第438話「てんと尤迦」



「あんたも或子も、まったくうちの村の連中以外でこんな無茶をする奴らは初めてだよ」


 尤迦は、完全に戦闘不能になった〈ダイダラボッチ〉たちを尻目にてんに言った。

 口調にも顔つきにも呆れた様子がある。

 確かに体格差があるから関節技は通用しないが、だからといってでかい相手に接近して小指を粉砕するなど常軌を逸している。

 自分のことを棚に上げて説教したくなる尤迦であった。


「でもー、ほらー、どんな相手でも戦わなきゃいけないじゃないですかー。てんちゃんたち、退魔巫女なもので」

「だからといってね……」


 言葉が詰まる。

 口では幾らでもでかいことがいえる。

 正義も語れる。

 勇気も誇れる。

 だが、実際に行動に出られるものは果たしてどれだけの数が存在するだろうか。

 古今未曾有の大災害が近づいていると知って、それを阻止するために足掻けるものがどれほどいるのか。

 尤迦たちには力がある。

 天人の子孫とまで言われているぐらいの神秘の力が。

 ただ、この娘たちはそうではない。

 古い家系の出だといっても与えられているのは普通の人間よりはマシ程度の力だ。

 それでどうしてこういう生き物になってしまうのか。

 さっきの御子内或子もそうだ。

 生き物として歪み過ぎている。

 人というのはここまで身体を張って生きていくものではない。

 特に他人や大義のためになんか。


「……でも、まあ、そういうのもありか」


 例えば、汚い言葉で喋ることしかできない人間がいるとする。

 その人間たちに必要だからといって敬語のみで話すように強制したとしても、うまく話ができるはずがない。

 慣れ親しんだ環境からは抜けられないものだ。

 どんなに必要があったとしても。

 この巫女たちは人のために戦うという生き方をしてきたのだから、いまさら、それは歪んでいるといってもどうにかなるものではない。

 そのように教育されてきたのだから。

 ただ、尤迦は胸の奥から羨ましく感じた。


「―――あたしも、あんたらみたいに戦ってみたいよ」


 ぽつりと呟いた瞬間、尤迦の視界に見逃せないものが映った。


「てん、下がって!!」


 同時にミニスカの巫女を突き飛ばし、自らも飛び退った。

 数瞬前に尤迦たちがいた場所に破裂音と共に土煙が舞った。

 斃した〈ダイダラボッチ〉の肉体を盾にして、てんは身をかがめた。

 たった今聞こえた音が鉄砲の音だと理解したからだ。

 彼女たちは上から狙撃されたのである。

 しかも一発や二発ではない。

 てんの聴覚が掴んだだけで二十数発。

 角度からして安宅船の甲板からの狙い撃ちだとすぐにわかった。

 確認のために顔を出せば撃たれるかもしれないので、すぐには動けなかった。

 彼女を助けた尤迦は少し離れた林の中に跳びこんで逃れていた。

 あちらも撃たれた様子はない。

 てんはそっと胸をなでおろした。

 尤迦がいなければ今頃ハチの巣になっていたのは彼女だったのだから。


「……尤迦パイセン、生きていますか?」


 そっと声をかけてみたが、反応はない。

 撃たれてはいないはずだから、何か不都合でもあるのだろうか。

 だが、しばらくすると返答が来た。


「てん、この安宅船の上に戦国時代の足軽っぽいのが並んで揃っているよ。あれ、なんとかしないと乗り込めないだろうね」

「マジっすかー?」

「うん、マジ」

「それは困りましたねー。埒があきませんよー」


 試しに顔を出してみようとしたら、直後に数発の乱れ撃ちを受けて引っ込まざるを得なかった。

 安宅船の甲板からの死角に隠れてはいるが、それ以上は何もできそうにない。

 身体を縮こませて気配を探るだけで精いっぱいだ。

 八方ふさがりになってしまった。


「……てん。ちょっとてん」


 反対側の茂みに隠れているらしい尤迦が話しかけてきた。


「なんですかー。てんちゃん、ちょっと考え中なので後にしてください」

「考え中って……あんた、あの鉄砲をなんとかするつもりなんでしょ」

「当り前じゃないですかー。何を言っているんですかー。もう静かにしていてくださーい」

「なんであたしが悪いみたいになってんの。―――いい、ちょっと考えがあるんだけど」


 すると、てんは首をかしげ、


「今、忙しいんでーあとにしてもらっていいですかー」


 上から目線で言った。


「天然もいい加減にしておきなよ、まったく。……あたしの位置からだと視えるんだけど、そこの安宅船の側面には大砲がついてるんだよ。鉄砲よりも、あれに狙われたらさすがに終わりだ」

「大砲……ですか」

「うん。あればっかりはどうしようもないかな」

「完全にお手上げですねー」

「だから、あたしが動く。囮をするから、あんたは隙を見て安宅船に乗り移ってみて。できるでしょ」


 それは普通ならば否、としか答えられない問いかけだった。

 だが、熊埜御堂てんにとってはやってやれないことではなかった。


「いくらてんちゃんでも、三十秒はかかりますよ。その間、逃げ切れるんですかー?」

「任せて。あたしには〈竜の目〉があるから」


 尤迦には通常の視界だけでなく、光景を上から俯瞰して眺めることのできるがある。

 普通の人間には自分の目がついている方向にしか視野は広がらない。

 その範囲でものを見るしかないのである。

 しかし、一部の人間はまるでゲームをするかのように頭上から離れたポイントからみることができる。

 これは天空を飛ぶ「鷹の目」とも言われ、競技を問わず一流のアスリートの中には多く見受けられる能力であった。

 このを持つアスリートは、自分がプレイするフィールドを支配することが可能であり、特にバスケットボールのPGポイントガード、サッカーのゲームメーカーに顕著にみられる。

 尤迦の持つ能力は、この「鷹の目」のさらに強化版ともいえるものであった。

 彼女の視点は、自分よりも遥かな高み、二十メートル以上も上空からざっと世界を見ることができるのである。

 これは「鷹の目」などというレベルではないため、便宜上、家族や仲間たちには〈竜の目〉と呼ばれていた。

 尤迦はこの視界を使い、自分たちを狙っていた鉄砲の存在にいち早く気づいたのである。


「あたしは、あの大砲の射程圏内に入る」

「……それっていくら尤迦パイセンでも死んじゃうと思いますけど」

「大丈夫。あたしは不死身だから。死んだことないし」

「あ、なるほどー。頭いいですねー」

「〈ダイダラボッチ〉がやられたことを上にいる奴は理解しているはずだ。だから、あたしが派手に動いたらまずあの大砲をぶっ放す。そしたら、いくらなんでも隙ができるから、あんたはそこから抜け出して船に上がって。できるよね」

「てんちゃんにお任せですよー」

「じゃあ、お願い」


 先ほど〈ダイダラボッチ〉にわざと見つかるように進み出でたように、再び、晴石尤迦は走り出した。

 今度は、船上にいる数十丁の鉄砲ときっと弾籠めがされているに違いない大砲を引きつけるために。

 一歩間違えれば大砲の弾丸で爆散しかねないが、尤迦の計算では十分に持ちこたえられるはずだった。

 それに彼女は一つ思い出したことがあったのである。


「そういえば、てんをあの安宅船まで案内するのが或子の依頼だったっけ。だったら、乗船するまで面倒を見ないとね」


 常人では思いつかない領域で義理堅いのは、雨舟村―――いや、晴石尤迦という女の子の産まれもった血のなせる業であったのだ。




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