第384話「大妖精の力」



「おーい」


 窓の外から声がした。

 いや、そんな気がした。

 耳元で直接呼びかけられたような、そんなテレパシーじみた声だった。

 何事かと思ってそっち側に視線を向けると、なんと三メートル以上ある庭と外部を隔てる鉄柵の上にさっきの白いコートの青年がいた。

 鉄柵に立っている訳ではない。

 先端についている尖った忍び返し風の飾りのさらに上に、のだ。

 僕も一年以上、御子内さんたちと付き合ってきて大概のトンデモ出来事には耐性ができていた方だが、あんな風に幽霊でもないのにふわふわと飛んでいる人間を見たのは初めてだった。

 しかも、おそらく、手品のタネはない。

 あの青年の能力なのだ。

 空を飛ぶ人間の登場に戦慄していると、


「千夏ちゃん、お久しぶり。そっちに行きたいんだけど、妖精対策がしっかりしすぎていて、ぼくでも入れないんだけどどうしたらいいかなあ?」


 と、呑気な発言が聞こえてきた。

 さっきの声はやはりあの青年か。

 声を張り上げているというのでもないのに、こんな至近距離でも聞こえてくる奇怪な喋り方である。

 宙に浮いているのと同じぐらい信じられない。


「シーリー・コート、いくらあなたでもここには潜り込めないわよ」


 千夏子さんはわりと平然と受け答えをしている。

 この距離でも会話が成り立つのを当然と捉えているようだ。

 しかし、この二人、やはり知己の関係だったか。


「それだと、庭で戦っている〈赤帽子〉を排除できないんだけど。ぼくの仕事だからさあ。でも、千夏ちゃんちの庭にすら入れなくて困っているんだよ」

「……残念だけど、一体でも妖精をうちに入れる訳にはいかないの。例え、それがあなたでもね。あの〈赤帽子〉に憑りつかれた女の子を一人、助けるためにも」

「うーん、はっきりいって、そいつは強敵だよ。人間じゃあまず勝てないんじゃないかな。長い間、片手をクローゼットなんかに縫い止められていた怨みでほとんど発狂しているしね」


 どうやら、こちらの事情を完全に把握しているらしい。

〈赤帽子〉がどういうものかも、だ。

 見たところ、ややケルト風な顔立ちだが完全に日本人のようなのに、妖精としか思えない青年だ。

 まったく得体が知れない。


「この家の守りを解くと、〈赤帽子〉にまで逃げられてしまうから仕方ないわ」

「……とは言ってもね」


 ここで僕が口を挟んだ。


「すいません! あの、今、そこの庭で戦っている巫女さんを助けたいんです。あなたならわかるかもしれない。いったい、どうすればいいですか!?」

「貴方はさっきの少年だね。それはぼくも同じ気持ちなんだけど、ぼくがここの敷地内には一歩も立ち入れないんだよ。千夏ちゃんが許してくれないからさ。ぼくにできることは、そこに道具を送り届けること程度かなあ」


 道具を送り届ける?

 どの範囲で?

 ざっと見渡すと、彼が浮いているのは西の方向だ。

 だとすると、傍にトラックがあるはずだ。

〈護摩台〉設営の資材を乗せた8tトラックが。


「……そのあたりに僕たちが用意したトラックがあります。その中に巫女に助力するための結界を張るための資材が入っていまして、それをなんとか使えないでしょうか」

「ううんと、あっあるね。あれが結界用なの? ―――なるほど、聞いたことがある。東洋の魔術の形式だね。うんうん、それを使おうか。じゃあ、ちょっと待っててくれないかな」


 すると、青年はどこかへと飛んで行ってしまった。

 なんとも奇妙なタイプだ。

 飄々としすぎていて、呆気にとられる。


「……あの人、なんなんですか?」

「シーリー・コートよ。しかも、大文字のTHEがつく、本物の大妖精」

「えっと、シーリー・コートって妖精の力を得た人間だってことでしたけど、あの人もそうなんですか?」

「普通のシーリー・コートではないわね。彼は特別」

「特別?」

「ええ。〈目に見える法廷シー・リー・コート〉、〈外套を着た妖精シーリー・コート〉、〈妖精王の宿り木シーリーコ・ト〉。アイルランドにある妖精の郷エルフヘイムから抜け出した妖精たちを連れ戻すために特別な力を授かっている本物の大妖精ね」

「……僕には日本人みたいに見えましたけど」

「もとは私の従兄弟ですもの」

「―――!?」


 どういう経緯を経て、千夏子さんの従兄弟があんな物凄い人外になったのかわからないけれど、彼女の懐かしそうな顔の前ではなにも聞けそうにない。

 ただ、あの青年が御子内さんの助けになるということだけはわかった。

 どういう風になるのかまではわからないけれど。


「でりゃあああ!!」


 手入れされた植物が広がる庭で、ぽんぽんと撥ねる〈赤帽子〉相手に苦戦を続けている彼女の助けになればいいが。

 

 ……御子内さんはさっきからほとんど〈赤帽子〉に近寄れない。

〈護摩台〉のようなリングがある場合と違って、敵は不用意に近寄ってはこないからだ。

 いつも思うが、あのプロレスリングのような場所は結果を張るのに都合がいいことと、接近戦に持ち込むにはとてもいい環境なんだと思う。

 正直、飛び道具や術で戦うとなったら人間と妖魅では彼我戦力差が馬鹿にならないから。

 バネ足ジャックのように飛び跳ねて戦う〈赤帽子〉が、手斧を投げたり、風の魔術を駆使してくると素手の御子内さんはほとんど防戦を強いられるだけだった。

 せめて簡易結界をとも思うが、庭に吹き荒れる万物を切断する暴風を見ると、僕が降りていっても怪我をするだけだ。

 ただの足手まといにしかならない。

 だから、歯がゆい。

 

『ケーケケケケケケケケケケケッ!!』


 奇怪に嗤う妖精が手斧を振るうと、その度に御子内さんの周囲が爆ぜる。

 風が爆発しているのだろう。

 日本の数多の妖怪とはまったく違う戦闘パターンだ。

 いわゆる外来種を相手にすると、退魔巫女たちはいつも苦戦する。

 初見というだけでなく、それだけ尋常ではない相手が多すぎるのだろう。


「妖精ってそんなに日本に来るものなのですか?」


 何か打開策はないかを探ろうと聞いてみた。


「日本ぐらい遠くなると、滅多に来ないけどね。今回は凜花ちゃんのお父様が彼女の誕生日プレゼントに送ったクローゼットの中にあの〈赤帽子〉の腕が偶然に縫いつけられていたのが原因みたい。そういう稀なことがない限り、これまでは日本では妖精事件は起きなかったわ」

「でも、千夏子さんは〈社務所〉にもアドバイザーとして呼ばれるって」

「最近、グローバル化とかでとみに増えてきたのよ。妖精の関わる事件がね。日本だけでなく、世界中でこの手の事件が増えているから、きっとシーリー・コートも大忙しのはずよ」

「……どうして、日本人の千夏子さんの従兄弟さんがシーリー・コートってのになったんです」


 すると、彼女は目を伏せ、


「さっき話した、ロンドンでいなくなっちゃった友人ってね、彼のことなの」

「えっ」

「ロンドンのリトル・ヨコハマでいなくなったわたしの友人にして従兄弟。人間であることを止めてから、特別なシーリー・コートとして、妖精界の揉め事処理役になってしまったのが彼よ」


 日本人に見えたのも当然か。

 本当に純粋な日本人なのだから。

 どういう経緯なのかはわからないが、千夏子さんの従兄弟のことが彼女をして妖精研究の道に進ませたことは想像に難くない。

 

「……では」


 と、言いかけた時、妙な空気を感じて、また窓の外を見る。

 御子内さんと〈赤帽子〉が戦っているだけで変化はないはずだが、その一画の陽が翳っていた。

 なんだ、と見上げて驚愕する。

 陽が翳ったのは事実だ。

 それをしているものが問題だった。

 四角い見慣れたものだが、こんな角度で拝んだことは一度もない。


「〈護摩台〉!?」


 そう、それは巫女レスラーたちが闘う舞台となる〈護摩台〉であった。

 トラックに積み込まれていたはずの資材がきちんと組み上げられて、しかも宙に浮かんでいるのだ。

 驚きで口が塞がらない。

 いったいどんな力がこんなことをしているのか。

 さすがに異常に気がついた御子内さんがその真下から脱兎のごとく飛びすさる。

 同時に〈護摩台〉が物凄い勢いで落下したというのに、どういうことかほとんど音もたてずに、庭にいつものように戦いの舞台が設置された!

 たったの数分で僕らが何時間もかけて設営するものが用意されてしまったのである。

 かつてないほどの大掛かりな設営だった。

 こんなことは普通の人間には不可能だ。

 普通の人間には。

 ということは、やったのは……


「これでいいのかな。あとは任せたよ、人間の女の子」


 そこには、遥か高みから下に向かってのんびりとした口調で言うシーリー・コートの姿があった。







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