第396話「目前の嵐」
音子さんが語る〈枕返し〉の正体。
それは震動がそのものなのだという。
しかも、このラブホテルの一室の中の壁や床、天井を伝わる微かな震動がそのまま意志を持つ妖怪のように動き回り、人間の魂を飛ばしてしまうという話だ。
正直、どういう仕組みなのかわからない。
僕が目を覚ましたことによって、さっきまで御子内さんにどつかれて泣き喚いていたサム・ブレイディは消えてしまい、また夢に帰っていったようだが、強引に侵入してきた御子内さんはそのままだった。
サム・ブレイディが力を増していた以上、あそこが夢である可能性は高いけれども、僕の不確定な未来とも混ざり合っていたみたいだし、どういう世界だったのかさっぱりなのだ。
だから、音子さんの解説も今一つ納得できない。
あそこはいったいなんだったのか?
「―――もう一つの謎ってなんだい?」
御子内さんが首をひねった。
彼女も何かひっかかるものを感じていたらしい。
どうにもちぐはぐなところがあって、それが喉に小骨が詰まったように不快なのだ。
「それはこれ」
音子さんは颯爽と部屋から出ていくと、少しして何やら引きずって来て、僕らに向けて見せた。
一人の人間だった。
しかも、見覚えがある。
「さっきの従業員じゃないか。気絶しているのかい」
御子内さんの言う通りに、それは僕らをここに案内してくれたラブホテルの従業員の男性だった。
完全に白目を剥いてしまっている。
「使い魔が消えたから、あたしが加えた全衝撃がかかっているはず。二、三日は目を覚まさないはず」
「……使い魔だって? まさか、それがさっきの」
「〈枕返し〉。正確にはおそらく〈枕返し〉のモデルになった妖魅を操る術だと思う。こいつが術者」
「陰陽師ということかな?」
「はぐれ修験者かもしれない」
音子さんは淡々としている。
「どうして、そんなことがわかるんですか?」
「これ」
音子さんがベッドのスプリングで飛び跳ねると、その先に天井から下がった電灯があった。
その一部を信じられないほどの身軽さで一回転しながら蹴る。
カラカラと何かが壊れて降ってきた。
床に落ちたものを見ると―――
「隠しカメラだね」
「ホントだ」
こんなものが仕掛けられていたのか。
もしかして、誰かが僕らのことを覗いていたのかもしれない。
「でも、珍しいね。御子内さんがカメラで見られていたのに気づかなかったなんて」
「確かに変だな。ボクは人の視線には鋭いから気が付かないはずはないんだけど……」
「答えは簡単。きっとこのカメラが使われたのは、アルっちがいなくなってからだから」
「ボクがいなくなって……?」
「そう。このカメラが仕掛けられた理由は一つ」
音子さんは壁の一か所を叩いて、なにやら確かめると、そのまま拳を突きこんだ。
ベコリとわりと脆い壁に穴が開き、そこに手を入れてから引っ張り出されたのは黒いケーブルのついた丸いものだった。
「なに、それは?」
「盗聴器」
「……ラブホテルに盗聴器って変なことに使われそうだけど」
「そういう用途じゃない。たぶん、アルっちを警戒して仕掛けられたんだと思う。アルっちのけだものみたいな勘でも盗聴までは気が付かないから」
その言い方からすると、仕掛けた相手は御子内さんのことを知り尽くしているように聞こえるんだけど……
「だから、そろそろ出てきて、先輩。聞いているんでしょ」
音子さんが盗聴器に向けて呼びかけると、ガガガとどこからともなく音がして、テレビの画面がついた。
映っているのは既存の番組ではなく、どこか暗い場所で撮影していると思われる映像だった。
そして、映し出されているのは、
「ララさん!?」
褐色の健康的な肌をした、彫りの深い顔つきの美女であった。
すぐに南国の出身だとわかる、クレオパトラヘアーをした巫女。
年末に僕を攫った御子内さんたちの先輩―――神撫音ララさんであった。
〈社務所・外宮〉に属する、ある意味では御子内さんたちとは思想を異にする不倶戴天の敵でもある。
それがどうして画面に映し出されているのだろうか。
〔おまえが私に気が付くとは思わなかったのダヨ、神宮女。おまえは顔だけは綺麗だが、あとはおバカそのものだと侮っていたようダ〕
「―――うっさい、アホ。先輩だからっていい気になんな」
〔座学ではたいした成績ではなかったダロ〕
「あんなの世間ではなんの役にも立たない」
……音子さんは趣味やお気に入りのことには幅広いけど、興味ないことは本当に興味ない人だから。
でも、なんでララさんが画面に映っているんだ。
「また、キミの仕業か、ララ」
御子内さんは結構腹を立てているようだ。
おそらく僕を危険に曝したことについてだろう。
いつも友達思いな女の子なのだ。
〔御子内、おまえには用はナイ〕
「ボクにないということは―――狙いは音子ということかい? ……どういうことかな」
「アルっち、すぐにわかることだよ。震動そのものの使い魔なんて使うということは、あたしのことを知っていないと意味がない」
「まさか……」
音子さんは言った。
「先輩の狙いは、
「―――!?」
さすがの御子内さんが息を呑む。
〈大威徳音奏念術〉というものがどういうものかはさっき教えてもらった。
音子さんの家に伝わる秘術だということだが、もともと天皇家の儀式ために使われるものであって、門外不出であるという話だ。
それをどうして、ララさんが?
「一年前、〈天狗〉と戦ったときには使えなかった秘伝を、今のあたしが使えるかを試したんだと思う」
「いったいなんのためだ?」
「知らない。でも、京いっちゃんを試したときのように、また何か企んでいるんじゃね」
心底軽蔑したという顔つきで、口をとがらせる。
音子さんもなんだかんだいってお冠なのだろう。
気絶している従業員がララさんの送り込んだ工作員のようなものだということは、彼女たちからすれば敵対行為以外のなにものでもないからだ。
仮にも身内相手にそんなことをするのか、そう憤っているのだろうか。
「わざわざ、神宮女の秘伝でならば無効化できる使い魔を使ってあたしを試す。ふざけた話。あたしの耳に入るように、アルっちの動向を伝えてきたのも、今考えればあんたの差し金だったわけ?」
〔いう必要アル?〕
「別にいらない。あたしもあんたが嫌いってわかったけど」
〔ならいいでショ。―――とりあえず、あなたが神宮女の秘伝を自在に操れるまでになっていたことがわかればそれでいいのダヨ〕
「ララさん、それっていったいなんのためにやったんことなんですか?」
すると、ララさんは難しい顔で、
〔明王殿の〈神腕〉、刹彌の刹彌流柔、そして神宮女の〈大威徳音奏念術〉。―――それがすぐにでも使い物になるということがわかれば、〈
そして、こうも付け加える。
〔死の嵐が上陸する前に、戦える体勢を整えなさい、後輩ドモ。あなたたちにも出番は割り振られているんダ。戦って、戦って、〈社務所〉の巫女として死になサイ〕
映像は消えた。
どこから配信していたかはわからないけれど、確実にこちらの様子を観察していたのは確かだろう。
自分の目で御子内さんや音子さんの実力を見極めるために。
ララさんと彼女が所属する〈社務所・外宮〉がなにを想定して動いているかはわからない。
ただはっきりしているのは、彼女たちは少しでも戦力を集めようとしているということだ。
この場合の戦力というのは、御子内さんたち退魔巫女のことだ。
もしかしたら、その中には僕も含まれているのかもしれない。
ララさんたちは目的のためならば手段を選ばないが、そこまで強い危機感を抱いているということなのだろう。
いったい、この国にどんな災いが近づいているというのか。
まだ僕にはわからない。
けれど、それはそんなに遠い日のことではない。
それだけはわかっていた……
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