第427話「二人の僧人」



『アレカ?』


 朝になってからずっと奥多摩の上空を広範囲で飛び回っていた八咫烏が、入り組んだ沢の一画に巧妙に停泊している安宅船を発見した。

 あまりにも巨大な船を隠すためなので結界の力は弱まっていたが、それでもかなり高度を下げなければ見つからなかっただろう。

 人間たちが作った道からも遠く、けもの道からも外れたところであった。


『小賢シイナ』


 八咫烏は、もともと陰陽道でいうところの式神を〈社務所〉の独自の技術で強化した使い魔である。

 自律した思考も持っているし、思考に基づいて物事の意味を模索する能力も有している。

 ゆえに、あの地上を航る安宅船が、ただ単に隠れ潜むためだけにあそこに停まっているとは思わなかった。

 もし隠れるだけならばもう少し適した場所はいくつもある。

 だから、停まっているのだろう。


『モウ少シ接近シテ、様子ヲ見ルベキカ』


 だが、八咫烏はこれ以上はの接近はまずいと判断した。

 主である巫女たちのためにも情報が欲しいとは思っていても、安宅船を目視できる高度に至るために敵の結界内に入り込んでしまっている。

 これ以上は悟られるかもしれない。

 強行偵察というのならばともかく、隠密裏に敵を索敵するだけならば気づかれるのは愚の骨頂だ。

 八咫烏が翼を翻して、この空域から離脱することにした瞬間―――


 タアアアアアアン


 朝の静寂に破裂音が響き渡り、八咫烏は全身に衝撃を受けてそのまま地面へと落下していった。

 痛みを感じぬ疑似生命体の八咫烏を無力化させる弾丸が、彼を撃ち抜いた結果であった。

 錐揉みしながら地面に向かっていった使い魔は完全に沈黙していた。

 その落下を遠くから眺めるものたちがいた。


「どうした? 何を撃ったのじゃ?」


 声をかけたのは、格好こそ袈裟を纏った僧形であったが、腰まである長い白髪をした細すぎる眼をした老人であった。

 鶴のように痩せていることもあり、まるで針金が人間となったかのようだ。

 好々爺全としているが、造る表情のいたるところに人を見下すような傲岸不遜な態度が溢れている。


「―――坂東巫女の式神らしいものが飛んでいた。勘付かれたのかもしれん」


 八咫烏を撃ったのは、こちらは丁寧に頭を剃った壮年の僧侶であった。

 白髪の僧侶とはまた形の違う袈裟をまとっていて、二人が別の宗派のものであることがわかる。

 彼らはともに別の宗派に属する僧侶なのだった。


「まさか。中山道も東海道も避けて、わざわざこの〈山王丸〉を持ち出して時間を掛けて移動したのも〈社務所〉の連中に邪魔されぬようにだぞ。まさか、気づかれたとは思えん。それに東海道を上がった孔雀のせいで警戒はあちらに向いているはずじゃ」

「孔雀―――迦楼羅王が下手を打ったのかもしれぬわ」

「それこそ、まさかよ。あの孔雀踏海めは、拙僧らとも違い、仏破襲名すらしておらぬのに〈八倵衆〉にまでのし上がった怪物じゃぞ。へまをするとは到底思えぬ」

「では、偶々ということか?」

「以外には考えられぬな」


 手に古式ゆかしい種子島鉄砲を抱えた僧侶は、やや納得いかなげな表情ではあったが、渋々と妥協した。

 確かに、人目につかない深山を選びに選んで本拠地の関西からここまでやってきたのだ。

 しかも目立ちやすい昼間は避けて、隠密裏に時間を掛けてきた。

 船全体を包むために弱くなってしまっていたとはいえ人払いの結界も張っている。

 、見つかるはずはなかった。

 関東の事情に不如意な彼らとしてはそれでも限界まで警戒を重ねた結果なのである。

 八咫烏との遭遇もただの偶然と片づけるしかなかった。


「……では、一遍いっぺん僧人しょうにん。あとはおぬしに頼もうか」

「行に入るのか?」

「うむ、すでに龍脈の位置までは辿りついておる。あとは、愚僧の意識めを井戸の底深く落とすだけじゃ」

「結界が緩くなるな。坂東巫女どもがやってくるかもしれんぞ」

「なに、八咫烏を撃ち落としたことに〈社務所〉のものどもが気づいて動くまではまだまだ時間がかかろう。昨夜かけたちょっかいでだいたいの感触は掴めた。今日の深夜までにはなんとか操れるようになるじゃろうさ」


 昨日の夜、午後九時ごろに行った前哨戦的な行でも予想通りの結果は出ていた。

 ならば、さらに一日かけて万全の準備を整えれば、彼らの苦労も報われるというものである。


「〈社務所〉の巫女が来たとしても、明日以降ということか」

「まず、な。その頃には帝都そのものが壊滅しておるじゃろう。人を殺さぬ正位置の仏法とは異なる、我ら〈八倵衆〉の反位置の仏法の御業の力じゃ」

「大勢の衆生を犠牲にするのは気が進まんがな、文覚もんがく僧人しょうにん

「いい加減、諦めることじゃな。我らはともに〈八倵衆〉の摩睺羅伽まこらが王と龍王であるのだからの」


 そういうと、カラカラと笑いながら摩睺羅伽まこらが王・文覚僧人は、安宅船の甲板から内部へと消えていった。

 見送る側の龍王・一遍僧人は、肩をすくめて、再び愛用の種子島に火薬と弾丸を込める。

 彼の使う秘伝・忍術射撃にはこの種子島鉄砲が必須なのだ。

 何百年前の武具といえど、使い続けるしかない。


「とはいえ、狙うだけで二キロ離れた蜂さえ落とせる術のためならば我慢できる苦労ではあるか」


 弾を詰めた鉄砲を肩に背負うと、一遍僧人は自分の仕事のために甲板に座り込んだ。

 彼の仕事―――それは護衛だ。

 さきほどの文覚僧人がなすべきことをなすまで、邪魔をするものたちをすべて排除する。

 それが〈捨て仕事〉を旨とする彼の役目なのだ。


「拙僧だけで守れ切れれば、船の中の奴ばらを解き放たずに済む。来てくれるなよ、坂東の巫女どもよ」


 手に持った古風な鍵を弄りながら、達観した風情で呟く一遍僧人であった……



           ◇◆◇



 同じころ、通常ならば決して手出しされることのない高度を飛翔しながらも狙撃された八咫烏は、地を這いずり回っていた。

 命をもたない疑似生命体の使い魔であるからこそ、死ぬことはなかったが、弾丸を受けたことで全身の羽根と肉が飛び散り、まともに飛ぶことはすでに不可能になっていたのである。


『グググ―――コノコトヲ巫女タチニ伝エネバ……』


 安宅船の位置と敵の持つ長距離狙撃の存在についてだった。

 かつて御子内或子と柳生美厳が狙われた時のように、接近戦が主である〈社務所〉の退魔巫女にとって狙撃手は天敵である。

 知らずに近寄ればケモノのように殺されかねない。

 だから、なんとしてでも伝えようとしていたのだが……


『飛ベヌノガコレホド悔シイトハ……』


 八咫烏は何度羽ばたいても浮くことさえできなかった。

 動くためには誰かに運んでもらうしかない。

 しかし、こんな山奥に誰がいるのか。

 登山シーズンでも、登山コースでもない場所の何もない大地なのだ。

 焦るばかりでほとんど進めない。

 死なぬということでさえ枷のようであった。


『おめ、変わった鳥じゃなあ』


 上から声が降ってきた。

 使い魔でもある八咫烏にはすぐにわかる、それは妖怪の声であった。


『ははあ、巫女のところの使いッパシリの鳥なのかあ。どおりでニンゲンみてえなことを考えよると思うたわい』


 呑気な喋り方をする妖怪であった。

 八咫烏は自分の体が抱え上げられたことに気が付く。

 抵抗しようにもすでに身体は壊れてしばらく動けそうにない。


『離セ、妖怪メ』

『だども、おめは巫女のところへ行きてえんだろ。だったらわいが運んでやるよ』

『ナンダト……?』


 彼を抱え上げた妖怪は、大事な宝物でも持つかのように丁寧に扱ってくれた。

 まるでどういう風に抱き上げたら喜ぶのかを知り尽くしているかのようであった。


『オマエハ……』

『口をきかんでもいいぞ。わいは、おめの思うちょることがすべてわかるからなあ』

『心ヲ読マレタ……?』


 すると、上半身は裸で、下半身は猿のように毛むくじゃらの姿をした能面のごとき硬い貌をしている妖怪はにたりと笑った。


『そうだあ。ここはわいの縄張りなんだ』


 と、妖怪〈サトリ〉は言った。

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