第419話「忍者・霧隠明彦」



 忍者とは、一言で表すのならば〈軽気功〉の使い手の集団である。

 そのために忍者を説明するためには、まず〈軽気功〉という技術がどういうものであるかの理解が求められる。

 もともとは、中国武術での体を軽くする軽功けいこうという鍛錬法から発したものであり、軽身功とも呼ばれている技術がもとになっている。

 軽功を極めた者は、他者の何倍もの速さで駆けたり、草や木の葉を足掛かりに跳びあがたり、水の上を歩き、白の城壁すら伝い登ることができたという。

 その軽功が、半島を経由して、日本に伝わったのものが〈軽気功〉であり、これらを一族で修業し自在に使いこなせるようになったものたちを“忍び”というのである。

 忍びの驚異的な身軽さは、妖術とも噂されるほどであり、織田信長に人外の化生と評したのも当然の機動力を有した存在である。

 現在の壁や地形を活かし、走る・跳ぶ・登るなどの動作を複合的に実践するフリーランニングとも比べ物にならない身軽さを練気した〈気〉で行う忍びの忍術は、戦国時代のあらゆる武将が諜報のために活用していたという。

 ただし、〈軽気功〉には致命的な欠点があり、それは〈気〉を筋肉強化に用いる〈強気功〉、肉体防禦のための〈剛気功〉などの気功術との併用がほぼ不可能なのであった。

 さらに、使用中は身体の軽さが災いし、強い力を出せないのである。

 人を殴る、刀で斬りつけるなどの行為が極端に弱々しくなり、戦闘力というものが激減するのだ。

 つまり、忍びを極めれば極めるほど戦えなくなるのである。

 ごくわずかの集団―――例えば柳生新陰流から端を発した〈裏柳生〉や、天才的な気功術のセンスをもつもの以外、忍びは戦闘になると逃げるしかないか弱い存在に成り果てるのであった。

 ゆえに、天正伊賀の乱などを語るまでもなく、忍びの集団は武士による本気の制圧をされればなすすべもなく消滅するしかなかったといえる。

 

 ―――霧隠明彦も、典型的忍びであった。


〈軽気功〉を得意とするが、戦いはからきし苦手で、策略と技でしか生き残れない典型的な忍び。

 それが明彦だった。

 もっとも、明彦の一族が統率する霧隠忍群の忍びはほとんど例外なく似たようなものであり、生計を得るために〈社務所〉という退魔組織に属することになったという経緯がある。

 とはいえ、〈社務所〉の禰宜として勤めているのは、明彦を含めて数名。

 残りは〈社務所〉の指示の下、幾つかの機関に潜入し、時と場合によっては情報を探り、報告し、手伝うというのが霧隠忍群の主な仕事であった。

 もともと密偵という忍びらしい仕事をこなすことで、〈社務所〉の退魔業を円滑に進めるのが霧隠の仕事だった。

 

(―――とはいえ、〈裏柳生〉と提携するようになったら霧隠忍群うちの重要性が減るかもしれないか)


 霧隠忍群がこの現代でも昔と同じような生業についていられるのは、〈社務所〉が跳梁跋扈する妖怪たちとの果てない戦いを繰り広げているからだが、あくまでも主従ではなく提携先との意識しかなかった。

 明彦は去年から禰宜として〈社務所〉の指揮下に入り、そのまますぐに静岡の豈馬鉄心の補佐となったのである。

 そして、鉄心が長期入院となったため、しばらく東京に戻ることになったという訳であった。


「……やっぱり素人です。上を警戒する人はほぼいない」


 霧隠は〈軽気功〉を駆使して、樹上の枝を猿のように伝わって移動していた。

 下界を這うように進むサバイバルゲーマーたちは寸毫も彼に気が付かない。

 地上を移動しながら敵を探すのに夢中になりすぎて、頭上を跳び回る明彦を視界にいれることすらないのだ。

 明彦が〈軽気功〉以外に、〈断気〉という気配を消す術を使っているせいもあるが、さすがに上まで警戒することはないのだろう。

 忍びの世界では、某知名度の高い忍者の異名ともなった〈猿飛〉と称される忍術であった。


「〈猿飛〉を霧隠が使うというのは皮肉です」


 警戒に宙を舞っていると、地面を二人の迷彩服と電動ガンを持ったゲーマーが通り過ぎていった。

 当然、明彦には気が付かない。


「……もらっておくかな」


 二人の背後に回るように地面に落下する。

 十数メートルの高さから落ちたというのに、音の一つも立てず、それどころか空気のひび割れ一つ感じさせない。

 ゆえに二人は回り込まれたことにわずかたりとも気づかない。

 H&K G3 SASの銃口を向けても変わらない。


「バン」


 引き金を引くと、タタタタタタタタと電動ガンの銃声がして、二人にBB弾の雨を降らせた。


「えっ、……あ」

「ヒ、ヒ、ヒット?」


 二人はどこから撃たれたのかわからず、ヒットコールがかなり遅れる。

 敵ではなく味方から撃たれたのか一瞬誤解してしまうほどおかしな結果だったからだ。


「―――君、何所から来たの?」


 呆けた顔のゲーマーに、


「お疲れさまでした」


 と挨拶をして明彦は立ち去る。

 事実は説明できないので誤魔化したのだ。


(やっぱり遊びは遊びか)


 実戦に投入されるレベルの忍びからすれば、どんなに慣れていたとしてもサバゲーは所詮はサバゲーなのであった。

 忍びの技術は妖怪相手にも通じることが証明されていることもあり、明彦からすれば一般人などどうでもいい相手でしかない。


(ん?)


 その時、鷹にも比肩する明彦の眼が明らかにサバイバルゲーマーではない動きをする人影を捉えた。

 人と同じ五体を持つが、二足歩行はせずに這うように進んでいた。

 着ているものは迷彩服ですらない。


「あれが〈金太郎〉か?」


 この奥多摩の地に、〈金太郎〉と呼ばれる妖怪がいる可能性は理解していた。

 だから、その妖怪ではないかと思ったのだ。

 ただし、かつてレクチャーを受けた妖怪とはかなり違うような気がした。

 とりあえず近づいて目視で確認しておこうと考えて、〈軽気功〉を使い羽毛のように軽くなった身体で跳ぶ。

 数回のジャンプで人影の傍に辿り着き、そして降り立つ。

 まだ雪の残る藪を突き抜けるように這いずるものがいた。

 襤褸切れのような布をまとった痩せた人間。

 第一印象はそれだった。

 虱がたかっているような長いちりぢりの髪と細い枯れ木のような手足を持っていなければ、巨大な虫としか思えなかったに違いない。

 這いずり回るというのがまさに相応しいこの物体―――人というのには捩子くれすぎている―――は、うううううという呻きを上げながら這っていた。


「……〈金太郎〉ではないのか」


 意味はないとわかっていてもH&K G3 SASを向けた。

 BB弾には殺傷力はないとわかっていたが、威嚇には使えるだろうと判断した。


「なあ、おまえはなんなのかな?」


 声をかけると、這いずるものが顔を上げた。

 人に似た顔―――いや、悪相ではあるが人間の女だった。

 だが、その目には恐怖が宿っていた。

 明彦を視界に入れると、そいつは恐ろしい悲鳴を上げた。


「うあああああああああああ!!」


 と、明確に怯え切ったものだけが出すことが許されたものであった……



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