第421話「惚れて惚れられ―――」



 凄まじい野生生物の咆哮に追われつつ、僕らは山の中を走り続ける。

〈軽気功〉を使って木の上に登り、まるでラリーのナビゲーションのように指示を出してくれる霧隠のおかげで山中でもなんとか足を止めずに走ることができた。

 とはいえ、相手は完全にこの山をホームにしている妖怪だ。

 余裕でついてこられ、撒くことはまずできそうにない。

 適度に樹上から霧隠がBB弾を撃ってくれるおかげで、あいつは他には眼もくれずに僕らを狙ってくる。


「京さん、100メートルほど前進してください! けもの道が途切れたら、右へと跳んで!」

「うん!」


 高校一年生の時には、平凡で貧弱な男の子だった僕でも自衛隊のレンジャー部隊のように走れるようになりました。

 これも規格外ガイバーすぎる女の子たちのおかげです。

 訓練していないから〈気〉は使えないが、一般人が持てる程度の体力があれば必死に逃げることぐらいはできるのですよー。


(てんちゃんじゃないんだから……)


 全力疾走で逃げるのは呼吸的に厳しいけれど、追いつかれたら殺されてしまうのかもしれないのだから仕方ないところだ。

 背負っているスナイパーライフルが重すぎるけど、これを持っていなければ〈金太郎〉が追ってこないかもしれない。

 だから、少なくともこれだけは手放させない。

 上でH&K G3をぶっぱなして援護してくれる霧隠の存在もとてもありがたい。

 おかげで〈金太郎〉は他のゲーマーたちのところに行こうともしないのだから。 

 囮冥利に尽きるね。


「こっちだ、妖怪!」


 僕は指示通りに右に跳んだ。

 すると、多少険しいが木の少ない斜面になっていた。

 これなら駆け下りても問題ないだろう。

 意を決して湿った木の葉を滑り降りる。

 サバイバルゲーム用のトラッキングブーツのおかげで不安定ながらも問題なく坂を下りていく。

 地面にたまに影が落ちるのは、上にいる霧隠のものだろう。


「……京さん、〈金太郎〉が止まった!」

「えっ」


 振り向くと、僕が下ってきた坂の上に〈金太郎〉がやってきていた。

 この距離で見るとやはりまともではない。

 足に比べて手が長く四肢のバランスがおかしく歪なのは、妖魅の特徴のようなものだ。

 とてつもなく美形か吐き気を催すほどに奇形か、そのどちらかのパターンがとてつもなく多いのが妖怪だ。

 そういえばさっきの〈山姥〉もどこか異形だったよね。


「ちょっ!! 止まらないで!!」


 L96 AWSを構えて撃つ。

 ギロリと睨まれた。

 あの不気味なトパーズっぽい虹彩にはまだまだ慣れない。


『ヒィギャアアアア!!』


 外観は裸の大男で、顔は―――ごつく見えるが童顔で子供に見えなくもない。

 まさに〈金太郎〉だった。

 しかし、振る舞いは完全に化け物のものであり、発する妖気も人間には絶対に醸し出せないものだ。

 あの丸太のように太い腕と鋏のような爪に小突かれたら、それだけで死ねるね。

 もう犠牲者は出ているようだが。


「なんで、降りてこないんだ?」

「さあ、妖怪の考えていることなんかわからないです」


 さっと十何メートルもある樹上から落ちてきたのに一切の音を立てないのが凄い。

 さすがは忍びという訳だ。

〈軽気功〉は音子さんが得意らしいけれど御子内さんはあまりうまくないし、凄味というものを実感したことがほとんどない。

 しかし、これほど隠密に適した技術はないだろうな。


「襲ってこない、今のうちに逃げてしまいますか?」

「そうしたいのは山々だが、すると赤嶺たちが逃げる時間が稼げない」

「……〈金太郎あいつ〉が他を襲うとは限りませんよ。さっきのは京さんが挑発したから乗ってきただけかもしれない」

「それはないよ」

「なぜ?」


 僕は妖怪から目を切らないようにして、


「あいつはもう一グループを襲って全滅させている。しかも、今、僕らをつけ狙っているのと同じ理由でね」

「……どういうことですか?」

「〈金太郎〉の伝説はさっき君が教えてくれただろ? あいつはね、〈山姥〉をイジメた奴らに報復をしているんだ。だから、僕の挑発に簡単に乗ったんだ」


 それから、霧隠を見た。

 かなり美少年だ。

 しかも、どうみても中学生ぐらいにしか見えないので年下の子供に慕われているような気分になる。

 でも、それは気のせいだろう。


「君、僕に惚れているとか言ってたけど、あれは方便だろ?」

「―――どうしてそう思いますか」


 一瞬だけ出来た間は正直だ。

 霧隠の本心が窺い知れる。


「わかるさ。僕は君にされるようなことはしてないからね」


 僕に興味があるようなのはわかる。

 同時に僕をじっと観察しているようでもある。

 ただ正直な話、どちらも「惚れている」という言葉に辿り着く前段階レベルの心の動きであった。

 霧隠が忍びということを考えると、すべて擬態ではないかとも考えられるが、僕は豈馬鉄心さんが入院した時の彼の様子を覚えているのでそこまで本心を隠しきれるタイプであるとも思えない。


「わかりますか?」


 抜け抜けと答えてきた。

 柳生姉妹もそうだけど、やはり忍びの言うことは当てにならない。


「まあね。でも、じゃあどうして僕に接近したんだい? 僕の知る限り、君の振る舞いって忍びらしくないよ。諜報のため?」

「とんでもないです。だが、必ずしもすべて間違いではない」

「望みはなに?」


 霧隠はどもった。

 任務のためならいくらでも嘘がつけるという忍びらしくない顔をしていた。

 恥ずかしい、含羞んだ表情だった。


「鉄心さんのように―――人を守って前のめりに倒れたい。そうやって死にたいんです」


 たったそれだけ。

 だが、耐えきれない憧れを秘めた輝きを双眸に宿していた。

 僕にもわかる。


(ああ、こいつは心底、あの巫女レスラーに惚れこんだんだな)


 きっと「惚れ申した」という台詞は、まだ意識の戻らない話したこともない彼女の口癖なのだろう。

 男女間の惚れたはれたの問題ではなく、人と人が人間として認め合い魅かれあうという意味での「惚れた」。

 それを口にして、静岡でたった一人街を護ってきた女の子に憧憬を抱いてきたのだ。

 だから、彼女と同じ生き様を選んでみたのだ。


「僕を選んだのはどうして」

「鉄心さんの乳兄弟という、あの御子内或子があなたを信頼していると聞いたからです。実際に禰宜になった霧隠一族からも噂は聞きました。……巫女でも忍びでもないのに、あなたをみなが褒めていました。おれにはまるで鉄心さんのように聞こえました。だから、自分の目で見て信じてみたかったのかもしれません。彼女たちのようになれなくてもなろうとすることはできるのかもしれないと」


 少年のような見た目だけでなく、子供のような心と愛嬌を漂わせた顔をして、霧隠は笑った。

 騙されて観察されていた側としてはあってはならないことだが、僕はこいつのことがちょっとだけ気に入った。

 桜井よりは上に置いてあげよう。


「で、信じられそうなの?」

「もちろん。でなければ、〈金太郎〉の囮になるなんて酔狂には付き合いません」

「そりゃあそうだね」


 ここまでついてきてくれただけでもありがたいことだ。

 おかげで赤嶺も桜井も助けられそうだ。

 あとは、僕らが御子内さんたちが来てくれるまで逃げ切ればいいんだけど……


『ギィヤアアアアア!!』


〈金太郎〉が足を屈めてバネを溜めた。

 もうそれだけで何をしようとしているかわかる。

 デビル・トムボーイでもしそうだ。

 ただ、あそこにただ立ち尽くしていた訳ではないことはわかる。

 これ以上、僕らを逃がすつもりはない。

 仕掛けるつもりだ。


「来ますよ、京さん」

「そうみたいだね、霧隠くん」

「どうします?」

「やばいね」


 崖の上から見下ろす〈金太郎〉からはこちらは丸見えだ。

 逃げ場はない。

〈金太郎〉が散々溜めこんだ筋力を爆発させようと前かがみになったとき、


 バラバラバラバラ……


 遥か頭上でヘリコプターのローター音が響いてきた。

 木の枝のせいで見にくいが、少し上をヘリコプターが飛んでいるのだ。


「助かった! 騎兵隊だ!」


 だが、霧隠が容易く僕の安堵を打ち砕く。


「……あんな上からじゃあ、それこそ自衛隊の空挺部隊でも降りてこられません。パラシュートが降りられる地点に移動しないと。だから、また騎兵隊がくるまでに僕らはもちませんね。アラモは全滅しそうです」

「嫌なこと言わないでよ」


 希望がすぐに無くなりそうだ。

 こちらの絶望を感じたのか、今度こそ〈金太郎〉が何十メートルもの距離を超えようと跳んだ時―――


「待ってください! 上からとんでもない剣気が降ってきます! しかも複数!」


 霧隠の叫びが終わる前に、枯れた木々の枝や葉を突き破って黒い人型の“雨”が次々と降ってきた。

 その“雨”は、僕らの目の前に瞬く間に着地していく。

 1、2、3、4、5、6……

 全部で八つの黒い影が僕らを守るように立ち塞がった。

 その一つ、中央に立った、着地音が最も聞こえなかった影が煌めく刃を抜き放って怠そうに口上を述べた。


「なんとまあ、運がいいことだ。おれが間に合うのがわかっていたかのようなタイミングの良さだ。―――〈裏柳生〉にとってこの男には借りが山のようにあってな。少しは返済しないと寝覚めが悪いのだ」


 影は匂い立つような濃い色気を放つ、ポニーテールの美女であった。


「柳生十兵衛美厳みよし、推参。たとえ、妖怪であろうとおれの剣に斬られれば死ぬぞ」


 ―――武蔵野柳生の総帥自らの登場という、僕なんかにはもったいないほどの救援であった。






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