第425話「雨舟村の住人」
その日、2016年4月15日の金曜日。
僕ははっきりとした意思で高校をズル休みした。
今までも結果的に学校をさぼったり、早退してしまったことはあるが、朝から完全に自主休校してしまうことはまずないことである。
前日の夜、そろそろ寝ようかなと思っていたとき、思いもよらない人から電話があった。
〔久しぶりですね、貴方様とは〕
それは退魔組織である〈社務所〉の重鎮である御所守たゆうさんであった。
耳に障りのいい品のある鈴のような声は、相当なお年を召しているはずなのに妙齢の美女としか思えない。
ただ、彼女と通話するなんて初めての経験だった。
番号自体は他の誰かから聞いたのだろうから知られていてもわかるが、僕に直接電話をしてくるなんて想像もしていなかった。
「お久しぶりです」
年末の〈迷い家〉事件以来だろう。
〔単刀直入に言うと、貴方様にお願いしたいことがあります〕
まあ、そういうことだろうとは思っていた。
古風に言うのなら、「おいでなさった」とでもいうべきか。
僕は何を頼まれてもいいように身構えた。
〔明日、平日で申し訳ないのですが、うちの巫女のお守りをお願いしたいのです。一日で終わるかどうかは定かではありませぬが、火急の事情がございまして貴方様の御助力を必要としております〕
「……御子内さんの手伝いでしょうか?」
〔はい、或子のです。うちとしてはもう一人、てんを送る予定ではありますが、それだけでは心許ないので、是非、ご尽力を賜りたいのです〕
てんちゃんが派遣されるということは、当然、透明人間のロバートさんも来るということだ。
それだけでは足りない事情があるということか。
しかも、下手をしたら明日からの週末すべてをかけてもおかしくない事件ということである。
何日も家を空けるのは問題だが、もう今更かな。
僕としては御子内さんが心配だし、付き合うのは吝かではない。
「わかりました」
たゆうさんは〈社務所〉の偉い人であるし、アルバイトの身では逆らえるはずもない。
情けない保身を発揮して、僕は気軽に返事をしてしまった。
それがどれほど危険な案件か知っていたらさすがの僕でもためらっていたかもしれないのだけれど、この時は知りようが無かったのである。
◇◆◇
「……一昨日、明治神宮の敷地にある〈
中央線の立川駅で待ち合わせをしていた御子内さんが、缶コーヒーをぐいぐい飲みながら言った。
いつも通りの改造した巫女の服装とリングシューズ姿だ。
道行く人々から向けられる奇異な視線についてももうまったく気にならなくなったのはいいことなのだろうか。
この点、御子内さんが超絶・美少女でよかった。
「来客って?」
「雨舟村の住人さ」
「どこ、そこ?」
とはいうものの、その村の名前には聞き覚えがあった。
確か、奥多摩のさらに奥にあるという村の名前だ。
オカルト的にはたいそう有名なのだという。
「噂には聞いているだけで、ボクも見たことはない。村からはあまり出てこない連中らしいからさ」
「そこの村では学校とかはどうしているの?」
「さあね。もともと日本にあって日本ではないところみたいだから、何とも言えない。実は黙って宿舎とかに入って勉強したりしているかもしれないけれど」
戸籍制度が発達した現代の日本ではあまり現実味のない人たちのようだ。
世界の裏事情に通じた〈社務所〉にも情報が無いということはかなり異様なことのような気がするけれど。
「これも噂で聞いただけだけど、ボクらとは人種からして異なるらしいしね」
「へえ。鬼とか、こないだの〈山姥〉が昔漂流して流れ着いた白人じゃないかという説と一緒だね」
「いや、違う。雨舟村の住人は、天人の子孫だと言われているんだ」
天人?
なんだろう、それは。
「空から降りてきた人々の子孫。俗に言う宇宙人のことじゃないかな」
「宇宙人!? まさか!?」
ここ数年で、妖怪、幽霊、妖精、怪獣、殺人鬼等々さまざまなものを見てきた僕だったが、さすがに宇宙人と異次元人と地底人と未来人には会ったことがない。
これからもなさそうだったけれど、ついに宇宙人がやってきそうな気配にはもう呆れるしかなかった。
男塾だって宇宙人とだけは戦っていないが、御子内さんだとやりかねない予感はするけど。
「そういう噂だよ。まあ、人種が違うというのはあながち間違いではなさそうだ。ちょっと普通ではない連中だからね」
「というと?」
正直、流行の言葉でいうなら、まさに「おまゆう」である。
その雨舟村の人たちだって御子内さんにだけは言われたくないだろう。
自分がどれぐらい規格外のモンスター女子であるか、ということを理解していないのだろうか。
「今までに知られている範囲でいうと、ボクら〈社務所〉の媛巫女に匹敵する戦闘力を有しているのは確かだ。ただ、それは自分たちの村の防衛のためと―――あと、一つのことのためにしか振るわれない」
「一つって?」
「―――世界を護るためさ」
渋いものでも口に入れてしまったかのような御子内さんの顔。
なんともいえない表情だった。
「それは……壮大だね」
「まあね。実際に雨舟村の連中が世界を救ったことがあるかどうかはわからない。けれども、そのぐらいの大規模な天変地異レベルの事件が起きないと指一本あげないということかもしれないね」
「このあいだの〈迷い家〉のときみたいな?」
「あれは壊滅して東京ぐらいだろ。関東や日本が滅びるか、世界そのものが壊滅的なダメージを受けるような危機でもないと動かないという話だね」
「悠長というか、とてつもないというか。尋常な人たちではないかも」
僕らはてんちゃんたちと待ち合わせている、駅南口にあるモノレールの「立川南」駅の下まで歩いて行った。
奥多摩まで行くのならば、北口は混んでいて使いづらいからだ。
少し歩いてロバートさんの運転する車が停められそうなところを見つける。
てんちゃんにLINEを使って待ち合わせ場所を送っていると、目の前のコンビニエンスストアの自動ドアが開いて、紙袋に山盛りのドーナツを入れた女の子が出てきた。
ごく普通のTシャツとジーンズ、Gジャンという活発そうな格好だが、ドーナツを頬張っている顔はとんでもない美少女だった。
似たレベルというと音子さんぐらいか。
僕の好みでいうと御子内さんなのだが、このドーナツ少女の美しさは並大抵ではなかった。
(!?)
その瞬間、僕は誰かに見つめられている気がした。
目の前の美少女ではなく、どこか上から見下ろされているような感覚。
思わず上を見たが、ビルのガラス窓には誰も映っていない。
ビルの清掃員のおじさんの視線かと思ったが、そんな影はどこにもない。
でも、見られていたのは確かだ。
「どうした、京一」
御子内さんが不思議そうに言う。
待てよ。
あの、テレビカメラ越しの視線にさえ気が付く御子内さんがわからなかった、だと?
それがどういう意味なのか、わからないはずはない。
「あっ落ちちゃう」
どれだけ好きなのか、あまりにもドーナツを口の中に放り込んでいた美少女が声を上げた。
僕の意識は二分された。
例の視線とドーナツの落下の二つに。
だから、次の瞬間、御子内さんに突き出された鋭い剣先に気がつかなかった。
必殺といってもいい突きは、御子内さんの神懸かり的な反射神経がなければ決して避けられなかっただろう。
とはいえ、彼女の前髪が一房もばっさりと切り落とされた。
剣豪宮本武蔵の一寸の見切りに近いことをやれてしまう御子内さんの髪をこれほど大量に奪った剣の主は―――ドーナツの美少女であった。
いったいどこに隠していたのか、反りのある長剣を手にして、容赦なんて一切なさそうな眼差しで御子内さんを見ていた。
驚くべきことに、左右の腰にはなんと二つの鞘が吊られていて、右腰にはもう一本の剣が納められたままだった。
お侍さんの二本差しではなく、心得のない僕でもわかる二刀流―――いや、双剣使いのだ。
しかも、紙袋の中のドーナツをこぼすこともない。
落としたはずのドーナツは異常な速度で救出されていたのだ。
つまり、美少女はまったく本気ではなくそこまでの余裕を持ちながら、なおかつあの御子内さんの髪を斬ったのだ。
さらに言えば、御子内さんは咄嗟の反撃すらできていない。
いくら奇襲といえどあり得ないことだ。
しかし、それだけ無闇矢鱈な反撃を許さない鋭さであったということでもある。
「うん、合格だね。ぐっじょぶ!」
ドーナツ美少女は、口の中をモグモグさせながら剣を引いて鞘に納めた。
見惚れるほどの鮮やかさであった。
芸術的でさえあった。
「キミは、何者だ?」
珍しく御子内さんが低すぎる声で誰何した。
眼が据わっている。
ここまでの彼女はもしかしたら初めてかもしれない。
かつて数え切れないほどの妖魅、魔人、怪物と渡り合ってきた最強の巫女レスラーがこの決戦のようなテンションで対峙する相手なのだ……
「あたしは
ドーナツを頬張りながらの挨拶はとてもそうは見えなかったけれどね。
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