第447話「この世界の出来事は……」



 僕と御子内さんが急いで、てんちゃんたちの後を追って、例の〈八倵衆〉の安宅船に辿り着いたのは、陽が落ちてからのことだった。

 奥多摩の渓谷、特に春になってそろそろ新緑で満たされ、夏の美しさが目立ちだす寸前だったが、その中に黒ずんだ木製の巨大な和船が停泊(といっていいのか?)しているところは異様極まりない光景といえた。

 まさに極限の登山をした果ての山中にある、博物館にあるかどうかという古さの和船。

 それが僕らの探していた〈八倵衆〉の安宅船であった。


「ちょっと信じられない光景だね」


 大きさは普通に四階建てのビルぐらいはある。

 そんなものが普通の船よろしく陸上を航海していたとはとうてい信じられない。

 とはいえ、僕は散々その手の奇想天外な出来事に遭遇して来たので、そんなこともあるのか程度の驚きで済んでいたのだが。

 あと、びっくりしたのは安宅船の周囲に転がっていた四体の巨人だった。

 僕の知る限り、〈高女〉や〈手長〉〈足長〉といった妖怪たちの二倍はある黒い肌の巨人たちが、ほぼ四肢を切り裂かれて地に伏していた。

 ほとんど虫の息の巨人たちをここまで追い詰めたのは、間違いなく晴石尤迦さんだろう。

 だが、彼女はいない。

 先行したはずのてんちゃんの姿もない。

 二人はどこにいったのだろう。


「京一、こっちだ」


 体力が回復してなんとか動けるようになった御子内さんが指さした先には、古風な形状の縄梯子がぶら下がっていた。


「あれ、上に行くためのもの?」

「てんと尤迦は上にいるようだね。戦いは終わっているみたいだけど、どうにも不安だ」

「この安宅船が動かないとも限らないしね」

「いや、どうもこいつは呪力で動くものらしいけれど、完全に沈黙しているね。ボクでもわかる程度だから、もうしばらくは動くことはないだろう」

「マジ? ってことはてんちゃんが仕事をしたってことだね。さすがはてんちゃんだ」


 僕はてんちゃんのいつもの決め台詞を思い出した。


『てんちゃんにお任せですよー』


 ……また、今回も彼女はなんだかんだいってもやるべき仕事を果たしたのだ。

 いつも元気いっぱいの彼女もこの死屍累々の巨人たちとの相手もしていたとなれば、きっと息も絶え絶えとかだろう。

 あとで美味しいジェラートでもご馳走してあげよう。

 この安宅船が動かないとなれば、おそらく〈サトリ〉が読んだという〈八倵衆〉の陰謀は未然に防がれたのだろうからてんちゃんのお手柄に違いない。

 縄梯子を苦労しつつ登って甲板に辿り着く。

 僕がひーこら言っていたというのに、御子内さんはもう猿のように素早く上に達していた。

 もともとの身体能力が比べ物にならない。


「待ってよ、もお……」


 安宅船の甲板に上がった僕を待っていたのは想像もしていないものだった。

 

「―――或子。てんが……。てんが出てこないんだ」


 双剣をもって肩を落とした尤迦さんの絶望的な姿だった。

 涙こそ流していないが、目には力がなく、とても別れたときの彼女と同じ人物とは思えなかった。

 視線の先には安宅船の内部に入るための扉があり、木でできたそれは固く閉ざされていた。

 おかしなことに、その表面には明らかに刀瑕とわかる跡が無数についていた。

 しかも不規則に何十本も。

 僕にはそれが尤迦さんの双剣によるものだとすぐにわかった。

 ただ、彼女の剣の威力というものを僕は高く見積もっているので、通常の扉がここまで執拗に斬りつけられたら無事でいられるとは思えなかった。

 どれだけ堅い材質なのだろうか。

 どうみてもただの木製ではないだろう。


「尤迦、てんがどうしたって?」


 御子内さんが問うと、尤迦さんがその双剣で扉を切りつけた。

 わずかに切り瑕ができたが、ほとんど目立たない程度だ。

 あの勢いで斬られたら、真っ二つになってもおかしくないというのにどれだけ堅いのだろう。


「この中に入って―――でてこないんだ」


 尤迦さんは、涙目になってただ扉を見つめていた……



   ◇◆◇



 真夜中近くになって、ヘリコプターを使って御所守たゆうさんと不知火こぶしさんの二人の〈社務所〉の幹部がやってきた。

 事情はすでに伝わっていたらしく、僕らから詳しく聞き取るということもなかった。

 時間はもう夜中の二時を過ぎていたから、かなり眠くなっているはずなのにてんちゃんのことが心配で僕らは眠気すら感じていなかった。


「てんがこの船の中から出てこないというのは確かなのですね」

「うん。直接見た訳じゃないけど、あたしがここまで来た時にはてんの姿はなかった」


 尤迦さんは倒れた木の下敷きになって動けなかったのに、てんちゃんのことが心配で無理に這い出してきたそうだ。

 おかげで右足の膝のところの前十字靭帯を切ってしまったらしく、片足を引きずっていた。


「……わたくしが見たところ、この安宅船はもう休眠状態に入っています。誰かが中で呪力を制御しているのでしょうね」

「それは―――てんちゃんが……」

「でしょうね。おかげでこの安宅船の真の目的は果たされなかったのですから、あの娘はきちんとやるべきことをやったのでしょう。ただ、完全という訳にはいかなかったみたいです」

「というと?」

「ついさっき、九州にもう一度地震があったようです。前と同じ規模です。てんは関東こそ守りましたが、完全に龍脈の力を逃しきれなかったようです。あの娘の失態ですね」

「そんな……」


 もう状況はわかっている。

 てんちゃんは自分を犠牲にして、〈八倵衆〉のしようとしていた計画を未然に防いだのだ。

 関東、いや東京に龍脈の力を使って地震を起こすという計画を。

 だが、それでも余波までは防ぎきれずまず実験したという昨日の夜と同じ場所に被害を出してしまったのだろう。

 でも、てんちゃんは―――


「〈五娘明王〉にまで覚醒したものが、無辜の民を護りきれないというのは失態以外のなにものでもありません。叱責されて当然でしょう」

「―――てんちゃんは」

「あの娘はまだこの船の制御に手間取っているようですが、いつかは還ってくるでしょうし、そのときにはきつく説教をしてあげなければなりませんね」

「えっ!?」

「てんはまだこの船の奥に生存しているはずです。〈五娘明王〉に覚醒したようなものが、たかが龍脈の力に取り込まれてしまうはずがありませんからね。帰還のときがいつになるかはわかりませんが―――明日か、明後日か、それとも十年後か―――、その時に叱ってあげればいいでしょうか」


 たゆうさんは無表情に言った。

 でも、おかげでてんちゃんはまだ無事なのだとわかる。


「雨舟村の少女よ。うちの娘のことを送ってくれて感謝します」

「ううん、あたしは何もしていないよ。……てんが頑張っただけ」


 尤迦さんもようやく普通の顔に戻っていた。

 さっきまでかなり酷く落ち込んでいたのに。

 その背中を御子内さんが軽く叩いた。


「キミはどうするの?」

「てんが戻るのを待つのも大変そうだしね。いったん、村に帰るよ」

「そう。……で、雨舟村の方はこれからどうするんだい? ボクらの予想ではそろそろこの国全体にヤバい事態が起こることになっている。キミらは村への侵略と世界の平和のためになら戦うんだろ? ボクらと一緒にやるかい?」


 すると、尤迦さんははっきりと首を振った。


「多分、動かないよ、あたしらは」

「なぜ?」


 彼女はてんちゃんの消えた扉の方を向いていった。


「―――この世界が滅びるのはこの世界のせい。ただ、この世界の連中が怠惰で恥知らずで何もしないというのなら、あたしらも間借りしている身分だし自分たちのためにも戦う。けれど、この世界の連中がなりふり構わないでも戦うというのなら話は別。あたしらなんかが手を出す必要はない」

「どういうことなのかな?」

「つまり、或子あんたやてんみたいな奴らがいるんだから、あたしらみたいな部外者がでしゃばる必要はないってことだよ。……あたしらは、だからさ」


 そういって、尤迦さんは安宅船の上から飛び降りた。

 彼女は忍びのように〈軽気功〉が使えるそうなので、この高さでも余裕で着地してしまう。


「じゃあ、あたしは帰るよ。ベンツのトランクのスナックはあとでクロネコヤマトにでも出しといて。もう三日も家出しているんであとが怖いからさ」


 何事もなかったかのように去っていく自称・地上最強の剣士。

〈社務所〉の関係者はそれぞれ複雑な思いで彼女を見送る。

 雨舟村の住人はあれほどの力を持つのだから、何か理由があってどんな戦いにも積極的には関わらないのだろう。

 せめて中立の立場になってくれただけでもよしとするべきか。

 ただ、彼女の言ったことで身に染みたことがある。

 結局、最後に自分たちを救うのは自分たちなのだ。

 他人に頼ってはいけない。

 僕たちはこの世界に住んでいて、何かどうしようもない危機が迫ったからといっても、最近のライトノベルのように異世界から救世主を喚んでどうにかしてもらうことなんかできない。

 いや、してはならない。

 自分たちでできないのなら潔く滅ぶべきだ。

 しかし、僕たちは潔く諦めない。

 僕の隣にいる御子内さんがそうだし、人の心の痛みがわからないサイコパスロリータのくせに命懸けで関東の人を救った優しいてんちゃんみたいな子もいる。

〈社務所〉の媛巫女たちはなんとしてでもこの世界の人間の手で救世しようとするだろう。

 だから、尤迦さんは引き下がったのだ。

 御子内さんとてんちゃんの二人を知ったから。


 ドン


 御子内さんが安宅船の扉を叩いた。

 開くことは決してなかったが、そこまで望んではいないはずだ。

 そして、言った。


「てん、キミが帰ってくるまではボクに任せろ。だから、この船のこととか、奥多摩の龍脈の件は任せたよ」


 おそらくてんちゃんには聞こえるはずがない。

 でも、きっと聞こえたに違いない。

 それぐらい、御子内さんとてんちゃんの絆は深いのだ。


 その時、僕の耳に幻聴が聞こえた。

 いつものてんちゃんの台詞だった。





「てんちゃんに任せるですよー」





 ……うん、君に任せたらなんでも安心だよね。


 そう僕は心の中で呟いた。




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