第403話「刹彌皐月の弓」
突然、病室の窓が激しい音を立てた。
軟らかい何かがぶつかったような鈍い音でもあった。
二人が驚いて振り向くと、窓ガラスにべったりと黒いものが貼り付いていた。
同色の嘴の存在から、見慣れた使い魔であるとすぐに気が付いたが。
「八咫烏!!」
『フシダラナ巫女ヨ!! 急ゲ、オマエノ出番ダ!!』
「うちの出番だって? どゆこと?」
『〈以津真天〉ガ暴レ出スゾ!! コノ近隣デアレに対抗デキル媛巫女ハオマエダケナノダ!!』
窓を開けると、黒い使い魔鳥が室内に飛びこんできて、脚で掴んでいた長いものを放り投げた。
当たり前のように受け取って、皐月はじっとそれを見た。
梓の木を削って作られた神事のための弓―――材質のままに梓弓と呼ばれているものであった。
数本の鏑矢が入った矢筒もくっついていた。
〈社務所〉の巫女のための特別製の退魔の武器であった。
「―――やれってことかな」
「でしょうね」
皐月は八咫烏が運んできた梓弓の意図を読み取り、渋面を作った。
結局、あの怪物と戦わなければならないということであるからだ。
「やるけどさあ。はあ、こんなことならネシーの寝室にもっと頻繁に夜這いをかけておけばよかったよ」
「二日に一度はやってくるくせにまだ足りないのかしら」
「
「アクセスにサクセスされたらわたしがたまらないわ」
とあからさまな文句をいいつつ、皐月の足は病室から外へと向かっていく。
あれほどの化け物が見境なく暴れ出したら、「憩いの村」の建物の中にいるものたちだけでなく、周辺住民にも甚大なる被害がでるだろう。
それを看過できるほど、皐月は冷酷な人間ではなかった。
人間の価値というものを高く評価してはいないが、父親の教え通りに市井に生きる人々の暮らしを冷徹に見捨てることなど皐月にはできない。
決して命を軽んじることはしないのだ。
ゆえに、刹彌皐月は征く。
「―――ネシー、車を頼むよ」
「いいわ」
二人は巨大な怪鳥の待つ墓場へと再び引き返していった。
◇◆◇
「憩いの村」の門の前に辿り着いたヴァネッサ・レベッカの運転するプリウスαは、厳重に閉鎖されていたはずの鉄の門が開け放たれ、敷地内が異常な混乱に包まれていることに気が付いた。
「なに!?」
ヴァネッサ・レベッカは支給されていたグロックを手にして、門の中に侵入する。
敷地内の殺風景な庭には、三台の車と一台のトラック、そして一機のフォークリフトが並んでいた。
車はすべてひっくり返っていて、無残な三条の傷がついている。
フォークリフトも爪が折れていた。
それに乗っていたらしい男たちは、すべてボロボロになって地面に蹲るか壁に寄りかかって呻いている。
何があったのか一目瞭然だった。
〈以津真天〉がその巨体を駆使して暴れた結果だった。
化け物がほんのわずかに暴れ回っただけで人は為すすべもなく地を這いずり回ることになるのだ。
例えそれがただの戯れであったとしても。
怪物と人の戦力差はそれほどに開いている。
「―――どうみても、ヤー公なんだけど」
「また、ギャングなの? ねえ、日本ってもう少し治安がいいと聞いていたんだけど、どうしてこうもギャングが蔓延っているのかしら」
「すんまそん」
倒れている十人前後の男たちは、ほとんどが見た目だけでチンピラ稼業とわかる連中であった。
悪相剥き出しの男たちばかりで、人ごみに入ればみなが気配を察して逃げるような、毒薬じみた存在だった。
全身がすり傷だらけで土に汚れているのでさらに凶暴さと陰湿さが混じりこみ、人よりもむしろ獣に近い。
「やはりこの「憩いの村」の背景にいたのは暴力団だったということかな。しかも、面倒事の後始末をしにくるぐらいだから、よほど世間に知られると都合の悪いことをしていたらしい……ん?」
皐月は転倒したフォークリフトの先に、木製のパレットが積み上げられ、その上に錆びたドラム缶が幾つも乗っているのに気が付いた。
目にした瞬間、ぞわりと背筋が震えた。
数々の妖魅に接して来た皐月に怖気づかせるものがそこにあった。
木のパレットに乗った、ただの古いドラム缶のどこに寒々しいものがあるというのか。
風邪を引いた訳でもないのに、瘧のように震えあがってしまった自分に戸惑う。
いったい、どういうことだ。
だが、彼女の相棒はグロックを構えたまま、慎重にドラム缶に近づく。
触れないように気を付けながら、銃の台尻で軽く叩いた。
ゴンゴンと内部に何かが詰まっている音がした。
空ではないようだった。
少なくとも、ドラム缶の中身はすべて詰まっているようだった。
「ネシー、それは……」
「……まったくどこの国に行っても酷いことをする連中はいるのね」
「どういうことかな?」
「皐月、とぼけるのはやめなさい。もうわかっているんでしょう」
「―――まあね」
皐月は上を見上げた。
建物の屋上に〈以津真天〉はいない。
この場の惨状を作り出して満足したのか……それとも。
「いつまでも、いつまでも」
梓弓を手に執る。
「こんなにたくさんの死体を放置していたくせに、弔うこともせずにさらに無碍に扱おうとしたのだから、おまえが怒るのもわかるよ」
遥か上空を睨む。
暗転の空のカナタを旋回する巨大なる怪鳥の姿を追う。
常人の目では高度何百メートルの高さを音もなく舞う〈以津真天〉を見ることはできない。
だが、彼女は違う。
刹彌皐月は「殺気」を視る。
人であろうと、妖魅であろうと、そのものが誰かに対して抱く殺意を視てとる。
〈以津真天〉が人間を憎悪し、殺しつくそうとしていることに気がついていた。
「でも、ダメダメ。こんな屑どもでも、おまえから助けないとならないんだよね」
皐月は矢筒から鏑矢を抜き放った。
そして、番える。
「オン マカラギャ バゾロウ シューニシャー」
神道の巫女にあるまじき真言を唱える。
その
家伝である刹彌流柔以外は、ほとんどまともに巫女として学ばなかった皐月がただ一つ、魚が水に混じるように学んだ呪法。
「
星の輝きをもった光の矢が放たれた。
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