第434話「蛇群乱舞」



「何かが巻き付いているんじゃないか!! 手に!!」


 という升麻京一からのアドバイスを耳にして、御子内或子の脳裏に閃くものがあった。

 

(さすが京一、いいヒントをくれた)


 ついさっきまで或子は一遍僧人の〈捨聖〉を破る糸口さえ思いついてなかった。

 数えきれないほど投げ捨てられても、玩具のように扱われても、ただ特攻するしか術がなかった。

 だが、京一の言葉が或子に与えたものは、唯一の手掛かりとなったようなものだ。

〈一指〉。

 断崖から落ちようとするものがひっかける、命を護るための命綱となる指一本分の幸運。

 決して諦めずにもがき足掻くものに発動する京一のラッキーが、今度は或子の力となる。


(確かに、ボクを回転させたアレは独楽のものを思わせるところがある。つまり、京一の言う通りにあいつに触れた瞬間、手足に何かが巻き付いている可能性があるんだ。それを手を引く動作で開放し、ボクを翻弄した。巻き付かれた感触はないけど、タイミング的には説明がつく。―――じゃあ問題は)


 何を巻きつけているかだが、すでに予想はついていた。

 一遍僧人といえば再出家した際のエピソードが有名である。

 彼は名家の生まれであり、なんと二人の妾がいた。

 二人は仲が良く見え、一遍は安心していたという。

 あるとき、二人が頭を突き合わせて昼寝をしているシーンに出くわす。

 だが、最初こそ微笑ましく見ていた一遍であったが、そのうちに女たちの髪の毛が無数の小さな蛇となり食い合いを始めるのを目撃する。

 それは女同士の嫉妬が具現化したものであった。

 仲が良い風に装い、実際に仲が良かったのかもしれないが心中ではそこまでの嫉妬の炎を燃やしていたのだ。

 これが執着心―――人を地獄に落とすものだと一遍は信じ、この生活を捨てることを決意した。

 とにかくすべてを捨てることこそが必要だという強迫観念めいた決意を抱いた一遍はその後に時宗を立ち上げる。

 蛇はときおり嫉妬や執着心に例えられる。

 そして、〈サトリ〉の読心能力を遮るという〈色即是空〉という術。

 そこから導き出されることは一つだ。


(あいつは自分の心中の物欲や執着心を追い出すために〈色即是空〉で心を空にする。そして、追い出された物欲が視えない蛇となりあいつの掌に集められる。視えない蛇はあいつの掌に触れたものを刹那の速度で拘束してしまうということだね)


 蛇の速度というものを多くの人は甘く見ている。

 普段はのろのろと這いずって回る蛇だが、その蛇腹と独特のスラロームから始まる移動は、猛スピードで走るウミイグアナの子供に絡みついて殺してしまうほどなのだ。

 発動条件が決まっているとすれば、触られた瞬間に巻き付かれていたとしてもおかしくない。

 それに、〈八倵衆〉としてのあいつは八天竜王(はってんりゅうおう)が一柱(いっちゅう)竜王と名乗っていた。

 もともと竜王とは蛇やその他の長いものを支配する八部衆のことだ。

 ならば、一遍僧人が蛇を使ったとしても不思議はない。


(よし、だいたいの目星はついた。あとは、どうやって攻略するかだけど)


 さすがにすぐには浮かばなかった。

 だが、突破口を思いついただけでも大前進だ。

 一遍僧人の〈捨聖〉は、防御一辺倒の業だということはわかっている。

 本来ならば放っておけばいいだけだ。

 しかし、〈八倵衆〉の背負っている種子島鉄砲は八咫烏やドローンを叩き落し、猿のように逃げ回る〈サトリ〉に当ててくる必殺の武器だ。

 放置など絶対にできない。

 或子としては是が非にでも無力化しておかなければならない相手だ。


「そろそろいくよ、竜王。キミの掌に潜む不可視の蛇の破り方もそろそろわかってきたところだ」


 はったりではあったが、それで相手がぶれればいい程度の発言だった。


「……」


 だが、思った以上に一遍僧人には効いたようだった。

 そこで或子は勝ち誇ったような表情を浮かべた。

 挑発のためである。

 ハッタリ、虚言、嘲り、煽り、挑発、正面から勝つためならば御子内或子はなんでもする。

 例外はなかった。


「そういえば、さっきキミは聞き捨てならないことを言っていたね。てんの方がボクよりも良かったみたいな。てっきり実力の話だと思っていたけれど、そうじゃないんだな。意味がわかったよ」

「……なんだと」

「キミが蛇を使うものだとわかれば簡単だ。ボクはキミなんかよりももっと恐ろしい猛蛇を知っているからね。子供みたいに害のなさそうな顔をしているくせに、下手に手を伸ばせば、関節を砕き、骨を折り、心を潰す最凶の蛇が」


 或子は口元を歪めた。


「確かに、あいつだったら、キミにだって余裕で勝てただろう。同じ蛇同士だからね」


 一遍僧人の顔色が変わった。

〈色即是空〉はそもそもの意味合いとは別に感情を消すものではない。

 単に思考を飛ばし、執着心から蛇を産むためだけのものだ。

 或子のような小娘に嘲られても黙っていられるほど、彼はできた人間ではなかった。

 凶暴性を増した魔人である〈八倵衆〉であるということは、同時に人間性を喪失した集団の一員であることである。

 いかに高僧ぶったとしても彼らは地に落ちた破戒僧なのだ。


「小娘―――っ!!」


 この戦いが始まって以来、初めて一遍僧人は踏み出した。

 これまでの攻防で一度も動かなかったのである。

 それが前に出た。


「ふざけるな!!」


 前に出させたといっても或子に勝ち目がある訳ではなかった。

 少なくとも、〈捨聖〉かそれに繋げる〈色即是空〉のどちらかを破らなければならないのだから。


「拙僧に触れればそれだけで打ち捨てられる貴様が、そこまで大言を弄するか!!」


 一遍僧人は激怒した。

 この愚昧な巫女を決して許さぬと。

 相手の先手を待ってから放つ必要はない。

 もともと彼の中の蛇は敵を緊縛するためだけのものだ。

 触ってしまえばそれで終わりなのだから。

 逆に一歩も動かなくなった或子目掛けて掌を伸ばした。

 どんな反撃とて掌で受けきれる自信がある。


 今度は確実に頭からアスファルトに叩き付けてその細っこい首を叩き折ってくれる!


「―――増上慢がすぎるぞ、破戒僧! だから、油断をする!!」


 或子が叫んだ。

 同時に、一遍僧人は横合いから何かが自分の頬をしたたかにぶん殴る痛みを感じた。

〈捨聖〉を覚えて以来、一度も体験したことのない衝撃であった。

 誰かが彼を殴ったのだ。

 だが、そこには誰もいない。

 あるだけであった。

 

「……実は私も仏凶徒おまえたちに借りがあったのだ。忘れていたよ」


 誰にも視認することのできない透明人間による奇襲の一撃であった。

 常ならば彼らのように〈気〉を使うものに対して、透明人間の優位性は失われる。

 人の肉体の放つ〈気〉を読まれて居場所を察知されてしまうからだ。

 しかし、このとき、一遍僧人は或子の挑発に踊らされ、その警戒を解いてしまっていた。

 だから、ロバート・グリフィンの接近を許してしまったのだ。

 

「なんだと!?」


 ロバートに対して〈捨聖〉を使おうと掌を向けた瞬間、そこを見逃す御子内或子ではなかった。

 彼女は全身に練気して溜めこんでいたすべての〈気〉を解放した。

 その瞬間、人間としてはありえない量の〈気〉が放出され、或子が少し動いただけで〈分身〉を幻視してしまうようになる。

 一遍僧人は、視えない透明人間よりも一、二、三体に分身したかのようにみえる或子に対して掌を向け直した。

 最初は中央の、次に右、さらに左に触れ―――られなかった。

 それらはすべて幻覚。

 いや、高速移動する或子の遺した残像を〈気〉が増幅した結果の幻であった。

 触れられるはずがない。

 では、或子はどこに消えたのか。

 答えは背後。

 一遍僧人の手の届かぬ後方、しかも身体を低く下げて這いずる混沌のように、蜘蛛のように回り込んでいた。

 そして、股の間に突っ込んで足同士を絡ませて、〈八倵衆〉を前に転がす。

 無様に顔面から道路にぶつかり、鼻血をだした。

 しかし、それだけでは止まらない。

 一遍僧人に決して触れられぬように背後から襲い掛かった或子は倒した反動で上半身を担ぎ上げて、そのまま頭突きを延髄にお見舞いした。

 人体で最も堅い額で急所中の急所―――延髄を打ち砕く。

 亀の肉体と蛇の尻尾を持ち伝説上の神獣・玄武を思わせる、或子の編み出した攻撃であった。

  

「―――延髄砕き、さ」


 いかに魔人といえども、それほどの攻撃を喰らい無事でいられるはずがない。

 一遍僧人はそのまま動かなくなった。

 駆け寄ったロバートが脈をとって、まだ生きていることを確認しただけで驚愕するほどにまさに致死性の技であったのだ。


「御子内さん!!」


 まだ完全に危険が除去されたとは言えないのに、自分の身を案じてやってくる相棒に御子内或子は親指をたてて応えるのであった。



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