―第56試合 魔船の襲来 3―

第440話「猛蛇巫女」



 耳をつんざく轟音とはまさにこのことだった。

 戦国時代に日本に伝わったという、まさに大筒から発された音が空気そのものを震わせ、聴覚を通して人間の肉体をも破壊せんとする悪魔の咆吼を思わせた。

 齢十五にも満たないのに血で血を洗う修羅場を潜り抜けてきた熊野御堂てんと言えど、日本人である限りこのような破壊のための音を耳にしたことはない。

 花火大会の打ち上げ花火など比べものにならない轟音こそ、まさに鉄と炎の塊、大砲だけが放てるものであった。

 ただし、てんはその処理についても知り抜いていた。

 音が聞こえた瞬間に耳をふさぎ遮断するのだ。

 警察や軍隊が暴徒鎮圧に使用するスタングレネードは大きな音と光をだして対象の意識を奪うものであり、その危険な道具は当然〈社務所〉でも研究されていた。

 てんたちが修行場で学んだ座学にはその対処法も存在したのである。

 黄金世代と呼ばれた御子内或子たちの次の世代において、ずば抜けて成績が高かったてんがわかっていないはずがない。

 大砲の発射の瞬間に耳を〈気〉で強制的に塞いだのである。

 おかげでてんは一切の影響を受けず登攀を再開することができた。 てんは、ロッククライミングの要領で安宅船の側面のつなぎ目に指を引っ掻けると器用に登りだした。

 安宅船は通常の西洋の帆船と比べると船体のオーバーハングがきつくない。

 西洋式の竜骨を使った骨組みを基本にして作っているだけあって、棚板づくりになっており、根棚、中棚、上棚と指をひっかけやすくなっていた。

 それに一部には鉄を張ってあるとはいえ、木製だ。

 とっかかりは山のようにある。

 てんの指にかかる握力だけでまるで地面を這うように登っていく。

 あの大砲の音がしたということは囮役を買ってでてくれた尤迦が発見されたということである。

 甲板の上にいる敵の目は確実にてんからは逸れている。

 ただいくら怪物じみた戦闘力の持ち主の尤迦とはいえ、大砲と鉄砲で上からけもののように狙われてずっと無事でいられるとは限らない。

 一刻も早く助けの手を差し伸べなくては。


(三十秒というのは見栄を張りすぎたかもー)


 巫女の修行場でこれに似たオーバーハングを乗り越える訓練はしていたが、あれには時間の余裕があった。

 人一人の命がかかっている状況ではない。

 さすがのてんも焦りがあってか甲板の縁に達するまで一分という時間を要してしまった。

 その間に地上の尤迦目掛けて鉄砲の一斉掃射が三回、大砲による砲撃が二度されてしまっていた。

 尤迦の無事はわからない。

 てんの位置からでは把握できないからだ。

 だから、彼女の力を信じててんはできる限り早く甲板に到達しようとしたのである。


「ていっ」


 甲板には十数体の武者がいた。

 陣笠を被り、胴鎧と具足をつけただけの簡易な武者姿は足軽のものであった。

 ただし、その陣笠の下に隠されていたのは黒々と眼窩が空いた骸骨だった。

 全身が骨と乾ききった筋だけで構成された、歩く骸骨―――それが十数体、古めかしい種子島鉄砲の銃身に薬包から火薬を詰めて弾丸を込めている。

 もう一度、船の下にいる尤迦を狙い撃つためだろう。

 生身の人間では発砲によって焼けた銃身を握ると火傷は免れないが、骸骨の足軽であれば傷つくことなど気にもせずに弾籠めができる。

 骸骨が動くはずもないことから、この足軽たちは死霊か妖魅であることは明白であるが、慣れた手つきで鉄砲を弄るものだとてんは感嘆した。

 よく訓練されている。

 ただの死霊ではないこともわかった。

 やはりこの安宅船は訓練された軍隊であるようだった。

 なるほど、ただ一隻で敵の支配地域に侵入してくるわけだ。

 これに加えて〈ダイダラボッチ〉が四体。

 通常ならば敵うものはいない無敵の軍隊であろう。


「……でも、懐に飛びこまれた時点で終わりですよー」


 彼女の甲板への到着に気が付いていないだけで、すでに致命的な失策だった。

 反撃の準備をまったく整えていない連中など、無防備な七面鳥と同じ。

 例え一般人であったとしても敵と認めたら一切の容赦をしない熊埜御堂てんの牙が、無防備に弾籠めをしている骸骨たちの群れに突き立てられた。

 

「死んじゃえー!!」


 一分ほどで安宅船の側面を昇りきったのは、てんの持つ握力が尋常ではない証しだった。

 ただ握りしめただけで手咬てがみとも呼ばれる必殺技になるのは、彼女の握力が180 kgあるからである。

 ギネス記録によると、人の握力の最高値はマグナス・サミュエルソンの192kgとなっており、例えばリンゴを潰すためには80 kgで足りる。

 少女であるてんの体格を考えれば、その握力は世界最高といっても過言ではないだろう。

 彼女が髑髏を握りしめれば、人の骨など簡単に砕かれ、粉となった。

 肩甲骨も第二腰骨も、てんの握撃にかかれば発泡スチロールとたいして変わらない脆さである。

 コマンドサンボなど使う必要もなかった。

 どれだけいようと所詮は骸骨。

 てんの掌はまさに猛り暴れる飢えた蛇―――猛蛇であった。

 幼女のようなしなやかな手足が骸骨に絡みつき、牙が骨をかみ砕く。

 ほんの数秒ののちには、鉄砲を持っていた足軽部隊と大砲を放っていた骸骨たちは再び物言わぬ屍に戻っていた。


「さーて、上の掃除は終わったけれど、このホネホネロックのボーカルはどこにいるんですかねー。……あ、まずは尤迦パイセンの生死も確認しとかないとー」


 命をかけて囮になった尤迦のことが一瞬頭から抜けていたのは、一暴れしたことで完璧な戦闘モードになっていたからである。

 このあたりが彼女がサイコパスロリータと呼ばれる所以ではあった。

 甲板の縁から顔を出そうとしたとき、


「―――しまったのお。まさか竜王と〈ダイダラボッチ〉を突破して、しかも〈髑髏足軽〉どもまで全滅させられるとは思わなんだ。恐ろしいのお、〈社務所〉の媛巫女というものは」


 先ほど、〈ダイダラボッチ〉が出てきたのとは異なる人のサイズの扉を開けて現われた人物がいた。

 黒染めの衣をまとった僧形。

 完全な禿頭のいかにも好々爺全とした老僧であった。

 しかし、その声を聞いた途端、てんは全身の筋肉が強張ったのを感じた。

 彼女らしくない、それは一言で言い表すのならば怯えであった。


(あれー、マジですかー?)


 雰囲気からすればこの老僧は間違いなく〈八倵衆〉だ。

 しかし、強さは感じない。

 だったらこの寒気はなんだろう。


(あ、てんちゃんわかっちゃいましたー)


 腹が立つことに認めるしかなかった。

 

「―――お爺ちゃん、呪力が桁外れに凄いんですねー」


 熊埜御堂てんほどの強者が物理的に怯えるほどの呪力。

 それは殺気によって人を傷つけるというあり得ないレベルの現象を引き起こすということに等しい。


「愚僧は、〈八倵衆〉の八天竜王はってんりゅうおうが一柱、摩睺羅伽まこらが王の文覚僧人じゃ。短い付き合いになろうがよろしくしてくれよ」


 呪力の怪物が、恐怖を知らないはずのサイコパスロリータさえ震わせたのであった…… 

 


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