第401話「〈死神〉」
〈
数十分に一度、まるで縄張りを確認するかの如く、飛び立って周囲を一周するだけで、あとはまったく動かない。
たまに羽を広げて、「いつまでも」という例の奇声めいた鳴き声をあげるだけで、他に動きらしい動きはとらない。
たまにさっきの軽トラのように接近する車があっても、〈以津真天〉に気が付くことはないし、逆に襲い掛かる様子もなかった。
「だーかーらー、あんな大物相手にうち一人じゃ相手になんないって。媛巫女レベルじゃなくて、もっと呪殺とか使えるのを寄越してってば」
皐月の嘆願に対して、上司は忖度してくれるはずもなく、
『ダメ。皐月ちゃんだけでなんとかして』
「無理ですってばさ。敵が〈以津真天〉だってことを確認しただけでも結構な収穫だと思うよ。うちらなんかよりも弓の名人の―――真弓広有とかを呼んでよ。源頼政の鵺退治にあやかってさ」
『そんな弓の名人がいるわけないでしょ、今どき。それにあなただって、〈天弓〉はつかえるでしょう?』
「〈天弓〉? 梓弓を使った超距離降魔弓術の? ……うーんと。―――憶えてません」
『嘘おっしゃい。私はあなたの成績をすべて覚えていますよ。少なくとも上位の皆中率はとっていたはずです』
〈社務所〉の退魔巫女は、基本的に素手での戦いが基本だが、時と場合によっては武器を使うことも当然認められる。
特に空を飛ぶ敵と戦うこともあることから、神事にも用いられる梓弓を使った弓術は必須とされていた。
〈天弓〉とは、遠目にいて易々と近づけない妖魅を仕留めるための長距離狙撃術であり、極めれば一キロメートル離れていても命中させられることができる。
使用するためには、両目に〈気〉を流しこみ、さらに弓を引く土台となる腕も強化しなければならず、弓術というよりも気功術の延長線上になるのだ。
ゆえに、〈気〉の使用が得意な巫女―――御子内或子などが特に得意とする分野である。
連射する場合には器用な神宮女音子や熊埜御堂てんが秀でるが、刹彌皐月はどちらもそつなくこなせる。
敵の放った矢を素手で捕まえられるのも、この技術のおかげともいえた。
「でも、うちの刹彌流でもさすがにありゃ無理。無茶を通り越して、無謀。無理無茶無謀の暴走戦士は或子ちゃんだけで十分でしょ」
素直に白旗を上げたくなった。
モンハンでもあるまいし、人間があんな巨大な怪物と正面から戦うなんて絶対にやってはならないことである。
「だーかーらー、うちらだけじゃ何もできないって。幸い、あいつはしばらく暴れ出しそうな気配がないし、自衛隊の出動でも要請して」
『自衛隊に妖怪が退治できるわけないでしょ』
「だったら、〈社務所〉の精鋭を集めて討伐部隊を編成してよ。最低、十人。全員、退魔成功率90%以上で、戦績二十戦は越えてることを条件で」
『……無理ね。うちの台所事情では、たかだか〈以津真天〉のためにそこまで戦力集中はできないわよ』
「うちらだけじゃもっと無理だっての!!」
プリウスαが音を立てずに止まった。
電話に夢中で気が付かなかったが、二人は大宮市にある救急病院にやってきていた。
こんなところに来るとは聞いていない皐月にとっては寝耳に水だったが、連れてきたはずのヴァネッサ・レベッカはさっさと降りてしまう。
「あ、どうしたのさ、ネシー。ちょっと待ってよ!!」
『皐月ちゃん、どうしたの?』
「いや、こぶし先生、またあとでね。うち、用事ができたんで。でも〈以津真天〉についての対策はさっき言った通りだかんね」
通話を切ると、慌てて後を追う。
あの〈以津真天〉を目撃してからヴァネッサ・レベッカの様子がおかしいとは思っていたが、その理由は話してくれないのでさっぱりわからなかった。
しかし、ずんずん先に進む相棒が何かを思いついたことは事実のようだった。
それにさっき彼女は今回の事件のファイルを凄まじい勢いで速読していた。
何かに気が付いたのだろうか。
「ネシー、放置プレイしないでー!! さつき、飛んじゃう!!」
看護師たちがぎょっとするようなジョークを発しても、普段ならば多少は相手をしてくれるはずのヴァネッサ・レベッカは止まらない。
そのまま、病院の受付で面会の約束らしきものを取りつけている。
ということは、誰かに会いに来たのか。
皐月は今回の事件の関係者を思い出してみると、そういえば〈以津真天〉の目撃者となった老人がここに入院していたはずだ。
ヴァネッサ・レベッカはその老人に会いに来たのか。
だが、それにどんな意味があるのかはわからない。
怖気が走るほどに巨大な怪鳥相手に戦えるはずもないし、ここは潔く退却して、討伐部隊を編成して挑むのがベストだと考えていた。
なのに金髪の相棒はこっちを無視してどんどんと進んでいく。
ちょっとだけ寂しい気持ちになった。
「ここね」
普通ならば面会時間が過ぎているというのに、二人は救急搬送されて全体安静扱いの老人の病室に案内された。
妖怪を見たということで、狂ったような戯言を垂れ流すようになったからか、警察からの妖精で精神障害があるものとして措置入院的な扱いを受けているとのことだった。
普通の病室と違って、外側から鍵を掛けられる扉のある部屋であった。
〈社務所〉というよりも、ヴァネッサ・レベッカがFBIに所属していることで付与された、日本警察と同等の権限を使い中に入る。
金髪のアメリカ人少女とパンク風の改造装束の巫女。
どうみても怪しいコンビであり、それが警察権力を自称しているというのに病院側は抵抗することもない。
実のところ、この病院は〈社務所〉が裏で経営しているものであったのだ。
「お邪魔します」
個室の中央にはベッドが置いてあり、一人の老人が眼を開けて座っていた。
口が半分開いていて、涎が垂れている。
ほとんど痴呆になる寸前といえた。
「坂巻甚六さん?」
ヴァネッサ・レベッカが声をかけても視線を寄越すこともない。
何もない天井の一点をじっと見つめている。
ときおり手が頭に伸びて、真っ白な髪を掻きむしる。
「……大丈夫かい、おじいちゃん」
皐月が歩み寄り話しかけても返事もしない。
「おじいちゃん?」
「駄目よ、サツキ。この人、おそらく死に憑かれているわ」
「死?」
「さっきの〈以津真天〉を見たときに気が付いたわ。あれ、〈死神〉よ」
〈死神〉というのはさっきヴァネッサ・レベッカが言っていたものだ。
「〈死神〉って、マントを被って鎌をもった骸骨のこと?」
「ええ。死に瀕した人間のもとにやってきて、命を刈り取っていく存在のことよ」
「もちろん、比喩だよね」
「いいえ。……この世界には意外といるものなのよ」
ヴァネッサ・レベッカは老人を見ながら言った。
「人の死が近い場所には、えてして“死”そのものに近い存在が目撃されることがあるの。普通にネットの体験談でもよくあるし、アメリカでも〈死神〉が数えきれないほど報告されているわ。わたしも〈死神〉はいると確信しているの」
「FBIって、もっと科学的なものだと思っていたけど」
「FBIというよりも、わたしたちスターリング家の人間の体験から来た実感みたいなものね。これまで何代にも渡って人殺したちに狙われ、殺されかけてきたわたしたちだからこそ言えることよ」
そして、老人の顔をじっくりと見て、
「あの〈以津真天〉という怪物を巫女でもない、まして霊能力もない私が視えたのも当然ね。あれは“死”の色に塗れたことのある人間だけに見えるものなのよ。それだけ自分の回りに死が漂っていないと視えない妖魅。―――つまり、この老人が暮らしていた「憩いの村」という場所は、あいつが視えるぐらいに死人が出ているということなのよ」
「でも、警察の調べではあそこで見つかった死体は一人分だということだけど」
「―――それをこの人に確認からしたかったの。わたしが思うに、あの建物にはもっと複数の、大量の死体があるはずよ。そして、もう一つ。別の死体もあると思うわ」
ヴァネッサ・レベッカは自分がFBIの、連邦捜査官であることを思い出していた。
あそこには犯罪の根が深く沈み込んでいる。
警察官の血がそれを訴え続けていた……
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