―第54試合 魔船の襲来 1―

第424話「剣士、出立する」



 月明かりしかない闇の中を、一隻の船が進んでいた。

 船の底に舷側材を棚の形で継ぎ足していく独特の構造をした、いわゆる和船であり、西洋の船が応力を竜骨や肋材を使用し強度を得ることで大型化をなしとげたのに対し、板を継ぎ合わせたのみである。

 船首は角ばっていて、矢倉と呼ばれる甲板状の上部構造物が方形の箱造りとなっていて、まるで蔵が甲板の上にあるかのような錯覚にとらわれる。

 しかも、その蔵は船体の全長近くに及ぶ広い艦上に、木製の楯板を舷側と艦首・艦尾に前後左右の方形に張っていた。

 速度そのものはたいしたことはないが、重厚に進む姿はまるで要塞のようである。

 横に張られた板には陸の城でいう狭間はざまと呼ばれる銃眼が設けられていた。

 蔵のようにみえる部分のさらに上部にはまたも屋形が四層も重なっていることもあり、要塞よりは城と呼ぶのが正しいかもしれない。

 帆は張っておらず、どのようにして進んでいるかがわからないことを除けば、見るものを感嘆させずにはいられないだろう威風を誇る船であった。

 ただし、この船の進行を見送るものがあればすべて例外なく我が目を疑うことは間違いなかった。

 何故ならば―――


「……うちの庭を船に横切られるとは思いもしなかった」

「そもそも、あたしなんか船を見たのも初めてだ」

「確かにうちの村って山奥にあるものな。ド田舎にも程があるってぐらいの」

「んだんだ」

「変な方言の真似ごとしないでもらえる?」


 その巨大な船の進行をやや離れた崖の上から眺めるものたちがいた。

 二人組の女たちだった。

 どちらもまだ若く少女といっても過言ではない。

 二人は周囲を見渡し、ここが自分たちの住む村を望む土地であり、本来は船などが進んでいいはずがない、

 ここは海原ではない。

 幾つもの山が連なり、木々が密集し、数えきれない崖や丘が並ぶ、なのだ。

 そんな場所を巨大な船が水の上を行くかの如く進んでいくのは、どう考えてもまともな光景ではなかった。


安宅船あたけぶねという奴か。戦国時代に日本各地の水軍が使い出した、今でいう戦艦だ」

「……戦国時代の造船技術って凄いもんだね。陸を奔る船が実用化されていたんだ」

「んな訳ないだろ。魔導か妖術の類いに決まっている」

「まあね」

 

 二人が簡単に決めつけたのも理由がある。

 あの山中の森を海のように進む安宅船は、当然波を切るように木々の間を縫っていく。

 だが、その際に左右に押し開かれた木々は、安宅船が過ぎ去ってしまうとなんとまるで可塑性があるかのごとくすぐに元の状態に戻っていくのだ。

 木々が命を持っているような不可解さだった。

 そのため、安宅船がどんなに進んでも白く波打った海面が穏やかに凪いでいくかのように痕跡は残らない。

 森が本当に水にでもなったかのような奇怪な光景である。


「何だと思う、アレ?」

「交通手段だな」

「それ以外あるっての? あのね、あたしが訊いているのはそんなことじゃなくて、何で森の中を漕いでいく船なんかがうちらの村の目と鼻の先を横切っていくのかってことだよ」

「知らない。わたしにもわからない。ただ……」

「ただ、何さ?」


 片方はぱっつんと切った前髪を無意識にさすりながら、


「人目を忍んで何かを運ぼうとしているということはわかるな」

「……どういうこと?」

「既存の道路も、運びやすい平地も、意外と人目につく海も使わないで何かを大量に運ぶのにあの安宅船は適していそうだ。それに運んでいる痕跡も残さないし、音もほとんどしない。人里に近づかないように慎重にルートを選べば問題なく進めるだろう。―――たぶん、東京に」

「まあ、確かにあっちは東京だ」


 わずかに落ち着きのない小柄な方が安宅船の進行方向を確認した。


「おかしな船だね」

「奥多摩で見るには違和感があるな」

「でも、なんか腹が立たない?」

「わたしらの庭を侵害したことか? 気にすることじゃない。こっちのことを知らなかったんだろう。侵略行為は絶対に許すことはしないが、この程度ではどうということはない」


 前髪ぱっつんの方は肩をすくめた。

 特に怒るものではないという仕草である。

 だが、もう一人は腕を組んで、


「別にうちを挑発した訳じゃないだろうけど、あたしは我慢ならないな」

「珍しいな。思うところがあるのか」

「うーん、確信はないけれど、あたしにはわかるんだ」

「何を?」


 すると、少女はすべてに大いなる確信を持つ賢者のように言った。


「あれは善くないものだ。放っておいたら多くの人が泣くことになる」

「……わたしらには関係ないだろ」

「あんたの言う通り、確かにあたしらには関係ないけれど、見てしまったらもうダメだ。ここで見てみぬふりをすることができるほど、あたしって女は器用にはできていない」


 少女は飄々と歩き出した。

 小腹がすいたから近所のコンビニにお菓子を買いに行くような何気なさで。

 ただ、見送るこれまた少女にはそれが死出の歩みになりかねないということを悟る聡明さがあった。

 だから、二、三歩だけ追いかけた。

 忽ちとてつもない速さになる歩みには到底追いつけないと理解すると、その背中に目掛けて叫んだ。


「どこに行く気なんだ!?」

「まずは〈社務所〉ってところに行く」


 往くものは振り返りもしなかった。


「―――ぐっどらっく!!」


 本来ならば拳をぶつけ合う彼女たちの村にだけ伝わる儀式だった。

 由来はわからない。

 ただ、彼女たちの祖母も、そのまた祖母から教わったのだという。

 英語のGood Luckとは違うようだが、意味はとても似通っていた。

 命がけの戦いに挑む勇者を送りだすためのおまじないである。


「おう!」


 拳をたてた少女の姿はやがて闇に消えていった。

 天空には、心配げに下界を眺める素朴な月だけが浮かんでいた……



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