第436話「妖怪〈ダイダラボッチ〉」



 ダイダラボッチ。


 学者・柳田国男が国造りの巨人と称した日本に古来から伝わる大きな人型の異名である。

 山に腰掛け、河で足を洗うなど規格外の大きさを表した伝説は数多く、それどころか海を埋め立て、山を作り、湖を掘ったともいうものさえある。

 むしろ、日本における巨人伝承のほとんどがダイダラボッチにまつわるものといっても過言ではないだろう。

 もっとも、そこまで巨大なものは確認されていないが、〈社務所〉においては七メートルから十メートル前後の巨人は妖魅の一種〈ダイダラボッチ〉としてカテゴライズされている。

 ただし、全般的に巨躯をもつ妖怪が多いとはいっても、そのサイズのものはまず人の傍に出るものではなく、まさに人里離れた山奥にしか棲みついていないとてんですら聞いていたのである。

 かつて先輩の二人が倒した〈手長〉〈足長〉ですら、四メートル前後でしかないことを考えると、安宅船の甲板で見張りをしている巨人たちがどれほどのものかわかるというものであった。

 単純にその倍はあるのだから。

 さすがのてんが二の足を踏むのもむべなるかな。

 だからこそ、彼女を追ってやってきたらしい尤迦のことがてんには理解できなかった。

 いくらバトルジャンキーでも、あいつらとは

 戦うなんて頭から考えたくもない敵であったからだ。


「―――てんはさあ、進撃の巨人読んでる?」

「はっ? 漫画のですかー?」

「そう。雨舟村だと、アニメは観れないんだよ。BD買ってるのはいるけど」

「まあ、いちおう読んでますけど……それがなんなんですかー?」


 いきなり振られた話題が漫画の話だったので、てんも面食らった。

 こんな緊張感たっぷりの場所でする雑談ではない。


「あれって十五メートル級だとちょっと厄介だけど、七メートル級ぐらいならそんなに敵じゃないよね」

「……え、あ、エレンの巨人は確か十五メートルだけど、小さいのでも普通は無理なんじゃないですか」

「でもさ、所詮はでかいだけだし。まあ、瓦礫とかばらまかれたらさすがに危険かも。あたしたちには立体機動装置なんかないから」

「サイズ差がありすぎですよー」

「あと、前から思っていたんだけど巨人の肉体ってさ、空気が凝縮したものなんじゃないかな。だから、見かけよりも軽いし、どこにいてもエレンが変身できる。高熱を発するのも膨張・凝縮の際の発熱だと考えると納得できるんだよね」


 随分と漫画を読みこんでいるらしい尤迦の発言についていけなかった。

 あの〈ダイダラボッチ〉をみて思いついた話をつらつらとしているだけなのだろうか。

 恐怖のあまりに狂ったのではないかと一瞬だけ思ったが、どうもそんな様子はない。

 さっきまでの飄々とした美少女のままだ。


「尤迦パイセンは何を言いたいのかわからないですよー」

「つまり、あたしは巨人には一家言あるということだね」

「もっとわかんないでーす」


 尤迦が前に出た。

 木の陰からでるということは、〈ダイダラボッチ〉に見つかるということだ。

 なのに、あえて身を晒した。

 意味するところはただ一つだ。


「あいつらは、あたしがやる」


 同時に双剣を抜き放った。

 刀身にぼんやりとした光が宿る。

 生き物の血を吸ってきた刃だけが光らせる妖刀の輝きだった。


「あのー、てんちゃんがさっき言ったこと忘れてません? 尤迦パイセンを戦わせる気はないんですけどー」

「理由が必要なの? じゃあ、一つあるよ」

「どんなです?」

「友達を庇うためってのどうかな」


 てんは首をひねって、


「尤迦パイセン、友達いたんですかー」


 と、心底不思議そうに呟くので、尤迦はがっくりとした。


「何言ってんのさ、あんたのことだよ。まったく、尤迦さんの精いっぱいの照れ隠しもわかってくれないなんて友達甲斐のないことはなはだしいね。これだから天然は」


『ヴォヰヰヰヰ!!!』


 巨人―――〈ダイダラボッチ〉の一匹が姿を見せた尤迦を目敏く見つけて吠えた。

 聞きつけた仲間たちもすぐに駆け寄ってくる。

 舳先から顔を出したのは合計四匹。

 すべて同サイズ、人間が相手にするにはあまりにも無茶すぎる怪物どもであった。

 だが、恐れも知らず尤迦は進む。

 自称・地上最強の剣士といえども、敵はあまりにも巨大で強大。とてもではないが歯が立つ相手とは思えない。

 しかし、背中に勇気ある巫女を庇って、雨舟村の少女は双剣を構える。


「女の子の本気を見せてあげるよ。かかってきな」


〈ダイダラボッチ〉は一匹残らず安宅船から飛び降りた。

 四匹分の体重のせいで地響きが渓谷を揺らす。

 足元に流れていた小川の石くれが飛び散り、地煙が沸き上がった。


『ヴォヰヰヰヰ!!!』


 降り立った黒い皮膚の巨人が右拳を振るった。

 まともに命中すれば自動車さえも破壊する剛腕が侵入者を叩き潰そうと落ちた。

 尤迦は流れるように右に、〈ダイダラボッチ〉の懐に潜り込む。

 そして、剣をすりあげた。

 黒い血飛沫が上がる。

 何をされたかわからない〈ダイダラボッチ〉がもう一度尤迦を潰そうと腕を引き戻した途端、巨人の右手はどこへともなく飛んで行ってしまい、茂みの中に突っ込んでいってしまう。


『?!!!!』


 巨人は何が起きたかわからず、自分の右手を見つめた。

 そこにあるべきものはなかった。

 二の腕の中ほど、半分までに鋭利な切断面があり、骨まで叩き斬られていたのに、無理をして腕を振ったことで吹っ飛んでしまったのだと気づくのに数秒かかった。

 戦いにおいて、その数秒は致命的なものになり得る。

〈ダイダラボッチ〉の右手にをいれたものが、そのまま何もしないで留まっているはずがない。

 足を止めることなく即座に動きだし、今度は双剣を鋏のように振るって、巨人のアキレス腱を叩き斬った。

 ぶちっと腱がちぎれる音がして、ふんばることができなくなって倒れてしまう。

 尤迦はそのダウンに巻き込まれないように、それでいて自分の姿がかき消えるように〈ダイダラボッチ〉の影を渡って移動する。

 右腕と右足を奪った以上、とりあえず継戦能力は奪ったはず。

 敵はまだ三匹いる。

 彼我戦力差は大きい。

 機動力で翻弄しなければならなかった。

 自分を遥かに上回る大きさのものに遭遇したとき、人間は足を止めずにはいられない。

 まだ哺乳類が小動物であったころの先祖の記憶のせいであろうか。

 捕食される生物であった頃の根本的な恐怖は、人からは拭いきれないのだ。

 ただ、尤迦には違う記憶がある。

 それは遥か昔、雨舟村に住みつく前の彼女の先祖たちの記憶だ。

 この〈ダイダラボッチ〉と匹敵する怪物・魔物たちと死闘を演じてきた異世界のような戦いの記憶。

 この記憶がある以上、ただでかいだけの怪物に怯むことはない。

 何よりも尤迦の剣尖は確実に巨人たちの堅いなめし皮のような皮膚さえも切り裂けるのだ。

 武器が通じない敵ではない。

 だから、彼女は窮鼠ではなかった。

 むしろ逆の立場―――狩人であったのだ。

 圧倒的な体格差を弾き返すように〈ダイダラボッチ〉の四肢をなんなく切り裂いていく。

 雨舟村に伝わっているものは或子たちが使うものとは系統が違うが、系統だって完成された気功術である。

 その一つ、〈強気功〉は人体の持つ筋力を強化し、振るう武器の力を倍増させることができる。

 尤迦はそれを使い、本来ならば歯が立たぬ敵の皮膚に牙を突き立てていく。

 まるで踊るように。

 最強を照れもなく名乗るだけの実力を証明しながら。


『ヴォヰヰヰヰ!!!』


 そのとき、両脚の腱を切られて倒れていた一匹の〈ダイダラボッチ〉があがいて振り回した手が尤迦を襲った。

 想定していなかった方角からの一撃にはさすがの尤迦もすぐに対処できず、咄嗟に回避するのがギリギリであった。

 だが、まだ健在の二匹の巨人が隙を見逃さなかった。

 力の限りの殴りと踏みつけを放ってきた。


「やばい!」


 尤迦は飛んだ。

 後方へ。

 だが、それは倒れていた一匹の胴体にぶつかり止まってしまう。

 飛んで火にいる夏の虫。

 追い詰められた。

 もう一度踏みつけようと、〈ダイダラボッチ〉がサッカー選手のように足を上げた一瞬、


「飛ぶ斬撃って知っているかな?」


 尤迦が頭上でクロスさせた双剣を振り下ろしたとき、そこから目に見えない何かが飛び、踏みつけようとしていた〈ダイダラボッチ〉の軸足の肉を刈り取った。

 軸足に力が入らなければあとは倒れるだけ。

 人のように意識して体幹を鍛えている訳ではない巨人はそのまま横倒しになった。

 しかも、すでに倒れていた同胞を道連れにして。

 本来人の内部にのみ働く〈気〉を剣の刃にこめて放出する〈魔斬〉―――雨舟村の住人のなかでも晴石尤迦のみが使える神技であった。


「さて、まだあたしは生きているよ。ちんたらしてないで、もっとしっかりしなよね。―――さあ、巨人ども、さっさと死ねやコラアアアあ!!」


 戦闘の昂揚もあってか、晴石尤迦は四体の巨人との魔戦を続行するために下品な叫び声を発した。


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