第429話「八咫烏と〈サトリ〉の逃亡劇」



〈サトリ〉は突然襲い掛かってきた、墨染めの衣をまとった僧侶から逃げることにした。

 心を読む妖怪である〈サトリ〉は、無機物の考えていることさえ読み取ることができるが、幾つか例外的なものがいる。

 それがあの僧侶であった。


『こっちに来るとき、あいつ、「〈色即是空〉」とかつぶやいてやがったなあ。ありゃあ、心に兜をかぶる術だ。こたあ、わいでは敵わんということかよ』


〈サトリ〉は言動と見た目に反して、極めて知性の高い妖怪である。

 相手と自分の力量差というものを的確に分析できる。

 人の心を読み続けてきた結果、人のように思索にふけることができるようになったからであろう。

 だから、近づいてくる危険な僧侶とは戦わないという選択肢を選び、逃げ出すことに決めたのだ。


『逃ゲロ……アレハ仏凶徒ダ。妖魅トミタラスベテ殺サズニハオカナイ破戒僧ドモダ』

上方かみがたには恐ろしい坊主がいるというが、あいつらのことかよ。ここ百年、あの手のものは見た覚えがねえんだけんど』

『関東ニハ我ラノ徳ノ高イ巫女タチガイルカラダ。ダガ、奴ラハツイニ約定ヲ破ル気ニナッタノダロウ』

『面倒なこって』


 腕の中に抱えた瀕死の(疑似生命ではあるが)八咫烏と会話しながら逃げる余裕が〈サトリ〉にはあった。

 なんといっても奥多摩ここは彼の棲家で縄張りだ。

 どれほど猿のように撥ねて追跡してくるとはいえ、不慣れな人間に追いつかれるはずがない。

 しかし、対峙して対決するのはヤバいとあやかしの本能が告げていた。

 ここ最近では似たような気配を感じさせたのは冬にやってきた色とりどりの髪をした巫女だけだ。


『あいつにゃあ勝てる気がせんかったが、今度のも大概だあ』


〈サトリ〉が少し前のことを思い出していると、もっと何百年も前に嗅いだことのある据えた臭いが鼻孔に届いてきた。

 火種の臭いだった。

 それが指し示す事実は一つだ。


『鉄砲だと!!』


 八咫烏が撃たれたことはわかっていたが、それよりもこんな火種と火薬の臭いをさせるような古めかしい武器が使われていることに〈サトリ〉は驚いた。

 もう百年も前にすたれたはずの古い鉄砲だった。


 タアアアアアアン


 音がして〈サトリ〉が咄嗟に木陰に隠れても弾丸は当たることはなかった。

 外した―――のではない。

 別の方角に向けて撃ったのだ。

〈サトリ〉以外の何かを狙ったのだ。

 それはなんだ?


『ちぃと昔に戻ったみてえだなあ!!』

『奴ラハ過去カラノ亡霊ヨ』

『まったく里の子どもはわからん!!』


〈サトリ〉を追ってくるものはどうもまともな相手ではない。

 妖怪である彼から見ても異様なのだ。

 そういえばさっき〈サトリ〉の縄張りにあった鉄板を張り巡らせた木の船も異様といえば異様だ。

 だいたい山中に海に浮かぶべき船があること事態おかしすぎるのである。

 心を読めるほど接近を許すのは危険であるとわかるが、あまり引き離してもあの鉄砲で撃たれることになるかもしれない。


『我ヲ捨テヨ。アノ破戒僧ハ我ヲ追ッテオルノダ』

『そうみてえだが、懐に入っちまったもんを見捨てたらあ寝覚めが悪いんだなあ、これが』


 かつて〈サトリ〉は心が薄れかけている死人返りの女を助けてことがある。

 その時も同じだった。

 瀕死の生き物を見捨てることができない。

 この妖怪はどうにもお人好しなのだ。

 必死で慣れた山中を走り、ついに人間たちの作った道路に達した。

 この辺りでは数はそれほどではないが、クルマと呼ばれる乗り物が行き交う道だ。

 走るには適しているが、逃げ続けるには目立ちすぎる。


『……どうする』


 と首をひねりかけたとき、パンと背中に熱い衝撃が走った。

 やや直前にタアアアアアアンという鉄砲の音がしていたから、背後から獣のように撃たれたのだろう。

〈サトリ〉はどっと倒れこんだ。

 妖魅ではあるが、銃で撃たれれば傷がつく。

 特に御祓いやら聖水で鍛え上げられた弾丸であれば、最悪、妖怪とてあっさりと殺されることはあるのだ。

 さらに言えば例の〈色即是空〉という心を防護する術のせいだろう。

 撃たれるタイミングから読み取れない。


『―――いたたた、参ったなあ』

『ダカラ逃ゲヨトイッタノダ、オ節介ナ妖怪メ。オマエダケデモ逃ゲヨ!!』

『いや、そおもいかねえべ』

『オマエ……』

『逃げ籠城をしていた甲斐があったってえもんだしよ』

『ナンダト?』


 倒れこんだ〈サトリ〉が横目で道路の反対側を見ると、そこには黒く大きな外車が停車していた。

 そして、二人の巫女と、双剣を腰に佩いた少女剣士が臨戦態勢をとっている。


『オオオ、巫女ヨッ!!』


 八咫烏が鳴いた。

 こんな時に誰よりも心強いものたちがやってきてくれていたのだ。


『オマエ、コレヲワカッテイテ……!!』

『まあなあ。あんな山火事みてえな闘気を剥き出しにしているやつらなんぞ、そんなにはいねえからよ。わいの頭の良さだなあ』

『フン、言ッテイロ、木偶ノ棒メ』


 駆け寄ってきた御子内或子と熊埜御堂てん、そして晴石尤迦がついに戦場に辿り着いたのである。


          ◇◆◇



 木の根が乱雑に剥き出しになっていたり、湿って濡れやすい木の葉を踏まずに移動した方がよいということで一遍僧人は樹上をましらのように飛び跳ねて移動していた。

 忍びでいう〈猿飛〉の術だった。

 もともと一遍僧人は甲賀の忍びの出身であり、このような動きはお手のものだった。

 それでも人外の妖怪を捕捉するのには時間を要した。

 この奥多摩が妖怪の住処であることを考えれば追跡が続いているだけで奇跡的なのではあったが。

 しかも、途中明らかにおかしな動きをする空飛ぶ機械を種子島で撃ち落として時間をロスしてしまった。


「仕方ない。射殺すか」


 どのみち妖魅は残さず殲滅するのが〈八倵衆〉の最大の目的だ。

 足を止めるリスクを鑑みても逃がすよりはましだろう。

 一遍僧人は種子島を無造作に構えた。

 彼の射撃術〈不動撃ち〉である。

 数キロ以上の距離があったとしても一匹の虫を射殺す超絶的な射撃である。

 ロバートの操作するドローンを叩き落としたのもこの術であった。

 照星が完全に逃げる妖怪を捉える。

 どんな妖怪かは知らないが、八咫烏を逃がそうとしている以上、彼の宗派の敵であった。


「南無三」


 破戒僧とは思えぬ祈りを捧げ、引き金をことんと絞る。

 同時に音が鳴り響き、妖怪は道路のアスファルトに倒れる。

 百発百中だ。

 種子島を背負うと獲物の様子を見ようと道路に降りたった。

 瞬間、凍り付く。

 西日本すべてに悪名轟く〈八倵衆〉の最高戦力である八大竜王の一柱である自分の背筋を凍らせる敵がいた。

 しかも、三人も。

 改造装束をまとった二人の巫女と、双剣を携えた一人の少女剣士。

 かつて会敵したことのない強者たちが揃っていたのだ。

 少女の皮を被った闘神どもが。


「坂東一の武士もののふと人は云う、か……」


 思わず口走った句そのままの、現代のもののふが悪鬼たる彼の前に立ちはだかったのである。

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