第385話「開け、門」
突如として降ってきたプロレスリングに即座に反応できたのはやはり場慣れしている御子内さんだった。
いかに人外の妖魅である妖精といえど、目の前にどでんと現われた〈護摩台〉には気を取られてしまっても仕方がないところだろう。
すかさず〈赤帽子〉の背後に回り込んだ御子内さんが腕を掴んで、〈護摩台〉のマットの上に突っ込んだ。
もんどりうちつつ、マットに押し込まれた〈赤帽子〉が悪鬼の形相になる。
とてもではないが、ベースとなった少女の面影などない。
あちらの言い分では「何をする!」と言ったところか。
隙を突かれた形になっているのだからそれも当然。
だが、〈赤帽子〉を追って御子内さんが〈護摩台〉に入り込んだ途端、聞き慣れた
カアアアアンという
〈護摩台〉のもつ、妖魅の力を巫女と五分にさせるという結界が機能をはじめた合図だった。
御子内さんがずっと耐え続けて待っていた瞬間の到来だ。
これで〈赤帽子〉はピョンピョン飛んで逃げられない。
実際、さっきまでのように撥ねて逃げようとしたが、頭上でなにやら引っかかるものがあったらしく、そのまま無様に落下してきた。
意味が分からんという顔をしながら、頭を押さえる〈赤帽子〉に御子内さんのタックルが入る。
霊長類最強の吉田沙保里並みに早く、腰に突き刺さるタックルが緑色の妖精の腰に入った。
そのままマウントをとる。
組み敷いた〈赤帽子〉が暴れないように肩を押さえながら絞めた。
憑りつかれた凜花さんを傷つけないようにという攻撃なのだろうが、そんな悠長なことをいっていられる場合ではなかったかもしれない。
ぶあ、っとマットに再び風が荒れ狂い、顔面をガードした御子内さんを吹き飛ばす。
恐ろしいほどに効果的に風を操る妖精だった。
風なんていう形のないものを器用に攻防一体に使いこなすため、組み技・打撃技主体の巫女レスラーでは後手に回らざるを得ないらしい。
しかも、組みついても振り切られるとなると……
数多の幽霊に憑かれた人間同様に、真っ正面から戦うと御子内さんの力だと傷つけてしまいかねない相手なのが厄介だった。
どうすればいい?
「―――巫女の女の子は〈
見上げると、白いコートのシーリー・コートはまだ浮いている。
こっちを見ていた。
「ええ。プ……プラーナというのに含まれるかどうかはわかりませんが。彼女たちは〈
「同じ生命力の一種さ。細かいことは気にしちゃ駄目だぞ」
雑だな!
「だったら、〈赤帽子〉を押さえこんで直接あの赤くて薄汚い帽子に〈気〉を流し込んでみなよ。きっとそれで外れると思う。〈赤帽子〉はあの帽子に血を塗りこむことで力が出る。逆にいえば、帽子が弱点なんだ」
「わ、わかりました」
「頑張ってね~」
なんというか軽すぎるアドバイスをもらったが、それでも効果的な忠告に違いない。
これで御子内さんがあの邪妖精に勝てるというのならば縋るしかないだろう。
万馬券よりは確実なギャンブルだし。
「御子内さん!!」
僕は叫んだ。
「その帽子に試しに〈気〉を叩きこんで! なんとかなるかもしれない!」
「了解だ!!」
御子内さん自身、打開策の発見に苦慮していたこともあってか、僕の適当なまた聞きアドバイスをすぐに実行し始める。
〈赤帽子〉の帽子そのものに触れることはなかなか難しいとしても、あの風の魔術による防御を崩して肉薄すること自体はできるはずだ。
〈護摩台〉の狭いマットの上では例の竜巻状の風は使いにくいらしく、〈赤帽子〉の攻撃は手斧による乱暴で雑な連打に切り替わっている。
動きが早いので苦労しているが、手斧自体はどうということがない。
以前の夢の殺人鬼サム・ブレイディみたいに素人そのものなのだ。
退魔巫女たちが絶対的に無敵なのは、鍛え上げられた格闘スキルの差もあるのだろう。
持って生まれた素質と肉体能力だけでは戦いには勝てない。
研鑽と努力こそが、戦士を頑強に作り上げる。
その意味で〈社務所〉の退魔巫女たちはすべて真の戦士揃いだった。
ロープの反動を利用して、左右から揺さぶりをかけながら反応を見るが、その程度では〈赤帽子〉は動じない。
横合いからカニバサミを仕掛けても、その程度の奇襲ではまるっきり意味がない。
だからマット上を吹きすさぶ颶風に耐えながら、御子内さんは隙を窺うしか、あの赤い帽子を狙う術はない。
―――はずだった。
息を止めながら観戦を続けていた僕は、御子内さんがあえて風に耐えているということがわかった。
手斧による致命傷と風の魔術による時折の斬撃については躱すことに集中してじっと様子を見ている。
いや、呼吸法からすると、ずっと練気を続けているのだ。
普通の彼女ならばすでに必要なだけの〈気〉は蓄えられているはずなのに、それをさらに増やしているのだ。
〈気〉でもって何かを行おうとしているかのように。
基本的に彼女たちの気功は外に向かうものでなく、内に作用するものだ。
要するに人の能力を高めるためのものと言っていい。
だから、彼女が練っている〈気〉は御子内さんの潜在的な能力をあげるためのものであることは間違いない。
しかし、普段でも段違いの能力をさらに高めて何をするつもりなのだ。
〈赤帽子〉が近づき、容赦のない前蹴りが腹に突き刺さる。
いつもの彼女なら躱せていたものだが、為すすべもなく食らってしまう。
死なない程度の業ならば受けてしまっても構わないということだろう。
嵩に懸かって蹴りつける〈赤帽子〉。
手斧だけは防ぐものの防戦一方、凌辱され、リンチされる一方の御子内さんだったが、目は死んでいない。
ガードした手の隙間から覗く眼光は鋭いままだ。
手斧の柄が振るわれた。
額に当たり血が飛び出る。
血飛沫。
それが両眼に入ったのか、さすがの彼女の顔も歪んだ。
隙を見逃す怪物ではない。
〈赤帽子〉が渾身の力を籠めて刃物を叩きつけた。
これは避けられない。
目を塞がれている状況ではいくらなんでも無理だ。
「御子内さん!!」
僕は叫んだ。
「うらあ!!」
のけ反っていた御子内さんが上半身を戻す。
同時に―――退魔巫女が三人になった。
正面と斜め左右に三人の御子内或子が出現したように見える。
対峙している〈赤帽子〉なら尚更だろう。
まるで分身の術だ。
しかし、人間が分身なんてできるはずがない。
つまり、御子内さんは超人的な歩法を使い、幻惑させているだけなのだ。
それがどれほどのものなのかは想像もできない。
人の限界を越えた動きを―――わかった、さっきの〈気〉で引き出したのだ―――見せて、邪妖精に襲い掛かる。
『キィェエエエエエ!!』
〈赤帽子〉は手斧を振るった。横に。
そうすればすべての御子内さんを捉えられる。
―――訳がない。
分身の術と思われるぐらいに引き上げられた限界的機動がそんなもので破られるはずがない。
手斧は無意味に宙を切った。
そして、次の瞬間、〈赤帽子〉の背後に御子内さんは飛んでいた。
後方高く舞い上がり、両足を〈赤帽子〉の首にかけて、固定して、捻る。
勢いに負けて妖精は横に転がされ、マットに倒れる。
御子内さんが両手を合わせ、肘を赤い帽子目掛けて突き立てた。
あの肘には彼女の極限まで高めた〈気〉がこめられているはず。
そんなものを受ければ、〈赤帽子〉の帽子とて潰れる。
やられた瞬間、妖精には何が起きたかさえわからなかっただろう。
上から見ていた僕らでさえも一瞬すぎて不明だったのだから。
あとで技を出した本人から解説をしてもらってようやく把握できたという程度なのではあるが。
倒れた〈赤帽子〉は10カウント後に消えていった。
今回は憑りつかれていたということもあって、消えていったのは緑の服と赤い帽子だけであったが、それにしても極限の戦いだった。
さすがの御子内さんがバテてマットの上で倒れてしまっているほどに。
「大丈夫?」
「うん、まあ、なんとかね」
「動けるかな」
「もうちぃと待ってくれないかな。……あんなもんを開くと身体がバキバキでしばらくは立ち上がることもできそうにないからさ」
ここまでバテた彼女をみることはほとんどない。
「凜花ちゃん、凜花ちゃん」
千夏子さんが凜花さんを介抱していた。
命に別条はないらしいが、まだ気絶したままだ。
なんだかんだいって、今回、僕らはまだ豊ノ橋凜花という女のことまともに喋るどころか起きている顔を見たことさえない。
まったく、いつもとは違う退魔の仕事だったね。
「あいつ、まだいるよ」
御子内さんが頭上を仰ぐと、そこには確かにシーリー・コートが飛んでいる。
「ボクは動けそうにないから、京一が話を聞いておいてくれないか。場合によっては、あいつも倒さなくちゃならないしね」
御子内さんのために〈護摩台〉を用意してくれた恩はあったとしても、彼の正体はまだ不明なのだから、その用心は当然のものといえた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます