第435話「攻船戦へ」
奥多摩の地形に慣れた
踏み込んだ瞬間に脳がぼうっとする酩酊感に襲われるのは、人の神経を麻痺させる結界に入った証拠だ。
てんと尤迦の二人でなければそのまま酔っぱらったように眠りに落ちてしまうほどの濃い結界であった。
「―――鳥もけものも近寄んない訳だ。こんなのがいるんじゃ、人間以外はさっさと逃げちゃうか」
「凄い結界ですねー。長くいたらアル中になっちゃいますよー」
動物たちがいない静寂に満ちた森の中を、安宅船を目標にして近づいていく。
船の舳先から艫まで全長三十五メートルはあった。
徳川幕府の将軍の御座船として建造された天地丸が、かわら(船底材)が二十一メートル程度であったというから、この安宅船がどれほど巨大なものなのかわかるだろう。
しかも、こんなものが海上を進むかのように山奥を渡ってきたということに、てんは感心しきりであった。
あまりにも類を見ない行動だからだ。
西の退魔組織のダイナミックさに驚嘆するしかないぐらいだった。
「しかし、凄いなー。あんなものが陸を走るなんて。まさに地上戦艦ですねー」
「あれで木々は傷つけないってんだから」
「自然破壊をしない、エコという訳ですかー」
「多分、違うとおもうけど」
二人は〈気〉を立ちつつ、あと数百メートルという位置まで近づいた。
そこで、てんは言った。
「じゃあ、尤迦パイセンとはここでお別れですねー。ご苦労様でしたー。もし機会があったらまたどこかでお会いしましょー」
「……えっ」
近所のコンビニに雑誌でも買いに行くかのように気軽に熊埜御堂てんは歩き出した。
スキップでもしかねないほど足取りが軽い。
そんなてんを珍しいものでも眺めるように目を眇める尤迦。
「……ちょっと待ちなよ。あんただけで行く気なの?」
「そうですけどー。あ、着いてきたくてもダメですよー。ここから先はてんちゃんたちの戦場なので一般の方はお断りなんですからねー」
「どうしてさ? わかっていると思うけど、あたしは雨舟村の住人だよ。戦わせたら、向かうところ敵なしといってもいい。しかも、あたしはその中で最強だよ。どうして助力を求めないのさ?」
「えっ」
てんは、何を言われたのか理解できないというぐらいに目を大きく丸くした。
心底、イミフという顔だった。
「なに、その顔?」
「てんちゃんの可愛い顔に向かってなんですかー。ぷんぷんですよー」
「だって、あたしらの手を借りたいって奴らは歴史上でも山のようにいたんだよ。それなのに、あんたはまるで子供たちを護るように危険から遠ざけようとする。それはどうして?」
「うーん、スーパー或子先輩も言っていたじゃないですか。地元住民は案内だけでいいって」
「だけど、あたしも参戦した方が早くすむと思うんだけど」
すると、熊埜御堂てんは笑っていった。
「なんですか、もー。尤迦パイセンは戦いたいだけじゃないんですかー。いいですかー、あいつら仏凶徒は
「鉄心というのは東海道でやられたという巫女だっけ」
「ええ。……それに知ってますかー。〈
てんは視線を逸らして、尤迦に後頭部を見せた。
何か、他人に見せたくないものがあったのだろう。
そして紡がれた言葉には怒りがあった。
「絶対に許しちゃいけないと思うんですよねー。強いものが弱いものを庇わないなんてあってはならないんじゃないかなー」
再び、尤迦の方へ顔を向けたときにはいつものてんに戻っていたが。
「それに、てんちゃんには偉大な目標があるのです!」
「なにそれ?」
「―――天下ラブ、ですよー!」
「天下不武でしょ」
「愛を天下の民にばら撒いて地方再生を狙うのがてんちゃんの野望なのです!!」
それだけ自信満々に宣告すると、てんはバイバイと手を振って走り出した。
遠ざかっていくミニスカ巫女の後姿を、双剣の少女はとても羨望に満ちた顔で見送っていた。
なんとなく負けた気がして、自称・世界最強の剣士は憮然とするしかなかった。
「……釈然としないなあ。あんたたち、マジでヒーローみたいじゃんか」
晴石尤迦はこんな風に扱われてことがないからか、どうしても居心地が悪くて仕方のないのであった。
◇◆◇
山中に停泊した安宅船は近づけば近づくほど巨大さを感じさせる。
いきなりビルディングが出現したかのように、周囲からは浮いて見える。
人払いの結界さえなければ目立って仕方のないところだろう。
能天気なてんでさえ威圧感を覚えてしまうほどだ。
「むー、さすがに怖いですねー」
そんな口ぶりとは裏腹に躊躇うことなく接近していく。
もう少しで辿り着こうというと、ガタンと頭上で大きな音がした。
同時に吹きだしてきた尋常でない濃さの妖気に思わず口を押える。
はっと上を見る。
もっとも強すぎる妖気を発しているものがいる訳ではない。
質ではなく量だった。
何体も妖気を発しているものが、船の上―――すなわち甲板に出現したのだとてんの勘が告げる。
(なんなんですかー?)
もう少しで船に乗り込めるかもしれない距離でありながら、てんはいったん引くことを選ぶ。
彼女はサイコパスロリータと呼ばれるほどにクレイジーな性格の持ち主だが、強引に攻めるだけでなく臨機応変に動くことができる。
頭上にいるだろう正体不明の敵に見つからないように、木の陰に隠れつつ、上を観察してみる。
さすがのてんが驚愕のあまり声を出しそうになった。
「うわ……マジですか……」
甲板に張られた柵越しに下を覗き込んでいるものは、安宅船に相応しい巨大な顔を持っていた。
153センチの身長しかないてんなど一呑みにしてしまいそうな地割れのような口を持ち、眼球だけでニンゲンの頭ほどもある巨人。
それが甲板に一匹、さらに櫓のような天守閣から一匹が顔を出し、扉の奥にももう一匹が潜んでいることがわかる。
全長が七メートルはあろう黒い墨のような皮膚をもった怪物が下界を睥睨していた。
近づくものを屠り去ろうという番人の挙動であった。
てんにはわかった。
先ほど、一遍僧人が比較的簡単にこの船から離れた訳も。
あの巨人たちという守護者を残していたからだということが。
「〈ダイダラボッチ〉……。なんて悪いものを飼っていやがるんですかー」
人型とはいえ、あれだけ巨大なものを相手にてん得意のコマンドサンボは確実に通用しないだろう。
だが、だからといって引くわけはいかない。
彼女の先輩が自ら敵の足止めを買って出たのか知っているからだ。
「仕方ないかー」
てんは覚悟を決めた。
いかに恐ろしい敵といえど、やらねばならないときはある。
だが、そんな彼女の隣に一人の影が並んだ。
追いつかれていたことさえまったく気が付かなかった。
考えてみれば、腰に佩いた双剣を隠し通せる相手が自分の気配を完全に消せないはずがない。
ずっと傍にいられたとしても気づくことはないだろう。
そして、その影は言った。
「―――やっぱり、手伝わせてもらうかな。あんたは知らないだろうけど、巨人退治はあたしの実家の晴石家の専売特許なんだよね」
晴石尤迦は巨人を見ても寸毫も恐怖を抱かない、まっすぐすぎるほどの瞳を持っていた。
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