第391話「ここはどこだ?」



 この世界がどういう場所なのか、僕にはさっぱりわからないが、少なくとも主観的な解釈では十年後の世界のようだった。

 その時間の中で何がどういう風になったのかはわからない。

 だいたい、てんちゃんが僕に対して不倫を持ちかけてくるような覚えはない。

 もともと甘えたがりの女の子だったのは確かだけど、こんなに好かれていた覚えはないので、なんというか意味不明なのだ。

 前から腕を組まれたり抱き付かれたりということは多かったが、年上のお兄さんに懐くような感じだろうと思っていたのだが。

 いつ、こういう男女の関係のような感情をもたれたのかはわからない。

 この世界の以前の僕はいったいなにをしたのだろう。

 少し歩くと目の前に青いマークのコンビニがあった。

 さりげない風を装って、提案をする。


「……あ、僕、ちょっとコンビニに用事があるんだ」

「じゃあ、ちょっとてんはおトイレに行くっすね」


 と、僕の腕にしがみついていたてんちゃんが用を足しに消えたのを見計らって、僕はコンビニで物色する素振りをしてから、脱兎のごとく逃げ出した。

 あのまま行くと、真面目にさっきまでいたラブホテルではないけれど、その手のところに連れ込まれかねない。

 一見天真爛漫なところは変わってなさそうだけど、僕の女性観からすると、あのぐらいの女の人は信用ならないので演技の可能性もなくもないからだ。

 彼女には悪いけれどさっさと逃げ出すのが一番である。

 レイさんを躱したのと理由は同じだ。

 事情もわからないのに状況に流されるわけにはいかない。


「……でも、どこなんだろうここ」


 思いついたことがあるので、ジュースの自動販売機を見た。

 今の自動販売機には必ず設置場所の住所が記載されているから、すぐに位置情報はとれた。

 東京都世田谷区松原とあった。

 まったく土地勘がないが、だいたいの場所はわかる。

 駅でいうと明大前だ。

 すると、新宿にいくのが早いか。

 というか、行く場所としては僕が唯一場所を知っている〈社務所〉の関係のところ―――猫耳藍色さんの実家である於駒神社だ。

 ポケットの中の財布には見覚えのないカードや領収書もあったけど、三万円分のお金もあった。

 これでいけるはずだ。

 正直、スマホみたいな連絡手段があればいいのだが、レイさんに気づかれないように持ち出すことは不可能だったので仕方ない。

 まずは、この異常な世界から逃げ出さないと。


「で、何か思いついた? サム・ブレイディ」

『別に。でもよ、まあまともじゃねえな』

「どんなところで」

『さっきの娘、妙に発情していただろ。てめえの女房気取りもだ。違和感がありやがるな』


 殺人鬼の意見ももっともだ。

 レイさんもてんちゃんも、僕のことをなんとも思っていないはずなのに、あんな風に接してくるなんて理解できない。

 なのに十年後には僕の奥さんや不倫志願者になるなんておかしい。

 すると、ひっかかるのはここにいない人たち。


 例えば―――


 音子さんだ。


 例えば―――


 御子内さんだ。


 少なくとも僕一番付き合いの長い女の子たちの気配がない。

〈社務所〉との関係を断ったというのならばレイさんたちとともにいるのが矛盾する。

 彼女たちはどこにいるのか。

 それが知りたい。

 特にこの怪奇現象の発端となっているであろう、ラブホテルでの事件の当事者のはずの二人がいないのはおかしかった。

 ほぼすべての状況においては不自然な部分にこそ要諦がある。

 僕の勘は、あの二人の行方がすべての肝心かなめだと訴えていた。

 一年以上、御子内さんたちとつきあってきて、信じられないぐらいの修羅場に接して来た経験が告げるのだ。

 御子内さんと音子さんを見つけろ、と。

 

 京王電鉄の明大駅前から新宿行きに乗り込む。

 それから、地下鉄で中野新橋に行く。

 於駒神社までは歩いて十分ほどだ。

 僕が実際に行ったことのあるはっきりと〈社務所〉に属していると言える神社は、於駒神社と夢見神社の二つしかないからそこに行くのは必然といえた。

 実家に行ったとしてもどうにもならないし、できたら他の関係者にあうのも避けた方がいいだろう。

 どんなに慎重に動いても、警戒しすぎることはない。


 於駒神社の境内は記憶の通りだった。

 変化はない。

 藍色さんたちが住居にしている社務所の入り口でインターホンを押す。

 すぐに返事があった。


〔……はい、猫耳です〕


 藍色さんの声だった。

 よし、当たりだ。


「おはようございます、升麻です。ちょっといいですか」

〔お久しぶりです。今、いきます〕


 十年後の藍色さんは、トレードマークのネコミミこそ、そのままだったけれども以前よりもさらに大人っぽくなっていた。

 顔つきからしてレイさんよりも大人そのものだ。


「こんな朝早くからどうしたの?」

「一つ、聞いてもらいたい話があるんです。疑いとかそういうものがあると思いますが、すべて仮定の話としてなら聞いてもらえるかと。その上で意見を頂戴したいんです」

「いいですけど……にゃんにゃの?」


 僕は案内された客間で説明をすることになった。



           ◇◆◇



「仮定の話で―――いいんですにゃ?」

「僕がとんでもない妄想に捕らえられている可能性もありますから」


 藍色さんはじっと僕の話に聞き入っていた。

 ジャムの瓶の中のサム・ブレイディは見えていないそうだ。

 これが証拠です、とか突き付けたらただの頭のおかしな人だから黙っておいた。


「……〈枕返し〉を退治に渋谷にいった、と?」

「はい。おそらく、そのときに何かあったんじゃないかと」


 彼女は自分のスマホを見て、色々とチェックしていたが、


「ご自分の頭がおかしくなった自覚はあるのですかにゃ?」

「ありますよ。ただ、僕はこの世界がなにやら妙なおかしさに満たされているのは理解しています」

「……うーん、セカイ系ですにゃ。京一さんを主人公としたライトノベルみたいですね」

「なるほど。僕が主人公の作品みたいなんですかね。……すると、僕の主観がすべてということになりますか」

「きっと京一さんの一人称小説にゃんですよ。で、問題は、〈社務所〉の記録とにゃりますね。うちのデータベースには確かに載っていました。―――あにゃたたちは九年前に渋谷で妖怪退治に当たって、そのときに或子さんと音子さんの二人が行方不明ににゃっています」


 やっぱり。

 薄々と勘付いてはいたけれど。


「その後、あにゃたは進学予定だった〈社務所〉の系列ではにゃく、普通の大学に行ってわたしたちとはしばらく袂を分かちました」

「しばらく、なんだ」

「ええ。レイさんがあにゃたをもう一度現役復帰させて、数年二人で組んでいました。あにゃたは神撫音ララとも交流があって、西からきた仏凶徒との抗争での調停や沖縄奪還儀式戦争をこにゃしたあと、引退したレイさんと一緒ににゃって今に至ります」

「―――うわあ」


 まったく記憶にないけれど、自分の軌跡というのは聞いていて恥ずかしくなるね。

 しかし、我がことながらどういう心境の変化があったのかわからないが、とにかく大事なのは御子内さんと音子さんが行方不明になったというところだ。

 やはり〈枕返し〉関連で何かあったとみるべきか。

 

「あのラブホテルはまだありますか?」

「記録によると、事件の数か月後に潰れて今は更地ですね。退魔巫女が消えたので、もうどうにもにゃらにゃいと経営側が判断したようです」


 しまった、もう現場がないのか。

 それだと何か手がかりを手に入れることも難しい。

 まずい、このままでは完全に摘んだ状態だ。

 このおかしな状況がずっと続いてしまうことになるのか。

 僕のそんな様子を見て、藍色さんが問う。


「……わたしには京一さんがどういう状態にゃのか判断出きません。一説によると、夢を見ている間は魂が肉体から抜け出ており、その間に〈枕返し〉にいたずらをされると、と魂が肉体に帰ることができにゃいといわれています。今のあにゃたはそういう状態にゃのかも」

「夢を見ている……?」

「ええ。あにゃた自身の夢と或子さんたちのいにゃい未来のパラレルワールドのようにゃ分岐が混ざり合い、結果として今の世界があるとも仮説が立てられます。あくまで思考実験レベルですにゃ」


 パラレルワールドという考えもあるのか。

 そうすると、御子内さんたちは別の分岐の世界に取り残されている?

 並行世界だの繰り返しだの、そんなことがありうるものなのだろうか。

 いや、ありうると考えるべきだ。

 でなければ、僕はもう二度とあの二人に会えなくなってしまうかもしれない。


「でも、どうすれば。なんとかなりそうな儀式とか、〈社務所〉に伝わっているのですか?」

「―――さすがに聞いたことにゃいです」

「ですよね……」

「……だけど」


 藍色さんは一息ついてから言った。


「京一さんの〈一指〉の強運はいつでもあにゃたを救ってきました。あにゃたが諦めず、もがき、足掻いた最後の一手がいつも最後には結果を出してきたことをわたしは知っています。あにゃたが抗う意志をすてにゃければ、〈一指〉は絶対に助けてくれるでしょう。それはさっき引き合いに出したライトノベルの主人公への補正ぐらいに確かにゃことです」

「ご都合主義ですね」


 ただ、気が楽になった。

 まだ何もしていないのに諦めてはいけない。

 藍色さんに会ったことで色々と情報は増えたし、まだ打つ手はあるのだから。

 それにこの世界でだって、僕にとって優位に働かないファクターがないとも限らない。

〈枕返し〉と戦うための。


「ファクター……?」


 僕はさっきの藍色さんの台詞を反芻する。

 そういえばさっき……


「寝ているときに枕を返されると魂が肉体に戻れない…… 夢を見ている間は魂が肉体から抜け出ている…… そう言いましたね」

「はいにゃ」

「―――そういうことか」


 なるほど、もし〈枕返し〉を誘き出す囮が僕でなかったとしたらどうなっていたかはわからないけれど、僕だったからこそ助かったともいえる。

 僕には他人とちょっとだけ違うものがあったからだ。

 一つは絶対の努力の強運―――〈一指〉。

 もう一つは―――


「喜べ殺人鬼。君の願いはようやく叶いそうだよ」


 僕はジャムの瓶の中で納豆まみれの小さくなった稀代の殺人鬼に向けて親しみを込めて語りかけた……



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