り込んできた。

 或子だった。


「さがれ、天子。こいつ、人に憑りつこうとしてやがる……!!」


 私が初めて見る、凄絶なまでの或子のマジ顔は見惚れるほどに美しかった。



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