第386話「たった一つの決めたやり方」



 凜花さんの意識はすぐには戻らなかったが、さっきまではまったくなかった寝返りをうつ行為などもし始めていたので、遠からず目を覚ますだろうと思われた。

 彼女と御子内さんを楽にさせてから、僕と千夏子さんは洋館の玄関まで向かった。

 未だ閉ざされた門の外には、例の白い青年―――シーリー・コートが所在無げにぽつんと突っ立っていたが、僕らを見てにっこりと微笑んだ。

 心の芯まで温かくなるような、そんな微笑みだった。


「―――えっと、〈赤帽子〉はどうしたのかな?」

「あなたの目的はこれでしょう、シーリー・コート」


 千夏子さんが手にしていたのは、一本の腕だった。

 十センチほどの大きさで、まるで人形のもののようだ。

 ただ、僕はこれが凜花さんの口の中から吐瀉物と一緒に蟲のように這い出してきたところを目撃しているので、人形のものみたいなんて牧歌的な気持ちにはなれない。

 おそらくはこれが原寸大の妖精・怪物こびと〈赤帽子〉の腕なのだろう。

 こんなものがどうやって女の子の口の中に侵入してしまったのかはわからないが、千夏子さんに言わせると「この腕が持ち主のもとに帰ろうとしたら、人間の肉体を乗っ取るしかない訳だから、きっと夜中に這いまわって凜花ちゃんに潜り込んだのでしょう」と恐ろしい話をしていた。

 怪談の猿の手じゃあるまいし、こんなものがてけてけと這いずり回っている光景は想像もしたくない。

 ただし、御子内さんにやられてようやく憑りついていた肉体から出てきたという訳だ。

 こんな風に見えてもまだ動いているのが、生きていることの証しとでもいうのか、無気味でしょうがなかった。

〈護摩台〉に封印されずにいたのは、おそらく凜花さんの体内に潜り込んでいたからだろう。

 ほぼ同化していたことも理由の一つだろうが。


「この汚らわしい腕をさっさと〈妖精郷〉に帰してちょうだい」


 鉄の柵越しに千夏子さんが腕を伸ばした。

 シーリー・コートも手を伸ばしたが、すぐには受け取らない。

 男とは思えぬ美貌をしかめて哀しそうに言った。


来てくれないんだね」

「無理よ。もう、あなたは存在。わたしとはもう交わることもない光と影になったのよ」

「とはいっても千夏ちゃん。ぼくはまだ」

「帰ってちょうだいな、シーリー・コート。わたしの親戚はもう死んだのよ。あなたはただの残骸。人間ではないんだから」


 冷たい言葉だったが、決して本心ではないと思いたい。

 でなければ、千夏子さんの足が微かに震えていたりはしないはずだ。

 シーリー・コートはしばらく哀しそうな顔をして、無言のまま踵を返した。

〈護摩台〉を宙に浮かせて庭に落とすなんていう、ありえない超現象を引き起こしたはずの人外の化生にしては普通の青年のような背中を見せて。


「いいんですか?」

「いいのよ。わたし、今年で四十八になるけど、あの、幾つに見える?」

「二十代前半……いや二十歳ぐらいに」

「本当なら、もう七十二歳なのよ。あの人は」

「え……」


 妖精の力があるとはいっても、そんな……年齢には見えない。

 不老不死、ということか。


「時の流れが違う人間と妖精は共にいるべきじゃないわ。だから、わたしは研究はするけれど彼らと共生しようとはしない。むしろ、人間と妖精の接点を失くしたいと思っているぐらいだから」

「そんなものなんですか」

「そのうち、あなたにもわかるわ。人間と妖精―――あなたたちなら、人と妖魅と言い換えるのかしら? それは共に生きる存在ではないということを」


 千夏子さんは自分に言い聞かせるように、そのまま洋館に戻っていった。

〈赤帽子〉の痕跡を消すためだろう。

 なぜか、そんな気がした。

 彼女はできることならば妖精とは関わりたくない。

 しかし、関わらなければ消せない痛みがあるから、嫌なことだとわかっていても続けているのだろう。

 きっと僕程度のお子様では踏み込んではならない大人の傷痕なのだ。


「―――千夏ちゃんは難しく考えすぎなんだよね、うんうん」


 愕然と振り向いたら、去っていったはずのシーリー・コートが門柱にもたれかかって腕組みをしていた。

 さっきの胸が締め付けられるような表情も雰囲気も欠片もない。

 春風駘蕩とした飄々さだけが漂っている。

 あれ、もしかしてさっきまでのは―――


「演技、だったんですか?」

 

 だとしたら、かなり千夏子さんが可哀想なんだけど。


「そういう訳じゃないよ。千夏ちゃんとは顔合わせづらいのは事実だしね。っていうか、ぼくも仕事できているものでやることはやらないとね」


 ビジネスライクなことを言っている。

 ただ、そのあと、どういうわけか足元のあたりを思いっきり踏みつけて、


「おまえたち、うるさいよ。密告したければすればいいだろう。シーリー・コートが故郷に帰ってきたからって遊んでいたってね。ただし、そのあとでおまえたちをパックの熱い接吻ベーゼの刑に処してやるからさ!」


 不可視の何かに向けて毒づいていた。

 傍から見ると残念な美形だが、あれほどまでの奇跡を見せつけられたら素直にそういうものだと納得せざるを得ない。

 きっとあそこには僕には視えない妖精か何かがいて、それとシーリー・コートは会話をしているのだろう。

 もっとも、可哀想な子供のいうところのの可能性もわずかだが存在はするのだけれど。


「……仕事って〈赤帽子〉を捕らえることですか?」

「あたり。でも、それだけでもない。最近、この国―――ぼくの故郷なのだけれども―――に色々とうちの〈妖精郷〉から脱走者が入り込んでいるんで、それの調査をしなければならないんだよ」


 まさか、ロバートさんのことだろうか。

 それは黙っておこうと心に決めた。


「……さっきの巫女さんにしようかなと思ったんだけど、貴方でもいいや。一つ、忠告しておくよ」

「なにを……ですか?」


 シーリー・コートは口に手を当てて、


「今年の夏ぐらいに、イギリスがEUを離脱するから。ついでにアメリカの大統領もおそらくあの威勢のいいアンクル・サムになるよ」

「どういうことですか」


 急に訳のわからないことをいいだす青年だった。

 あまり世界情勢に詳しくない僕でも、イギリスのキャメロン首相がこの間、国民に対してEU残留を問う国民投票を実施すると発表したのは知っているし、アメリカ大統領選挙に過激な発言を乱発するトランプという候補がいることも知っている。

 だけど、イギリスほどの大国がいくらなんでもヨーロッパの秩序をぶち壊しに走るとは思えないし、腐ってもアメリカがあんな過激な人を大統領にするはずがない。

 自由と民主主義を謳っている国なんだよ。

 だから、シーリー・コートの言っていることは眉唾ものだった。

 しかも、なんで急に政治の話が……


「世界はこれからグローバリゼーションは鳴りを潜め、自国と同盟国だけの保護主義になっていくだろうね。人と物、情報の行き交いよりも自国の秩序と安定が大事になっていく。どこの国もね」

「……だから、その」

「でも、ぼくや貴方がいる世界は違う。闇の奥底、淀んだ澱の中、あちらの世界。―――そこでは先鋭的すぎるグローバリゼーションが始まっている。あらゆる妖魅や怪物、死霊や魔物が、人間とともに他国や他の地域に赴き、何も知らない民草や同類を刈り取っていき、地獄を産みだす魔界のグローバリゼーションさ。それが始まっている」


 何かが引っかかった。

 シーリー・コートの言い分に、僕の記憶にある何かが。


「なぜ、イギリスがEUを離脱するか、わかるかな。あの国では家しか買えない。土地は買えないんだ。土地を手に入れることができるのは貴族だけで、売買できるのは正確には借地権だけ。貴族がもっていない土地の残りは女王様のものだ。……その土地を独占している貴族たちが決めたのさ」

「どうして?」

「さらに真実を言うと、大陸からやってくる化け物どもと戦うための足枷にならないように妖精たちと眠り続けている神々、英雄たちが働きかけたんだよ。大陸とは距離を置けと、ね」


 妖精は言う。


「現在、世界は乱れに乱れている。何故か? それは地球の表面に走る、星の力であるレイ・ラインが暴走し、濁流となって世界中を駆け巡っているからだ。星の力は、何千年も眠っていたものたちを呼び起こし、そいつらがまた、眠っているやつらを焚きつけ、さらに連鎖していく」

「レイ・ライン……ってまさか」

「世界の秩序は乱れに乱れた。これから闇の妖魅や魔物たちの跳梁跋扈が始まる。この世の闇が活性化する。それはイギリスでもアメリカでも―――このぼくの故郷でも、だ」


 シーリー・コートは自分の故郷に警告を与えに来たのか。


「だから、貴方たちも備えることだ。モラルを産みだすのはだ。晒し首だけが世界を守る。鉄拳と鉄剣のみが贖える。―――最強の守り手を育てることだね。それだけがこの国に生まれた美しい恋人たちを護る、たった一つの冴えた手段なんだよ」

「あ、なたは……」

「健闘を祈るね」


 僕の肩をぽんと叩くと、そのまま彼は消えてしまった。

 手を門の中に差しこむことができたということは、きっと本当はここの敷地にも入れたに違いない。

 でも、あの妖精なりの考えがあって、御子内さんと僕にすべてを委ねたのだろう。

 あと、千夏子さんにも。

 

 瞬間移動でもするかのように消失した妖精の言葉を思い出す。

 色々と言葉を誤魔化してはいたけれど、彼の忠告はきっとこれからの世界の行く末を案じたものなのだろう。

 最近、日本に増えたという外来種の妖怪や怪物のこと、そして年末に僕を誘拐した神撫音ララさんのこと、あの風の邪神の眷属。

 すべてが迫りくる災害の予兆となっている。

 いつか、そう近い将来、きっともっと恐ろしい災いがこの日本に襲い掛かるだろう。

 そのとき、僕や御子内さんはどうするのだろうか。


「……いや、まあ、御子内さんだしね」


 僕は首を振った。

 未来がなんとなく想像ついた。

 脳裏の中で何年後かの彼女がこれまでのように元気に戦っている姿が浮かんだからだ。


「あの御子内さんが為すすべもなく死ぬなんてありえない」


 だったら、僕はついていくだけだ。

 もう随分と前に決めておいたことをやるだけ。


 それはとても簡単なことのような気がした……


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