第393話「妖怪〈枕返し〉」
僕の
お腹にべっこりと大穴が開いているというのに、僕は死ぬ気配もない。
「さて、京一、調子はどうだい?」
「退屈はしなかったよ」
「ナイスな切り返しだ。さすがはボクの京一だ。こんな訳のわからない妖攻撃に対しても沈着冷静だ。で、今回はこいつを利用したのかな?」
指さされたのは、夢の中の殺人鬼だ。
かつて御子内さんに消滅させられる寸前まで叩きのめされたせいか、哀しくなるほどにビビリまくっている。
面と向かって立ち向かうだけの勇気はすでに持ち合わせていないらしい。
御子内さんが何かをする度にひぃぃぃと情けない声を上げた。
「ここはどこなの?」
「〈枕返し〉が寝ているキミの枕を返したことで離魂したみたいだ。しかも、その魂がよくわからない世界に紛れ込んでしまった。ボクと音子はなんとか京一を助け出そうと四苦八苦した挙句、ようやくおかしな結界の歪みを見つけて跳びこんでみたという訳さ」
「おかしな歪み?」
「きっとこの殺人鬼が力を取り戻したことで、五本の鉤爪がつけたらしい切り口が現われたのさ。
その信頼がちょっと眩しいよ。
だけど、その甲斐もあってようやく僕は御子内さんと合流できた。
ただ、ここからどうすればいいのだろうか。
少なくとも別の歪みのようなものはない。
「どうするの?」
「もう、ボクには何もできない。だから、待つだけさ」
「待つ? それだけでいいの? 何かしなくていいのかな」
「大丈夫だ」
「自信満々だね。根拠があるんだ?」
「当り前さ」
御子内さんは両手を腰に当てて仁王像のように直立し、
「あっちには音子がいるからね。あいつがボクの期待を裏切るはずはないさ」
親友への絶対なる信頼を告げながら、御子内或子は遥かなる天を睨み続ける。
◇◆◇
或子までが消えてしまったラブホテルの室内で、神宮女音子はじっと五感を研ぎ澄ませていた。
升麻京一の魂が分離し、どこへともなく消えてしまったとき、音子も或子もなにも観ていなかった。
何もしていないのに、京一の頭が乗っかっていた枕がパタンとひっくり返り、同時に肉体から薄ぼんやりとした魂が滲み出るようにでてきた。
肉体と魂が分離したということはすぐにわかった。
あまり前例のない現象だが、相手が〈枕返し〉だというのならばありえるかもしれない。
そう二人は結論付けた。
だが、その妖怪〈枕返し〉の姿はどこにも見当たらない。
枕を返した瞬間、そこには何もいなかったのだ。
超高速による移動?
不可視の迷彩による隠形の法?
考えられる妖怪の行動パターンを思い出してみても、どれもあてはまらない。
少なくとも音子だけでなく、或子の目まで掻い潜って京一に近づくことは絶対にできないはずだ。
どうやったのかわからない。
二人は最大限の警戒をしつつ、室内と京一の肉体の調査をした。
京一は魂が抜かれているのは確かで、何をしても反応がない。
このまま放っておくと魂壊死という状態になりかねないことも。
肉体と魂というものは二つで一つであり、魂がなくなった肉体はそのまま腐ってしまうのが普通だ。
なんとか維持させる方法はあるものの、邪法の死人返りに近いことから巫女たちが使うことは許されていない。
自然の摂理に反するという理由だった。
だから、下手をすればこのまま升麻京一は死ぬ。
なんとかして、彼の魂を奪った妖怪を倒さなければならない。
しかし、どんな手がかりも見つからずに数時間が立った。
一度、〈社務所〉の本貫地に連絡をするべきかと思ったとき、京一の肉体の上方に五本の瑕のようなものが現われた。
明らかに空間が裂けている。
歪みを通り越した怪奇現象であった。
それを見て、ピンと来たのか、或子が叫んだ。
「あれはサム・ブレイディの作る切り傷だ!!」
「夢の中の殺人鬼?」
「ああ。今だに京一の中に残滓だけは残っているという厄介な死霊さ。いつか、京一に死霊調略の儀式に参加させて完全に消し去ってしまおうかと思っているんだけど……」
「それがどうして今関係するの?」
「ほとんど力を喪失していたサム・ブレイディが力を戻したということは、京一が何かをしたんだ。そして、夢の中の殺人鬼が復活したということは今回の事件の性質は、夢に関するものだということさ」
夢の世界についての講釈は見習い時代に叩き込まれている。
だから、その頃の知識をすぐに思い浮かべられた。
「〈枕返し〉っていうのは夢の世界の妖怪でいいの?」
「だろうね。そして、京一の魂が連れていかれたのはおそらく夢と現の境界線だろう。そして、そこに京一はサム・ブレイディとともにいる!」
「よし、アルっちは行って。京いっちゃんの肉体はあたしが護る」
「頼んだ。―――でも、変な真似をするなよ」
「あたしはミョイちゃんみたいなむっつりスケベじゃない」
「たいして変わらないだろ」
親しい仲だからこその罵倒とともに、或子は空間の歪みともいえる場所に特攻した。
そんなことをしたら肉体がどうなるかわからないという一か八かの賭けだというのに一切の躊躇をしない点が或子の恐ろしいところだ。
やると決めたら絶対にやる。
絶対の死地に赴くことになるとわかっていたら、わざとそちらを選ぶように教育―――洗脳されたのが〈社務所〉退魔巫女なのだから。
我が身を損なうことよりも使命が大事。
妖怪退治が大事。
何よりも、愛しい人たちが大事。
だから、彼女は突き進む。
「
宙に浮かぶ傷に指を突っ込み、強引に押し開いたまま中に跳びこんでいった親友を見送りながら、音子は周囲のかすかな変化すらも見逃さないように集中する。
何も起きないはずがない。
夢の世界そのものではなくても、別の世界に無理矢理に干渉するという或子の荒技は絶対に反応を起こさせるはずだからである。
異物が混入したのならば何か反応があって当然だからだ。
しかも、御子内或子という毒物以上の劇物である。
無事にいったのならば先に升麻京一もいるのだから、二人が起こす化学反応は必ずしやトラブルを引き起こすはず。
だから、あとは待つだけだ。
少しでも異状が起きる瞬間を。
ブルルルルル
リングシューズの裏が震えた。
ほんの微かではあったが、震動があったのだ。
地震?
いや、地震ならばスマホの警戒情報が聞こえてくるはずだ。
ゆえにこの震動は地震ではない。
音子は手を壁に添えた。
似た震えが感じ取れた。
そこから導かれる答えは一つ。
「この部屋全体が震えているの?」
〈枕返し〉の姿は子供や小坊主のようであると言われている。
かつての〈社務所〉へも同様の報告がされているが、明確に統一された外見は伝わっていないし、妖怪の画集『画図百鬼夜行』には小さな仁王のごとく描かれていた。
音子もそういう小さな悪鬼がでてくると考えすぎていた。
だが、〈枕返し〉の所説について改めて考えると、幾つかの共通点がある。
寝ている旅人の枕を引っ繰り返すということに加えて、〈枕返し〉の行動はすべて室内で行われるということであった。
特定の部屋や建築物の中で遭遇するのが基本であり、屋外での被害があった場合には〈枕返し〉の仕業とは断定されないのだ。
つまり、閉ざされた場所に登場するという共通点がある。
このラブホテルの一室でのように。
「……京いっちゃんがいないとこういう時に困る」
音子は魂がなくて寝ているというよりも死んでいるに近い京一の額に手を添えた。
まだ温かい。
この少年には無事に生きて戻ってもらわなくてはならない。
「喉元まで出かかっているんだけど……さて、どうする?」
京一の頭が乗っている枕に触ってみる。
やはり普通のものだ。
おかしなところはない。
残留妖気すら感じられない。
あるのは部屋全体に漂う妖気だけだ。
―――部屋全体?
音子の脳みそがカチリと音をたてた。
謎が解けた証拠である。
ギリギリと歯車に油が注がれ、神宮女音子の全身に闘気が漲る。
これからが彼女の見せ場だ。
では、魅せてあげよう。
あたしの
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