第408話「東海道の守護戦士」



 高校の校門を抜けると、ちょうど近くにある小学生たちとすれ違った。

 子供たちは鉄心を一目見るなり、


「ゴリ子ねーちゃん、さよなら!」


 と笑顔で手を振ってくる。

 女としてはともかく男性として見るのならば苦み走ったいい男なので、ゴリラとして呼ばれるのは心外であろうが、鉄心は鷹揚に手を振って応えた。

 もともと子供や老人には甘い女の子なのである。


「はっはっは、おまえたちもさよーならだ」


 確かに鉄心の体格は、180センチ、90キロという数字だけでなく、上半身が瘤のように盛り上がったマッチョ体型なのでゴリラに見えないこともない。

 さらにいうと、体形に似合わない小顔であることからも、隆々とした筋肉がさらに際立っているのである。

 普通に近づかれると子供ならば怖がってしまうところだが、鉄心の醸し出す柔らかく温かい雰囲気が惹き寄せてしまうところがあるのだった。

 だから、鉄心が歩くだけで見知った子供どころか、大人までが声をかけてくる。

 その度に、


「おうおう、みなも元気でよいのお」


 と大物の政治家のように手を振って応える鉄心であった。


「―――鉄心さん、もう少し急いでくれないかな」


 すると、そろそろと隣に一人の少年が駆け寄ってきた。

 小柄で身長は150センチを超えたぐらいしかない、少年というよりも少女といっていい顔と体型の少年だった。

 鉄心と並ぶとほとんど幼女にしか見えないほどである。


「なんだ、霧くんではないか。どうしておぬしがここにいるのだ」

「今回は俺が鉄心さんの介添え人に選ばれたんだよ。だから、急いでくれないか。これじゃあ、時間までに迎撃地点に辿り着けないかもしれない」


 霧くんと呼ばれた少年―――本名は霧隠明彦きりがくれあきひこという―――は、鉄心の所属する退魔組織〈社務所〉の禰宜という役職についている。

 禰宜は実際の神社での役職と違い、〈社務所〉においては妖魅の探索や関係者の追跡調査など、実戦部隊を情報面でサポートする役目を担っていた。

 そして、明彦はもともと数百年もつづく軽妙な体術を使う家系の出身であった。

 かつては忍者と呼ばれていた一族は、今でもその力を使うための場所として、裏の世界で戦う〈社務所〉と手を組んでいるのである。

 明彦は、「霧隠」という家系の出身であり、もともとは飛騨で術を磨いていた一族の統領の息子であった。


「はっはっは、それは霧くんたちがプロデュースすることであって、わしは戦うことしかできぬ不器用な女だから、万事お任せということであるな」

「いや、それ以外も少しは考えてよ」

「待て待て、おぬしは少々考え違いをしておる。わしたち、〈社務所〉の媛巫女は民草に害なす妖魅どもを倒すのが本分であってな、いわばそれだけが仕事なのだ。それ以外はとんとできぬ」

「……いや、でもさあ」


 バンと背中を叩かれ、明彦は吹っ飛んだ。

 それでも鉄心からすれば撫でた程度なのである。

 人にじゃれつくクマを思わせる膂力の差だった。


「そのぶん、わしらはどんな敵とでも戦うし、ついでに最後は勝つ。多少の無作法は免じてくれよ。わしらは民草を護る斧であり、石垣なのだ。はっはっは」


 あくまで大物の不撓不屈の精神に満ちた大笑を上げると、鉄心はもう一度明彦のに肩にぽんと掌を乗せた。

 野球のミットのように無骨な掌であった。


「で、今回、わしが撃退せねばならん妖魅というのは、どんな奴らなのだ。五畿七道のうち、東海道を上がって関東に押し入ろうとするものどもを駿河と近江で撃退するのが、わしの仕事であるからな」

「今のところ、まだ尾張近辺だけど、深夜には三河を抜けて駿河に入る。そこで撃退してほしいのさ」

「速いのお。車にでも乗っておるのか」

「うん。敵はオートバイに乗った死霊が三十台。東名は使わずに下だけを使って、少しずつ上京を続けている」


 明彦がカバンの中にいれていた地図を広げても、鉄心は見ようともしない。

 それどころかただ空の一点を見つめていた。

 西の方向を。


「ほら」

「そんなものを見せずともいい。わしも地形ぐらいは把握しておる」

「でも、ある程度は理解してくれないと……」

「くどいな」


 鉄心はぴしりといった。

 それから妙に優しい口調で、


「敵の情報について教えて、わしをその前まで連れていってくれればそれでよい。できれば〈護摩台〉も用意してもらえれば越したことはないが、例えそれがなくとも敵がいるのならば殲滅して見せるさ。その敵が人に仇を為す奴ばらであるのならば確実にな」


 一瞬、言葉が詰まる。

 長い付き合いになるが、いつもこの漢にしか見えない少女の発言にはぎょっとなる。


「わしらは、みな、そういう生き様を叩きこまれてきたのだ」


(なんて女の子だ)


 明彦にとって、鉄心の生き方は劇薬に等しい。

 女としては無理だが、男としては惚れてしまいそうになる。

 影働きが多い、忍びであり、禰宜である明彦にはとても追い越せそうもない壁にしか見えないのだ。


「……〈護摩台〉は難しいけれど、簡易結界なら張れるところがある。そこで迎え撃つことにしたらどうかな」

「任せるよ。頭を使わせたら、わしよりも霧くんの方が上だからな」

「本当は戦いも手伝いたいところだけれどね」

「そっちはわしの仕事だ。この東海道を護るのがな」


 隣を歩くどう考えても武将のような女の子を見上げて、霧は訊いた。


「でも、鉄心さんよりも強い巫女が何人もいるなんて信じられないな。体格だけでも、あなたの方が何倍も大きそうなのに」


 だが、鉄心はからからと笑い、一片の曇りもない笑顔で言った。


「確かにわしは強い。虎が鍛えずとも強いように、わしは鍛えずとも虎だからだ。普通の人間やけものに負けることなど断じてない。だが、わしの親友たちは違うのだ」

「違う?」

「うむ。わしの友たちは、人の身でありながら、獣を凌駕し、人を越え、神にまで辿り着こうとするものどもなのだ。素手で虎や熊を倒せるほど鍛え抜いたものたちに、わしのようにでかいだけの雑魚が敵うものかよ」


 完全なる敗北宣言でありながら、そこには微塵の昏さもない。

 それだけ親友たちのことを心から信じて、尊敬しているのだろう。

 身体も声も大きく、そして何よりも心が広くて大きい。


 豈馬鉄心とは、そういう女の子であった……


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