―第57試合 死仮面の誘い―

第448話「パパの残した資料」



 私の父親は作家だ。


 大学時代にたまたま送った推理小説家の登竜門である賞で優秀賞をとってしまい(ここで指摘すべきは大賞ではないという点だ)、それ以来作家という職についている。

 とはいえ、作家一本で食えているかというとそんなことはなく、週のうち二日はバイトをすることで生活費を補っていた。

 むしろ安定した収入というのがそれしかないというべきだった。

 おかげで共働きだった母には逃げられ、今は私と二人暮らしである。

 母が逃げた理由はもう一つあり、それは不倫した男がいたからだったが、なんというか元々生真面目な人がそんな関係を続けられるはずもなく、半年もしないうちに別れていた。

 本来は女親にいきやすい親権も、新しい男がいるからと自分から放棄した手前、改めて主張することもできず、かといって私を本当に捨てることもできず養育費だけを払い続けていた。

 大手企業の正社員であった母からの養育費は結局、安定収入のない我が家にとってはありがたいものであった。

 安いとはいっても年に四冊は本を出す父親の印税とバイト代、プラス母からの養育費のおかげで二人暮らしには十分な余裕ができた。

 むしろ、出世街道を驀進していた母が家にいないせいで、私たち父娘は多少の不自由はあってものんびりとストレスなく暮らせていたともいえる。

 父と私に多大な問題があったとしても、大手企業の仕事でストレスを溜めたあげく、元の上司と不倫をして会社内妻みたいな立場になってしまう母と一つ屋根の下で暮らすのはやはり重荷であったようだ。

 特に作家なんて志す人間はやはり根のところで繊細な性格であったらしく、父の体験した解放感というものは相当強烈なものであったらしい。

 これまでは鳴かず飛ばずだったくせに、離婚後に書いた歴史小説がそれなりの評価を受け、それなりに名前が売れ出したのである。

 私も学生生活を楽しめるようになり、父も作家らしくなってきていた。

 要するに、離婚以来の六年間、私たち父娘はうまくやっていたのだ。

 特別におかしなことに巻き込まれることもなく。


 その日、父親がいなくなるまでは。


 朝起きたら、いつもは書斎(と言う名の物置だが)で小説を書いている父はどこかに消えていた。

 私は「またか」と思った。

 母がいなくなる前もたまにあったことだが、父は何か面白そうなアイデアが浮かぶとすぐに取材に出掛けてしまう傾向がある。

 特に歴史・時代小説を書き始めた頃から、現地での取材が何よりも大切だと出不精だったはずなのに頻繁に出掛けるようになった。

 それでも一応は声をかけてから出掛けるのが常だ。

 今回のように黙って出ていくことはまずない。


「何かあったのか……」


 私は牛乳パックに直接口を付けてガブガブと飲んだ。

 女らしくないと常々叱られる行動だが、やはりガサツな作家の父親に育てられると慎みというものはあまりない。

 散らかっているテーブルの上にも私宛の手紙のようなものはなかった。

 問題は父の愛車のルノーのルーテシアの鍵が置きっぱなしだったことだ。

 普段ならば取材旅行は車でいくはずだから、違うのだろうか。


書斎ものおきに何かあるかも」


 上半身だけ高校の制服に着替えると、スカートも履かずに二階の隅にある書斎に向かう。

 誰かみていたら痴女みたいなものだけど、ここは私の―――千灰天子せんばいのりこの家なのだからどうってことはない。


「パパー、本当にいないの?」


 パンツだけの姿で開けてみたが、それを咎める人はいない。

 母親がいたら別かもしれないが、一度色に狂って出ていった人は二度と我が家の敷居を跨がすつもりはなかった。

 私は部屋を暗くしているカーテンを開けると、太陽光を採り入れた。

 机の上のノートパソコンとプリントアウトされたA4用紙、山と積まれた資料と漫画、参考資料用のテレビ。

 いつもの書斎だ。

 ただ、私の目を引いたのは椅子の上に置いてあった古い木の箱だった。

 汚いとまではいかないが、元々は白かったであろうと思われるだけでかなり黒ずんでいた。

 なんだろう。

 私はずれていた蓋を手にとる。

 軽かった。

 嫌な予感がしたのに思わず開いてしまう。

 私も作家の娘らしく好奇心旺盛なのだ。


「うっ」


 さすがに驚いた。

 木の箱に白い布と共に納められていたものは、人間の顔だったからだ。

 眼を閉じた白い人の貌。

 一見するとよくある石膏でできているようだけど、美術品の彫刻なんかとは色つやが異なる。

 どうやらそういうものではないようだ。

 ただはっきりとわかるのは人の貌だということである。

 いったい、これはなんだろうと思ったとき、頭にひらめいたものがあった。


「あ、もしかしてデスマスク―――か」


 死後間もない遺体から石膏や蝋を使って貌の型を取り、石膏・蠟・金属の薄葉などの材料によって像を起こした顔面像のことだ。

 亡くなった者との思い出として保存されたり、肖像画を描くための資料として用いられたりする。

 17世紀ごろからは告別式の時に飾ったりして故人を偲んだという日本にはあまりない文化だった。

 そのデスマスクがどうして私の家に……


「まあ、パパの資料なんでしょうけど」


 こういうものを家に放っておいてほしくないのだけれど、私の飯の種でもあるので特に文句は言えない。

 でも、これが新しい小説のネタなのだろうか。

 模造品にしては何か生々しいな。

 よく見ると品書きというか、何かタイトルの札のようなものが筆で書かれていた。

 正直、達筆すぎて書いてある字が読めない。

 これが読めそうな奴っていうと……


「あ、或子がいたっけ」


 私の友人の中で最もこういうムダ知識が多そうなのはクラスメートのあのしかいない。

 本人はずっと隠しきっているつもりだが、それなりに親しいものにはバレバレというところがあの巫女の下手なところだ。

 確か、習字なんかの和風なことにはやたらと詳しいはず。

 ただ、それだけじゃないのがあの子の凄いところなんだけど……


「まあ、いいか。こんなところに面白そうなものを放置していったパパが悪いんだし」


 私はその木箱と誰のものとも知れないデスマスクを手にした。

 高校にこういうものをもっていくのは、ちょっとだけ非常識でドキドキする。

 制服のスカートを履くのも忘れて、私はそのデスマスクに魅入っていた。

 だから、カーテンの開けた窓の外に不気味な影が、


『アノ貌ガ欲シイノ……』


 ともの欲しそうに呟いていたことに気が付くこともなかった……

 


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