第392話「夢魔蹂躙」
『てめえ、何を言ってやがんだ……?』
於駒神社をでたあと、誰もいない公園の片隅のベンチの上で、ジャムの空き瓶の中の殺人鬼が呟く。
僕の言いたいことがわからないらしい。
察しが悪いとは思わない。
無理を言っているなという自覚ぐらいはあるし。
ただ、これしか方法はなさそうだった。
「僕を怖がらせて力を取り戻しなよ。それで、僕を殺せばおまえも元に戻れるはずだ」
『はあ?』
力を使い果たして手のひらサイズにまで墜ちてしまったサム・ブレイディは顔をしかめた。
まだわからないらしい。
「おまえがここにいるということは、この世界が悪夢から覚めた状態と非常に似通っていることがわかるよね。御子内さんが夢の中からおまえを引っ張り出して、〈護摩台〉で叩きのめしたときのように」
『……なんだと』
「だから、おまえが力を取り戻して僕の夢に戻れば、それが状況を引っ繰り返す手段になるかもしれない」
『意味が分からん。俺にゃあ、てめえの考えがさっぱりだ』
それは僕も同様だ。
言語化しにくいのだけれど、僕の勘としか思えないものが訴えかけてきているのだ。
おまえの考えが正しい、と。
〈一指〉の力だろうか、それとも別の思考だろうか。
何はともあれ、これまで指し示された情報によると、〈枕返し〉退治のときに何かが起きた。
それで僕はこの世界にいる。
この世界で得たもので考えると、あのラブホテルで御子内さんたちが妖怪に敗れて、僕だけが残り、紆余曲折があってレイさんと結婚して今に至るというのが今のルートだろう。
じゃあ、なぜ、力を失いかけて僕の夢の片隅で残滓と化していたサム・ブレイディが実体化しているのか。
そこにあてはまるピースが見当たらない。
もっと時間を掛けてじっくりと検討すれば何かがわかるかも知れないが、残念なことに僕は悠長にやっていられるほど気が長くないのだ。
打つ手が何もないのならばともかく、あるのに手を拱いていられるほどのんびりとした性格をしてはいない。
そして、何よりも、僕には確信があった。
それは唯一無二ともいっていい確信だった。
「あの御子内さんたちが負ける? それこそあり得ないよね」
―――である。
このよくわからない世界がどうであろうと、御子内或子が妖怪なんかに敗れてどうにかなってしまったなんて信じられるはずがない。
しかも、あそこには音子さんもいた。
あの無敵の二人が組んでいて為すすべもなくやられたはずがないのだ。
つまり、まだ間に合う。
僕の〈一指〉ならば間に合う。
こっちの主観時間は過ぎ去っていたとしても、どうにかする術はあるはずだ。
そして、思いついた切り札があった。
「―――おまえが力を取り戻せ、サム・ブレイディ。今回だけはおまえを自由にしてやる」
『ふざけんな!! てめえのためになんか、指一本でも動かすものか!!』
空き瓶の蓋を開けて、引っ繰り返すとサム・ブレイディが転がり落ちてきた。
少々お冠のようだが、こいつの権利についての主張を聞いている暇はそもそも持っていない。
殺人鬼なんかに人権はなかった。
「僕がおまえを恐がれば力が戻るんだよね」
『てめえ、ぶっ殺してやる!!』
「どうすればいい?」
『―――ってえと、……マジかよ』
「マジ」
僕は頷いた。
まずこいつに力を与えなきゃならないけれど、その方法がいまいちわからない。
だって、僕はもう
夜中に廊下を這いずり回るゴキブリの方がよっぽど怖いレベルだし。
「どうすればいい?」
『……まあ、そうだな、てめえが自殺でもしたくなるような悪夢を見せればいいんじゃねえかな』
「無理」
『無理じゃねえよ、自殺しろよ!!』
そんな簡単に自殺できたら、世の中はもっとたくさんの人が死んでいるよ。
「それに僕が知りたいのは、おまえが力を取り戻せるような恐怖を僕が感じるにはどうすればいいのか、ということだよ。ほら、稀代の殺人鬼なんだろ。僕を脅かしてみな」
『―――キィィィ!!!』
なんだか悔しそうだ。
まったくおまえの都合なんかどうでもいいから、僕を怖がらせてくれればいいのに。
と思ったら、サム・ブレイディが飛びあがり、左手の刃物で切りつけてきた。
指先に血がにじむ。
傷の大きさからして包丁で誤って切ってしまった程度の痛みしかなく、チクリとしただけであった。
これで僕がこいつに恐怖を感じたかというとそういうことにはならなかったけど。
「駄目じゃん」
『うっせえ! 俺にもっと力があれば!!』
本当に力を失っているようだ。
こちらとしては最後の切り札なのだけれど。
仕方ない。
僕のやり方で行くか。
「よし、決めた」
サム・ブレイディを摘まみ上げる。
そして、あーんと口を開ける。
『何をしやがる!?』
「おまえを呑み込む。確か、死霊を口から呑み込むことで憑依されやすくなるという話を聞いた覚えがある。それをやる」
『ちょっと待て!!』
「どうせ、おまえは霊体みたいなものなんだろ。別に食べたって死にはしないよ。だから、内部から僕を侵食しな」
『なんでてめえは!? 頭イカレてんじゃねえのか!?』
確かにイカれているかもしれない。
これは賭けだ。
だが、ハイリスク・ハイリターン。当たれば億万長者にもなれる大ギャンブルだ。
いくぞ。
『いくぞじゃねええええ!!』
ごっくん。
予想以上に簡単に呑み込めた。
同時に喉元に異常なのど越しがあって、胃に何かが流れ込む異物感。
そして、やや遅れて、鳩尾のあたりに違和感が生じ、腹が内部から裂けた。
出てきたのは指先に刃物がついた成人男性の左手だった。
カチャカチャと硬質なものがぶつかり合う音と、僕の腹部から噴きだす大量の血液が地面を赤く染めあげた。
痛みはなく、むしろ、呆然と飛び出てきた鉤爪と手を見つめてしまう。
黒い服の袖からして間違いなくサム・ブレイディの手だ。
自分を呑み込んだ僕を一寸法師のように内部から食い尽くそうとしているのだろう。
さすがに不感症みたいになっていた僕でもこのあまりにもホラーな状況には恐怖を感じざるを得なかった。
全然痛くもないのに、他人の手に突き破られているのだ。
怖くないはずがない。
ビビりつつ、口を押える。
悲鳴が出そうだった。
手首から、肘、二の腕、肩の順番で左腕が現われ、最後に物理的にあり得ない大きさのはずのサム・ブレイディの顔が出てきた。
僕の腹から。
『ケケケケ、これならてめえを殺せるってえもんだ。俺をコケにするなんてバカな真似をした自分を恨めよ、ジャッッッッッッッップ!!』
上半身を剥きだした血まみれのサム・ブレイディが左手を掲げる。
僕を切り刻んで殺す気だ。
こいつならやる。
アメリカの故郷で多くの若者を殺したように僕を殺す。
ぶん、と左手が振るわれた。
鋭い凶器が僕を襲う。
だが、その爪はこちらにまで届かない。
僕の腹の中からでてきたもう一本の腕がそれを押しとどめたのだ。
白い肌をした女の繊手であった。
それが二本、傷口から湧き出るように現われてサム・ブレイディを押さえこむ。
とても体内に流れていたとは思えない奔流のような血液とともにもう一人の誰かが僕のお腹の中から出現した。
「……なんだかよくわからないけれど、ボクの京一が大ピンチだというのはよくわかったよ」
状況を顧みぬ淡々とした口調でその女の子は言う。
「御子内さん!!」
『て、てめえはジャップの巫女ヤロウ!!』
「―――ボクを野郎呼ばわりは止めてくれないか。あと、京一」
僕の流した血で赤く染めあがっているというのに、いつもと変わらぬ可愛さを誇る御子内さんがウインクした。
「〈枕返し〉の悪夢世界は堪能したかい、京一?」
そんな余裕はないって。
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