第405話「〈五娘明王〉」



 明治神宮。


 JR原宿駅を表参道口に降りていくのが最もポピュラーな訪れ方である、初詣における日本最高の参拝客数を誇る神社である。

 その名の通り、明治天皇を御祭神とする、約22万坪の広大な敷地を持つ最大級の神社でもあった。

 この神社の中央に、〈社務所〉と呼ばれる正式名称も存在も一切が秘密の退魔組織の本貫地が存在した。

 もともと明治の大帝が創設した退魔機関を由来とすることを考えると、明治神宮内に本拠地があるのは自然なことではある。

 そして、その日、〈社務所〉の中心にある厳重に警備された立ち入り禁止の部屋において、重鎮である御所守たゆうは秘書役の不知火こぶしとともにやんごとなき客と密談を交わしていた。

 客は張られた御簾の向こう側に座していて、たゆうたちとは顔を合わすことはない。

 普段のお立場とは全く別の、世界の裏の出来事という意味合もあるが、本来、面と向かって話していいものは存在しないはずの人物だからだ。


「刹彌皐月が、愛染明王の菩提心に目覚めました。仏法のものではないゆえ、四弘誓願しぐせいがんとまではいきませんが、あの娘の年頃でその領域に達したのであれば重畳だと思われます」


 こぶしの言葉もいつもより堅い。

 客の身分を気遣っているというだけではなく、厳然たる呪力の差に恐れおののいているともいえた。


「これにより、我らのもとに〈五娘明王ごこみょうおう〉のうちの三柱みはしらが揃ったことになります。あと二柱ふたはしらも遠くない未来に菩提心に覚醒し、五柱揃い踏みとなるのも時間の問題となりましょう」


 たゆうの方はまだ自然体である。

 この客に仕えていた時期が遥かに長いことからすれば当然のことであった。


「明王とまではいかなくても、神将格の力を備えた巫女も幾人か揃いました。間に合ったというべきでしょうか」

「―――そうですか。ご苦労様でした」


 御簾の向こう側から優しい声がして、たゆうたちを労う。

 本日、初めてのお言葉であった。


「悪評著しい廃仏毀釈を行ってまでも、霊的にこの大地を護るための種子をまいた大帝もお喜びになることでしょう。よくぞ、この神物帰遷の時代に間に合わせました。御所守、不知火、本当にごくろうさま」

「はっ!」


 ともに平伏する二人。

 巫女としての正式な衣装をまとっているのは、客であり主人である者への敬意のためである。


「〈五娘明王〉が揃えば、我が国もなんとか帰還する神々に対しても抗うことができるようになることでしょう。―――ところで、あのはどうなりましたか。五行山の大聖は?」

「かの娘も十分に衆生の役に立っております。十年、私どもが手塩にかけて育てました故に」

「そうですか。あの娘を引き取るために、シンガポールとタイに赴いたのはもう十年も昔のことになるのですね。勁悍で苛烈な生き様を強いてしまったかもしれないと、あの娘には申し訳なく思っています」

「いえ、直接足をお運びになっていただいたからこそ、彼女の身請けが叶ったのです。どうぞ、お心をお痛めなさらないようお願い申し上げます」


 この客がここまで気を掛けているのは、救出されたときの様子があまりにも無残だったからであろう。

 人づてに聞いたとしても、齢六つほどの子供には酷な環境で育てられていたことは明白であったからだ。

 あの様子は戦後すぐの様子を思い起こさせるらしく、ゆえに、なにくれとなくこの客はあの少女のことを気に掛けているようだった。


「最近、あの娘は自分の觔斗雲きんとうんを見出しまして、彼に首ったけなのでございます。彼女が望むのならば、10万8000里も一跳びしてくれそうな少年でございまして」

「ほほ。―――あの娘が雲に乗るようになりましたか。それは良いことです。どのような者なのですか?」

「ただの市井の子供でございます。名も、血も、家も、ございません」


 それを聞いて客はからからと笑った。


「だからこそ、善いのです。善良な只者こそがこの大和を助くるかもしれないのですよ」


 そう客は説いた。

 たゆうもこぶしも平伏して聞くしか道はない。


「―――神々が還りつつあります。あなたたちも準備を今以上に急ぎなさい。それは明日にでも、明後日にでも始まるのかもしれないのですから……」

「はい」


 この国の大地において、神々の黄昏が始まろうとしている。

 しかし、人は言う。

 

 為すすべもなく死ぬのはごめんだ。

 と。 

 

 時代が狂ってしまったのならば人が糺すだけのことだ。

 と。

 

 人に与えられた時代はまだ終わりはしない。

 と。


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