第398話「妖怪〈以津真天〉」



「イツマデモ?」


 刹彌皐月さつみさつきが口にした単語を、運転中のヴァネッサ・レベッカ・スターリングは思わず鸚鵡返ししてしまった。


「ずっととか永遠にという意味でしょうか?」

「違う、違う。チン○ンとランランぐらい違う」

「話のとば口から下ネタはやめてちょうだい。……イツマデモって、日本語ではそういう意味じゃないのですか」


『何時迄も』とは辞書によると、ある事柄が終わるときの限度がないさまや、末長く、どこまでも、あくまでもなどの意味がある。

 そんな名前の妖怪がいるなんて聞いたこともない。


はいらないんだ。い・つ・ま・で。字としては、〈以津真天〉って書く。江戸時代に鳥山石燕の画集『今昔画図続百鬼』に描かれたこともある。「広有 いつまでいつまでと鳴し怪鳥を射し事 太平記に委し」と石燕が解説しているように、『太平記』の「広有射怪鳥事」という節に登場する巨大な怪鳥なのかな~?」

「なんで、末尾が疑問文なのよ」

「……昔、座学で習ったことがあるんだけど、あまり覚えていないんだ。さっきのもネットで調べた知識」

「あきれた。……皐月って本当に退魔巫女としての自覚がないのね。或子サンたちとは雲泥の差よ」


 ヴァネッサ・レベッカはため息をついた。

 この日本に来てもうすぐ半年は経とうとしているが、彼女にとっての相棒兼護衛であるはずの退魔巫女は、本当に自覚がなさすぎる。

 そもそも紫色のメッシュの入った黒髪と、金属のトゲやらスタッドのついた黒い革ジャンをアレンジした改造巫女装束という格好自体が、ふざけているとしか思えない。

 皐月の同僚にも何人か会ったことはあるが、あの奇抜な格好の集団の中でも最も吹っ飛んでいる。

 というか、巫女の要素がほとんど紅白の下地ぐらいにしかないのだから。

 よくよく聞いてみると、巫女としての儀式もほとんどこなせず、座学の成績も最底辺、もともと身についていた刹彌流柔さつみりゅうやわら以外は使えないということだった。

 はっきり言えばおちこぼれ。

 よく言えばはみ出し者。

 それが刹彌皐月という女の子であった。


「しょうがないよ。だって、うちは親に才能がないから跡継ぎにしてもらえずに仕方なーく、〈社務所〉に拾ってもらった程度だもんね。やる気の度合いが他とは違うし」

「神宮女サンたちは由緒ある家系なんでしたよね」

「まあね。野良っぽいのはうちぐらいかな。いいとこの出じゃないのは―――あと、或子ちゃんだけかも」

「或子サンがですか?」

「そうそう。或子ちゃんは修業場に最後に来たんだよ。……あれ、確か御所守センセーが連れてきたんだっけ。なんか初日は、薄汚れたのがいるなあと思ってたんだけど、一緒に湯あみして洗ってあげたら凄く可愛くて参ったなあ。泥とかで汚かっただけで出てきたのは完全無欠の美少女だったんだよ。思わず、湯船に押し倒して、お股のところに手をさしこもうとしたら、音子ちゃんとレイちゃんにふっ飛ばされた愉快な思い出があるよ!!」


 ヴァネッサ・レベッカからすると、ただのセクハラの記憶であり、或子サンも大変だったのですねと同情するしかない。

 ほぼ初対面の相手にそこまでするから、きっと刹彌流の正統に選ばれなかったのではないかと疑ってしまえるほどだ。

 素行不良も極まれりということである。


「でも、その或子サンですけど、どうして今回は皐月が代理ということになったのですか? その〈以津真天〉というのは妖怪らしい妖怪のようですし、皐月みたいな出来損ないの退魔巫女にやらせる相手ではないと思うのですが……」

「グっ!! ネシーも言うねえ!! その通り!! 或子ちゃんたちはどうもララねえを艪櫂の及ぶ限り探しだすつもりみたいなんで、暇なうちが送り込まれたというのが事実なんだな、これが」


 下に見られようが軽く扱われようが決してめげないのが、刹彌皐月といういい加減すぎる少女の特性である。

 あまり真剣に物事に取り組まないというだらしない面もあるが、真面目にやると調子が狂って困るのでやむを得ないという側面もあるのは、仲のいい友人だけしか知らない部分ではあるのだが。


「ララ姐? あなたをFBIに寄越したという神撫音ララのことかしら」

「そうだね。あたりあたり。もともと、うちは〈社務所〉の〈外宮〉ってところでお仕事するつもりだったんだけど、見習いのときに藍色ちゃんがひきこもっちゃってその分の仕事がうちに回ってきてさ。どういう訳か、普通に退魔巫女やっていたら、今度はいきなりアメリカに行けとか言われてもう散々だったんだ。そん時の責任者がララ姐だったというわけ」

「……あなたも苦労したのね」

「でも、おかげでネシーという、私に届けマイ・スイート・ハートとお近づきになれたので良かったけど!! 月日はあざなえる縄の如し、塞翁さんしっかりだよ!!」


 ……日本人の癖にわたしよりも言葉を知らないというのはどういうことなんでしょう。

 もしかして、わざと言っている可能性もなくはないが、皐月が勉強をできないことはわかっているので多分間違いなく素で勘違いしているのだろう。


「ララ姐ってさ、おっぱいが超おっきくてしかも肌が褐色だからなんていうかボリューム感満点で良かったなあ。乳首ピンクだし!! ここ重要!!」

「なんでおっぱいの色を知っているのよ?」

「先輩達とも修行場で湯あみしたから」


 こいつとはもう一緒にお風呂に入らないようにしようと誓うヴァネッサ・レベッカであった。


「どうして神撫音ララが或子サンたちに追われているの?」

「知らないなー。まあ、どうせララ姐と〈社務所・外宮〉が何かやらかしたんでしょ。或子ちゃんがあんなに怒るということは、京一ちゃん絡みか両親に何かされたか、その辺だろうけどさ」

「そうなの?」

「まあね。或子ちゃんはたいていの理不尽や不条理には怒ってばかりだけど、中でも身内と友達へのちょっかいだけには大魔神のように、から」


 皐月の推測が正しければ、〈社務所〉の同じ組織内で何やら抗争が起きているようだ。

 FBIからきたよそ者である彼女からすれば客観的にみることもでき、火の粉を被らないように立ち回ることもできるのだが、同じ組織に属する皐月がこの能天気さでいいのだろうか。

 さすがのヴァネッサ・レベッカも首を捻らざるを得ない。


「そんなに呑気でいいの? 派閥争いか何かがおきているんでしょう?」

「別に。どのみち、〈社務所〉では神社の出身でもないうちはどこまでいっても外様だし、みんなみたいに世のため人の為に戦いたいわけでもないし、いざとなったら分のいい方につくだけだから」


 それが皐月の処世術であった。

 家業ともいうべき武術を継げなかったことは、それなりに彼女の人格に深い傷を残していたのだろう。

 あまり真摯に物事と接する気はないのだ。


「まあ、いいわ。あなたの信条に口を出す気はないから。では、行きましょう。運転はわたしがするわ」

「よろしく」


 ヴァネッサ・レベッカが運転するプリウスαは、狭山丘陵を越えて、西武球場の傍を通り抜けて、埼玉県を横断していく。

 東京都の大きさに慣れてしまったものからすると、埼玉は端から端までがかなり広い県である。

 目的地まで二時間ほどかかってしまった。

 到着した場所は、ほとんど田んぼばかりの土地であった。

 三月になったこともあり、緑がところどころに顔を出しているが、まだまだ肌寒いし、農業らしいものが始まっている様子はない。

 ただの寂しい土地でしかなかった。

 幹線道路から一歩でも離れれば、まばらに建物がある程度の場所だった。


「なかなか殺風景だね」

合衆国ステイツの田舎に比べればたいしたことないわ」

「あー、同感」


 二人は印刷しておいた書類と、GPSを見比べた。

 目的地となる無料低額宿泊所という施設「憩いの村」はすぐ近くにあるはずだった。


「こんなところに建てて、どうするつもりだったのかしら」

「脱走防止じゃないかな。禰宜が集めた情報によると、ヤクザの経営するタコ部屋みたいなところらしいから」

「メキシコの奴隷農場みたいなもの?」

「……働かすつもりはなくて、単に生活保護費をピンハネするだけの場所みたいだから、どちらかというと牧場じゃないかなあ」


 アメリカの常識しかないヴァネッサ・レベッカにはわかりづらいものであった。

 

「この地図からすると反対側なのかも。しまったなあ、無駄足踏んだかも。ネシー、車動かして」

「……ちょっと待って」


 さっさと立ち去ろうとするが、ヴァネッサ・レベッカに止められた。

 その目は道端にあるボロボロの掲示板に向けられている。


「―――これ、気になるわ」


 FBI捜査官の勘があたるかどうか、それは一年以上の相棒バディである皐月にもわからないことであった……




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