第443話「二つの仏法」
晴石尤迦は大砲の砲撃によって倒された杉の木が下半身にのしかかってきたことで、身動き取れなくなっていた。
木自体が倒れてきたダメージそのものは、咄嗟に全身に張り巡らした〈剛気功〉によって軽微なものだったが、大質量のものが上に乗ったせいで身動きが取れなくなっていたのだ。
筋力を底上げする〈強気功〉と皮膚と肉を強くする〈剛気功〉の併用はさすがの天才もできず、のしかかる木々を持ち上げることが敵わなかったのである。
剣の天才である尤迦は、他にも〈軽気功〉という身体の体重を無くす気功術も使えるが、二つもの気功術を同時に使うことはできない。
同じ村にはそういう奇跡的な芸当をこなせる、気功の天才肌がいない訳ではなかったが、尤迦は剣技こそ際立っていたがそこまでにはまだ至っていないのである。
のしかかった木を持ち上げることはできるが、それだと〈剛気功〉を解かざるを得ず、挟まれた重さによるダメージで脚が潰れかねない。
「しくじったなあ」
自然に満ちた渓谷の中で威容を誇る安宅船を見上げて呟く。
〈竜の目〉を使って、甲板上から狙い撃ちをしてくる骸骨の足軽からの一斉射撃こそ避け切った。
だが、そのあとに構えていた二門の大砲による砲撃による爆発から逃れきれなかったのだ。
囮としての役割は果たしたといっても、それでこの様ではてんに申し訳が立たない。
とはいえ、尤迦が敵の目を引きつけたおかげで、てんが安宅船に乗り込んだのは確認したので、あとは任せるしかない。
助けに行きたくてもむしろ彼女の方が身動き取れない状態なのだから。
「―――しかし、そううまくはいかないかな」
彼女の〈竜の目〉は超能力ではないので、すべての様子が視える訳ではない。
安宅船の船上でどのようなことが起きているかは知るすべがない。
それでもわかることはある。
彼女の頭上で湧き上がっている異常なまでの怪しい力の雲行きだ。
どれほど強いといっても、尤迦はあくまでも一介の剣士に過ぎず、魔導や呪術というものには詳しくない。
村にはそういう分野の専門家がいるが、彼女自身はまったく興味がなかった。
今回ばかりは自分の怠惰を悔やむ羽目になったのだが。
地上にいても伝わってくる異常なまでの妖気は、てんのものではない。
おそらくもう一人、さっきの仏凶徒と同格の守護者がいたのだろう。
それがてんと対峙していることはわかった。
しかし、尤迦でさえもおえっと吐きたくなるぐらいの腐った妖気を前にして、一度のみならず二度まで、てんのものらしい快活とした闘気が渦巻いたのも見て取っていたからだ。
あそこまで発達した妖気を押しのけるだけで、どれだけの精神力がいるのかわからないが、尤迦でさえ「〈社務所〉の巫女ってのはたいしたものじゃん」と賞賛したくなる攻防であった。
もっとも、そのてんの清冽な闘気がついさっき途絶えたのは想定外だった。
逆に妖気はまだ残っている。
それどころか、さらに高まっているといってもいい。
「てん、しっかりするんじゃん。まさか負けるとはいわないよね」
奥多摩人らしく多摩弁の訛りをみせつつ、尤迦はじっと安宅船を睨みつけた。
まだ決着はついていないはずだ。
少なくとも、尤迦の持つ剣士としての勘は告げている。
熊埜御堂てんはまだ負けていない、と。
◇◆◇
歴史上、文覚といえば政治に口出しをして権勢を握ったが、最後には後鳥羽上皇に佐渡に流され、これが許されたのちも一月と経たないうちに対馬に流刑とされて破滅された政僧として位置づけられている。
確かに、文覚は多くの権力者と誼を通じ、その権力を背景として多くのことを為しとげたが、それが私利私欲のためであったかというとそんなことはない。
彼を援助したといえるのは、後白河法皇、源頼朝の二人であったが、このどちらに対しても文覚は反逆の心を見せていたのである。
ただの恭順など一度もなく、すべては仏法興隆のための手段だったのである。
長い修業の後、故郷の京に戻った文覚は、京都高雄山にある空海由来の寺・神護寺があれに荒れ果てていたのを見て、この復興を決意した。
そのために、彼は後白河法皇の催していた歌会に乱入して、大声で勧進帳を広げて寄付を要求したのである。
当然、供のものに取り押さえられて叩きのめされて放り出されてしまう。
しかも、「法王といえども、死後、地獄に落ちてしまいますぞ」と罵ったために、伊豆に流罪とされてしまう。
このときに源頼朝と知り合ったのである。
五年後、文覚は許されて京に戻るが、再び法皇のもとに訪れて寄付を求めた。しかも何度も、である。
彼の熱意はすべて仏法隆盛のためであると理解した後白河法皇は、その後、文覚の支援を初め、神護寺を初めとする多くの寺社を修復した。
もともと文覚と似たような熱い気性の持ち主である法皇は、一度性格を理解してしまえば、それから親しくなってしまったようである。
こうして、文覚は後白河法皇の後ろ盾を得た。
だが、その法皇を圧迫している平清盛をはじめとする平家一門は、文覚にとっては仏敵以外の何者でもなかった。
そのため彼は、まだ伊豆に流されていた頼朝を訪ね、平家討伐の挙兵を促がしたのである。
躊躇う頼朝に対して、文覚は懐から白い布に包まれた髑髏を取り出した。
『これは平治の乱ののちに首を討たれたあなたの父上、義朝殿の髑髏です。牢獄の前の苔に埋もれていたものを牢獄の番人から貰い受けて、拙僧が供養していたものです。この義朝殿の髑髏に対してあなたはまだ逡巡を続けられるのですか。それとも父の跡を襲うのですか。仏敵を討つのを怯まれるのですか』
文覚は頼朝を叩きつけ、それによってようやく彼の腹は決まったという。
こうして、これを機に文覚は鎌倉幕府に対しても影響力を要し、政僧と呼ばれることになるのである。
その初代・文覚が頼朝をたきつけるために使った髑髏を模したものが、今、〈八倵衆〉の文覚僧人が手にしている黒曜石で作られた〈荒行髑髏〉であった。
「〈荒行髑髏〉は立川流の髑髏本尊の流れを経た我らの仏具でな。これさえあれば、愚僧の呪力は〈八倵衆〉の他のものどもよりも上になるのよ。お主程度では、足元にも及ばぬよ」
突っ伏したままのてんはぴくりともしない。
完全に意識がとんでいるようであった。
「さらに言えば地の龍の力も愚僧は得ておる。ふむ、お主が噂に聞くところの〈社務所〉の〈五娘明王〉というのならばさておき、ただの媛巫女では役者不足にもほどがあるなあ」
丁寧に白い聖布で〈荒行髑髏〉を包むと、すでに文覚は動かないてんには何の興味もなくしてしまったようだった。
「―――真夜中まではまだまだ時間があるのお。ちょうどよい、もっと祈祷時間を増やし、確実に関東と今の都を滅ぼす下地を作ろうか。ふふ、明日の朝には何千、何万もの髑髏が出来上がる。本家の立川流の髑髏本尊を上回る、〈地震髑髏〉の完成も近いというものじゃ。これでこの国の仏法も安寧、異国、異界より舞い戻る外道仏敵どもを根こそぎ追い払える御仏の力の完成となる」
文覚僧人はふふふと笑った。
仏の名を唱えながら、彼の目に浮かぶのは殺しを企てる異常者の悦楽の色だった。
彼は愉しんでいた。
坊主でありながら、聖職者でありながら、ただ罪なき者が死ぬことを。
仏法隆盛のために権力者を利用した初代とはまったく異なり、同じ目的のためなら民がどれほどくたばっても罪とは思わぬのだ。
すべては仏法のため。
仏法の―――
「ん?」
振り向いた。
文覚僧人は背中に何かを感じたのだ。
兜率天にいるかのごとき温かい―――いや、熱いともいえる温度の高まりを。
だが、後ろには誰もいない。
転がっているミニスカの巫女の遺骸があるだけだ。
「まさか、まだ死んでおらんのか。しつこいのお」
意識が飛んでいるだけならば痙攣の一つもするだろうに、ぴくりともしないのだからもう死んでしまったものと考えていた。
すべて片付いたら首だけ刎ねて呪力の高い髑髏とするつもりであったから、放置していただけなのにまさか死んでいないとは。
「仕方ないの。まあ、放っておいても死ぬじゃろ」
仏に仕える僧とは思えないことを呟き、再び振り向こうとしたとき、
「んんん?」
文覚僧人はためつすがめつしながら、動かないてんを見た。
もう死骸と変わらないと思っていた巫女の肉体から何かが噴き出していた。
湯気のようにも見えるそれは―――
呪力だった。
文覚僧人のものにも等しい量の呪力が。
「な、なんじゃ!?」
しかも、それは彼の知る呪力によく似ていた。
「そ―――それは……まさか―――」
魔僧が幻視したものは、三つ目の面と八本の腕―――八臂を背負った、三鈷印を結び、武剣や槍、斧を持ち、何重にもとぐろを巻く人面の蛇を身に纏った像形であった。
どれほど邪悪でも、どれほど悪辣でも、僧侶にはわからないはずがない。
熊埜御堂てんに宿った、その、宝生如来の教令輪身は―――
「南方に配される―――忿怒尊―――
てんは、「悟りと衆生救済」を願う、菩提心に、目覚めた。
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