第446話「奥多摩魔戦の終結」



 熊埜御堂てんの状況を正確に語るとするのならば、こうなる。


「道教における〈三尸〉について、インドを発祥とするヒンドゥー・ヨガに伝わるチャクラから生じた呪力を餌として与え、それによって生じたさらに莫大なる力を用いて仏教由来の軍荼利明王と霊的に繋がることに成功した、日本の神道でも一大勢力を誇る熊野神社の総領でもある巫女」


 ―――信仰するものは仏教一筋といっても文覚僧人からしてみれば、まったく理解のかなたにある存在であった。

 だが、てん自身は自分の混沌とした立ち位置になんの疑問も抱かない。

 そもそも〈社務所〉の媛巫女というものは、一見、節操もなく様々な宗教の教義や魔術の秘奥、オカルトの密議、そういうものを貪欲に取り込んで育てられるからである。

 一神教とは違う、また大日如来を本尊とする仏教とも違う。

 八百万の神々という、どんな神でも認めてしまう神道の巫女であることを奇禍として、明治維新の直後から日本の陰でなされてきた一大神事―――大元帥明王法をさらに高次元にまで高めた、〈神釼・大元帥明王法しんけんだいげんすいみょうおうほう〉。

 今の山東省出身の方士であった于吉というものが書き上げた百七十巻にも及ぶ書物「太平清領書」の記述を元に、大元帥明王法をさらに儀式呪法として磨き上げたと伝えられている。

『太平清領書』は順帝の折、于吉の弟子である宮崇によって献上されたが、あまりにも神々を冒涜するものであり、「妖妄不経」の書とされ世に出なかったとされ、また、それを手に入れた張角が三国志の時代に黄巾の乱を起こすという逸話がある。

 黄巾の乱は、三国志演義の主人公・劉玄徳や曹操を立てるために、黄巾として悪役扱いされることになり、それが事実のように語られているが、実際には中国後漢末期に宮中に巣食っていたとある邪神を崇拝する宗教とその信者たちによる専横に対する叛逆であったのだ。

 順帝が『太平清領書』を妖妄不経の書としたのは、そこに記された邪神調伏の儀式をなすことへの薦めを咎めてのことだと伝えられている。

 それだけ後漢時代の中国は邪神に支配されていたのである。

「必勝祈願」や「敵国粉砕」「国土防衛」の祈願として、大元帥明王は国土を護り、敵や悪霊の降伏に絶大な功徳を発揮すると言われている大元帥明王法を厳修し、さらに中国における邪神を調伏するための書物の知識を借りて、近代の日本がついに編み出したのが〈神釼・大元帥明王法しんけんだいげんすいみょうおうほう〉であった。

 そのために育てられ、五大明王の力を借りることができるようになった巫女のことを〈五娘明王〉といい、彼女たちは真の意味での〈社務所〉の切り札なのである。

 生き残るため、国を護るため、なりふり構わない人間たちが産みだした霊的・決戦存在。

 仏神混在の人造の哪吒。

 文覚僧人からすれば、許しがたい存在ではあったが、同時に羨望を感じざるを得ない相手でもあった。


「軍荼利明王―――仏法の守護者」


 やり方は異常であり、狂気の沙汰を選ぶとはいっても、初代・文覚と同様、彼は仏法隆興を目指し、この国の未来を案じる国士でもあった。

 民の命よりも国土の方が遥かに大事というだけだ。

 場合によっては他国との戦争も辞さない、国民すべてを巻き込んでも構わないのである。

 人すべての救済を目的とする〈社務所〉とは正反対の思想の持ち主であった。

 御仏の心は衆生救済であることは知っている。

 大義のために多くのものたちを切って捨ててもいいだけだ。

 だが、もし、仏法の守護者である明王が、それを否定するというのであれば、仏凶徒たるものたちの存在意義は揺らぎかねない。

 ゆえに文覚はブレた、のである。


「―――オーム キリキリ バザラ ウン ハッタOṃ khili khili vajra hūṃ phaṭ!!」

 

 軍荼利明王真言を耳にして、あまりのことに〈荒行髑髏〉を突き出してしまう。

 これがあれば恐怖から逃れられるかという一縷の望みを託して。

 しかし、そんなことがあろうはずがない。

 所詮、〈荒行髑髏〉はただの呪具。

 巫女の躰に降臨した五大明王を前にすればただの玩具にすぎなかった。


「オオオオオオ!!」


 体内にあるありったけの呪力を噴きだしても、すでにてんの髪一筋すらそよがせることはできなかった。

 この時、現時点で覚醒している〈五娘明王〉の中でも、熊埜御堂てんが最も神仏との召喚・融合を果たしていたといえよう。

 まさに、として相応しく。


 シュン


 目の前から巫女が消えた。

 人の動きではなかった。

 それなりに鍛え、呪力がまるで不可視の腕のように接近するものを捉えることのできる文覚ですら不可能な動きだった。

 気配を感じたとき、すでにてんは背後にすり寄っていた。

 まさに蛇のように音もなく、二対の毒牙の代わりにザラザラの咬み切るための刃を蓄えて。

 背後から文覚僧人の左足にてんは左足をからめた。

 同時にフックさせて固める。

 魔僧の右腕の下を経由して左の腕を、延髄から後ろに巻きつけて背筋力で力一杯伸び上がる。

 全身の力を込めて、左右の掌をクラッチして完成。

 てんの異名〈コブラの姫〉に相応しい技―――コブラツイストであった。

 もともと柔術の寝技をヒントにしたと呼ばれる一世を風靡したフィニッシュホールドは確実に文覚の全身を締め上げた。

 手足の短いはずのてんの躰が容赦なく絡みつき、まとわりつき、魔僧をしめあげる。

 それだけで勝負はついた。

 荒法師とまで言われた初代と異なり、文覚はそこまでの荒行をこなしてきていなかったのだった。

 ゆえに必殺の関節技によって呆気なく落ちる。

 本来なら、彼女の強すぎる握力で首の骨をへし折ってもよかったのだが、そこまでの気にはなれなかった。

 文覚たちの引き起こした九州の被害の償いをさせるため、という考えもあったからだ。

 ただ、気を失った文覚を乱暴に投げ捨てると彼の手にしていた〈荒行髑髏〉を手にして、リンゴのように握りつぶした。

 堅い黒曜石で作られていたとしても、今の軍荼利明王の化身であるてんには造作ないことであった。

 完全に敵を沈黙させたことを確認すると、てんは文覚のでてきた船内を何気なく見やった。

 開いた観音開きの扉の奥からは龍脈の透明でどんな思想にも従ってしまう不節操な力が流れ出している。


「これを止めないといけないんですよねー」


 少し考えると、てんは安宅船の縁から顔を出し、下にいるだろう友達を探した。

 顔を出したことで〈竜の目〉を使っていた尤迦の視界に入る。

 何やら木の下敷きになっているらしい尤迦を見て、てんは手を振った。


「いちおー、終りましたよー。尤迦パイセーン」

「よーし、よくやったねー」

「てんちゃんは凄いでしょー」

「ああ、凄いすごーい。ついでだから、さっさとあたしも助けてくんないかなー」


 戦いが終わって気が抜けたやりとりをしていたのに、一向にてんが降りてくる様子はなかった。

 不審に思った尤迦が声を張り上げる。


「だからさー、助けてくんなーい!」


 すると、てんは応えた。


「てんちゃん、この船を止めなくちゃならないので、ちょっと手が離せないんですよー。あとでスーパー或子先輩がくるでしょうから、そっちにお願いしてくださいよー」

「なんだってー?」

「じゃあ、あとはよろしくでーす」


 てんは安宅船を見渡した。

 この巨大な船が用意されたのは、おそらく儀式呪法をやるための施設を丸ごと動かすためだ。

〈ダイダラボッチ〉を連れてきたのもたぶんそのためだろう。

 だから、二人の〈八倵衆〉の幹部以外は随員していないのだ。

 つまり、この船自体をなんとかしないとすでに始まっている地震を止める術はない。

 西を見た。

 美しい夕焼けだった。

 もしここで失敗すれば、あの先にある東京という街がまるごと潰れるかもしれない。


「てんちゃんの双肩にかかった責任は重大ですねー」


 御子内或子を待つという手もあったが、もともと術や呪法に関しては一般人レベルの彼女では役に立たないだろう。

 結局、彼女が行くしかないのだ。


「では、行きますかー」


 てんは文覚僧人が現われた扉の奥へと静かに踏み込み、後ろ手に閉めた。

 もう開かないかもしれない扉であったが、不思議と恐れはない。

 行こう、地獄の釜の底へ。

 それは決して開かせてはならないものなのだから……

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