第388話「渋谷は魔の出る坂と辻」



 このラブホテルは、客が入り口から入ると、全部の部屋の写真付きのカタログのようなものが壁一面に用意されている。

 どれか一部屋を手元にあるパネルで選び、利用する人数を押し(中には大人数もいるのだろう……)、利用時間を選ぶことになっていた。

 部屋が決まると、キーボックスが開いて、中に部屋のカギが落ちてきて、それを手にして部屋に向かうという仕掛けらしい。

 音声ガイダンスもついていて親切な造りだ。

 ただ、僕らに限ってはその手順は踏んでいない。

 このホテルのオーナーが僕らのためにつけてくれた従業員の男性がやってくれたからだ。


「―――この214号室になります。『バレンタインルーム』と呼称されています」

「それは覚えやすいね」

「シィ」


 種別はともあれ、ホテルマンらしい白黒のかっちりした制服の従業員は、僕らの法を極力見ないようにするためか、視線をずっと逸らしている。

 まあ、普通のラブホテルの従業員というのなら当たり前かもしれない。

 客のプライバシー保護のため、という建前があるからだ。

 普段はできる限り客の前に出ないように努めるが、何らかの形で相対したときも顔を見ないように視線を逸らすのがマナーなのだろう。

 今回はまあ前例のない事態だから仕方ないというところか。


「そういえば、そろそろバレンタインデーだね」

「去年は忘れていたが、今年はキミにはあげるよ、京一。あとはうちの父さんにもね」

「ああ、そういえばレイさんが多摩にまでやってきたころのことか。懐かしいねえ」


 僕の脳裏には、まだ御子内さんに敵愾心を燃やし続けていたころの、ちょっと尖がっていた明王殿レイさんが浮かんでいた。

 巫女というよりもヤンキーのような改造巫女装束で、〈神腕〉という神通力のこもった両腕を振るって御子内さんを追い詰めた同期だった。

 一度は御子内さんを完全にマットに沈めかけた強敵である。

 ただ、当時はまだこんなに付き合いが長くなるとは思ってもいなかった。

 最近は僕のうちにも遊びに来たりして、まあ親しい友達といってもいい。


「……むむむ、なんでレイの名前が出るんだい? おかしくないかな? もしかして、キミはレイにバレンタインデーのチョコを貰ったりしたのか?」

「いや、貰ってないよ。レイさんとは松戸で再会したけど、あのときはホワイトデーぐらいだったよね」

「―――本当かい?」

「嘘をついてどうするの? どんなに都合の悪い真実でも、大事な相手には嘘をついてはいけないってのが僕のポリシーなんだけど」

「なら、いいけど。でも、キミにとってボクは大事な相手だということは確定でいいんだね」

「うん、その通りだし」


 という会話をしていたら、いきなり「京いっちゃん」と肩を組まれた。

 覆面の美少女、ルチャドーラの音子さんだった。

 銀色の素地に、白い縁取りがしてある、いかにもメキシコのプロレスラーのような覆面であった。

 いつもはこんなけったいな覆面をつけているけれど、その下には美少女・綺麗どころ揃いの〈社務所〉の巫女の中でもきっての美貌が隠れているのだ。

 SNSの世界では知る人ぞ知るアイドルといってもいい。

 

「な、なに」

「アルっちの嫉妬につきあわなくていい。どうせ、たいしたことは言っていない」

「どういうこと?」

「まったく昔からアルっちはそう。なんだかんだいって抜け駆けしようとして失敗する。何事もね」

「どういうことだい!? ボクに何か因縁でも付ける気なのか!?」

「今日だって……」


 色っぽくしなだれかかる音子さん。

 外見はだが、素顔を知っている分、どうしてもドギマギしてしまう。

 あまりに美人のため、整いすぎてすべての平均値とも呼べる美貌になるとすべての人が懐かしさを覚えるという。

 そのレベルの美人が遊びとはいえ身体を擦りつけてくるのは刺激的すぎる!


「離れろ、このウスバカゲロウ!!」

「イヤ」

「ぴょんぴょん飛び跳ねているうちに蝿叩きで潰してやる!!」


 なに、その虫けら縛り。

 僕の両腕を引っ張りつつ、二人がどうでもいい言い争いを初める。

 僕をダシにして喧嘩を始めるのは本当に止めて欲しい。


「こちらが214号室になります。奥のベッドでお休みになられていると、いつもお客様方はチェックアウト時に喧嘩をなされてそのまま帰ってしまわれるのです」


 巫女さんたちが争っているうちに到着した214号室は薄暗い照明の灯りを絞った部屋であった。

 むっとした臭いがした。

 やや生臭いのはきっとこれが性交渉の臭いだからだ。

 童貞と処女の僕らには刺激が強すぎるが、少し時間が経つとさすがになれたけど。

 こういうスメルには意外と抵抗力があるのだ。

 御子内さんたちは言わずもがな、というところか。


「ふーん、わりと広いねえ」

「シィ」


 興味津々といった表情で中身の検分を始める巫女たち。

 室内は十二畳ほどで、手前にユニットバスがある。

 バスタブは広く、しかも丸い形状をしているし、浅く腰掛けられるように段差ができていた。

 二人ぐらいは浸かれる大きさだ。

 ベッドも当然ただのダブルよりは大きいし、枕なんて長いのが一つといういやらしすぎる扱いだ。

 

「おお、でかいなあ。撥ねるぞ、これ!!」


 どう考えてもそういう用途のベッドのスプリングで楽しむ御子内さんは意外と大物である。

 むしろ、もじもじしながら触れたり離れたりしている音子さんが純情そうだった。

 さっきまでの態度とは正反対である。


「そちらのベッドでお休みになっていたお客様が朝になると皆さまとんでもなく激昂して喧嘩を始めるので、当ホテルでもほとほと参っていたのでございます」 

「……休憩レストの場合でもですか?」

「お泊りになられた場合だけでございます」

「やっぱりそうなんですか……」


 このベッドで普通にエッチなことをやった程度では出てこないけれど、張り切りすぎて寝てしまった朝にはもう妖怪の影響下に入っていて後の祭り、ということか。

 間違いなく〈枕返し〉の仕業のようだ。

 しかも、今回は〈社務所〉の調査でも断定されているし。

 だったら、そんなに面倒なことは起きたりしないだろう。

 ただでさえ、味方同士が面倒くさくなっているのに、これ以上の厄介ごとはゴメンだ。


「では、お客様。失礼いたします」


 一切、僕らと眼を合わせずに従業員は出ていった。

 その後ろ姿を見つめて、


「この妖気に満ちた部屋でも普段通りとは、ここの従業員たちも相当汚染されているね」

「シィ。この建物ホテル、かなり妖魅臭いのに、あの人、ほとんど異常を嗅ぎ取れていなかった」

「そうなの?」

「ここの臭い。いくらなんでも臭すぎ」

「妖怪が巣食っているのは確かだね」


 どうやら、僕はこれを男女の性交渉による残り香だと思っていたけれど、プロの退魔師でもある二人には別のものと認識していたらしい。


「むしろ、渋谷だから、この程度普通と高をくくっていたのかな。音子はどう思う?」

「結局、道玄坂は昔からこういうところだし、妖怪が辻に棲みついていても仕方ない。てんてんが透明人間を捕まえたのもこの辺でしょ」

「透明人間……ロバートさんだね」

「ムジナや〈のっぺらぼう〉、その他がうろつき回っている得意な坂と辻のある町。それが渋谷だから」


〈七人ミサキ〉なんかも出ていたっけ。

 そう考えると、ある意味、新宿よりも厄介な場所なんだな渋谷ここは。


「じゃあ、時間もないから〈枕返し〉狩りを始めよう。―――京いっちゃん」

「なに?」

「一緒にお風呂入ろう」

「ど、どうして?」

「まずは湯あみをして肉体を綺麗にした方が妖魅も近寄りやすいから。あと、お湯で温まると眠りにつきやすくなる」

「それはいいけど……どうして一緒に」


 当たり前の質問をすると、音子さんが力比べをするかのように両腕を掲げてにじり寄ってくる。


「せっかくラブホテルに来たんだから、メイク・ラブしないと」


 銀色の覆面のせいでまるでウルトラマンに迫られているようだった。


「京いっちゃん、大人の階段を登ろう」

「ふざけんな」


 横合いから飛び出してきた御子内さんの蹴りが見事に音子さんをベッドにまで吹き飛ばす。

 こうなるとわかっていながら、なんというか音子さんも無謀な女の子ひとだ。

 御子内さんの前でおふざけしたらすぐに粛清されるとわかっているのに。


「まったく。音子は昔から鳶みたいに油揚げを攫おうとする。だから、キミは駄目なのだ」


 ―――第三者から言わせてもらうと、君たちはどっちもどっちもだけどね。

 僕は一般論の国からやってきた一般論の王様のようなことを呟いて、とりあえず風呂場に向かった。

 ひとっ風呂浴びるのは悪くない。

 どうせ、僕はこの愉快じゃない部屋のベッドで眠らなければならないのだから少しは気分良くなりたいものだしね。




 こうして、〈枕返し〉を誘き出すための囮となった僕は、これから二十分後に熟睡してしまうのである。



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