第399話「命の重みはどの程度か」
もういちどGPSをセットし直し、カーナビの指示に従うことで、二人はようやく目的地にたどり着いた。
さきほどとは違って、それなりに舗装された道路と幾つかの民家や倉庫らしいものがちらほらと見える地域だった。
まだ太陽も高い位置にあり、深呼吸をしたくなるように気持ちいい快晴である。
このときのヴァネッサ・レベッカはまだ行楽気分が抜け切れていなかった。
「あれかな~」
用意しておいた双眼鏡で見渡していた皐月がそれらしい建物を発見した。
三階建てのマンションのような建物だ。
裏で事前に仕入れておいた住宅謄本によると、三階建てで各階に六部屋が存在する普通の共同住宅である。
所有者は、「憩いの村」の経営をしている不動産業者、イマイ興業の代表取締役である今居徹。
今居は、逮捕等の前科こそないものの、池袋で暴力団が出資しているキャバクラの雇われ店長をしていた元黒服だった。
そのキャバクラ自体ぼったくりの暴力バーも同然の店だったようだ。
警察に目をつけられたことを知った今居は、さっさと店をやめるとそのまま不動産屋を初めて本業以外にもNPO法人などを立ち上げ、手広く商売をしているようである。
「憩いの村」もその一つだ。
店長をやめた現在も幾人もの暴力団員と親しくしているという噂がたつほどであるから、背後に闇社会の組織がついているのを関係者は薄々勘付いているのだろう。
出資元もおそらくは暴力団に違いない。
無料低額宿泊所は届け出と条件を満たすことで許可が出るらしいが、日本の役所ももう少し相手を見極めた方がいいとヴァネッサは眉をひそめたほどである。
他の国と違い、日本では賄賂がまったく有効ではないのだから、買収されたというよりも節穴なだけだったのだろう。
一度許可してしまうと既得権益となり手を出すのが難しくなるのが、この国の厄介な点である。
建物の窓にはベランダがなく、出入りはできそうになかった。
それどころか、巧妙に隠されているが、外に出られないように鉄格子がはめられている。
観察すればするほど、囚人を閉じ込めるための刑務所としか思えなかった。
渡された双眼鏡のレンズ越しに、ヴァネッサ・レベッカは妖気のようなものさえ漂っている風な気がしてならなかった。
「……麻薬カルテルのアジトみたいなところね」
「そうなの? うち、殺気以外はあんまり読み取れないんだよねー」
「別にオーラとかが実際にわかる訳じゃないわ。雰囲気の問題」
「ふーん」
一区画離れたところから観察してみると、建物の周囲に張り巡らされているブロック塀は170センチ前後。
一説によるとよじ登るのに最も難しい高さに統一されていて、しかも上部にはさりげなく鉤がついていた。
あれも脱走対策かもしれない。
見れば見るほど、刑務所にみえてならない。
「確か、障碍者とか高齢者も入居させているのよね」
「……むしろそっちがメインっぽいね。再就職のあっせんなんて謳っているけど、させる気はなさそう。まあ、死ぬまで飼い殺しにして生活保護費を絞りとろうという施設なんだろうさ」
「なるほど。弱者ビジネスとはよくいったものね」
ヴァネッサ・レベッカの正義感が苛立ちを覚えた。
あの建物にあるのは、弱いものを生贄になされている搾取そのものだ。
アメリカの精神に遵えば間違いなく悪である。
「でも、まあ、野垂れ死ぬよりはマシだからいいんじゃない」
ただ、相棒はひどく冷めた物言いをする。
ブラックジョークかと思って顔を眺めたが、いつもの緩い無責任なC調の皐月であった。
「もしかして、真面目に言っていた? 今の」
「うん、まあね」
「ちょっと聞き捨てなりませんわ。弱者を食い物にするビジネスなんて、悪そのものじゃないの! そんなものをわずかでも肯定するなんて、絶対に認められませんわ」
女系とはいえFBI捜査官を代々生業としてきたスターリングの人間として、皐月の意見は看過できないものがあった。
人は生まれながらにして平等であるべきだ。
例え、様々な事情から格差が生じたとしても、可能な限り人は神の下に同じ立場でいなければならないはず。
強いものが弱いものを虐げ、弱いものを食い物にするようなことが許されていいはずがない。
だが、ヴァネッサ・レベッカの純粋なる怒りを皐月は平然と聞き流した。
「うちが思うのに、世の中がこうなった原因の一つは人間の命の価値を高く設定しすぎているからなんじゃないかな」
「命の価値を高く……?」
「そう。そりゃあ、誰だって死にたくないし、親しい人には死んでほしくないかもしれない。哀しいからね。でも、命なんてレアすぎるというものでもない。どんどん無駄に消費してしまっても問題ない程度のものだと思う」
「意味が分からないわ」
数多くの殺人鬼にずっと命を狙われ続け、生きていることの大切さを誰よりも理解しているヴァネッサ・レベッカからすれば皐月の言っていることは暴言だ。
しかも、その彼女自身、これまでどれほど命がけでヴァネッサ・レベッカを助けてくれたことか。
さらに言えば、皐月が初対面の他人のために鉄火場・修羅場に跳びこんでいくところも数えきれないほど見てきている。
そんな彼女が口にしていい台詞とは思えない。
心に棚を作りすぎているのではないか。
「なんていうか―――人間なんてもっと簡単に死んでしまってもいいものなんだよ。自分の手の届かないところで死にそうだったり、死んでしまった人間のことを一々気にする必要がない。人間の死というものを重く考えすぎなんだよね」
「それは……せっかく浸透してきた人権とか自由の意識がもとになっていて」
「だから、それは大事さ。いい言葉だし。人の権利なんて、ね。でも、叩いて切って打てば死ぬ程度のものでしかない人間なんだよ。あまり重々しく考えすぎるから、呪縛になって息詰まる。実のところ、うちには自殺だって別にもっとしたっていい自由さ。自殺を悪のように考える風潮にこそ、うちからすると疑問を感じるね」
「ポリティカル・コレクトネスに反するわ、その言い草」
「そんなのは知らない。そもそも、うちは人殺しに対しても特に抵抗がない家系の出身だし、正しさを押し付けられてもなんともいえないのさ」
刹彌流柔の使い手は、「他人の殺意」が視える。
瞼を開いている限り、それは絶対だった。
殺意を持つものすべてが他人を殺すという訳ではない。
むしろ、溢れ出んばかりの殺意を放ちながら人は常に同族殺しをしないように自身を律し続けている。
人間というのは本当に大したものだとしか思えない。
皐月を家から追い出した父親が言っていた。
「―――ヒトってえのは
気に入らない相手は片っ端からぶん殴ってきた父親のいうことだから、心底そう思っているのだろうと納得した。
だからこそ、人間というものを必要以上に尊いものとあげつらうことはしたくなかった。
偉いものだから、それが普通であるべきだ。
一人の命は地球より重い?
それはない。
どんなに重くても米俵一俵分ぐらいだろう。
「だから、弱いものが食い物にされたってうちはどうとも思わないな」
親友の言っていることがヴァネッサ・レベッカにはさっぱりわからない。
「うちからすると……」
さらに皐月が珍しく真面目に長広舌を披露しようとした時、二人のいた場所の陽が一瞬だけ翳る。
空は日本晴れで雲一つない。
なのに、何かが太陽の光を遮ったのだ。
しかも、二人にはっきりとわかる大きさの何かが。
『いいいいいいいつつつつつままままままででででででででええええええええええ』
頭上から甲高い不気味な鳴き声が聞こえてきた。
一瞬、見失った二人だったが、ヴァネッサ・レベッカの視界がそいつを捉えた。
「皐月!! あそこ!!」
指さした先、そこには「憩いの村」の建物があった。
そして、その屋上に比較にならぬぐらいに巨大で黒々としたものが蹲っていた。
恐ろしいほどに巨大で、信じられないほどに広い翼を広げた、巨大な鳥―――いや、翼を持った蛇といった方がいいものがいた。
しかも、そいつは丸い輪郭と嘴をもった人の貌を備えていた。
蛇そのものの太くて長い胴体に人の貌をつけた名状しがたい鳥の化け物。
妖怪〈
その高さだけで建物の屋上を埋め尽くすような、まさにそれはテレビや映画にでてくるような怪獣そのものの姿であった……
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