第383話「切断する風の魔術」
まずい。
それが一番初めに思い浮かんだ感想だった。
まだ、〈護摩台〉は設置していないし、せめての対抗策の簡易結界ですら張っていない状況だからだ。
これまでの経験上、これらの結界の助けがないと純粋な妖怪相手の戦いは、7:3ぐらいの割合で退魔巫女側が不利になる。
もともと力のある妖魅相手だとすると、8:2ぐらいまで差が開くこともあった。
例えば、兎の妖怪〈犰〉を相手にした時のことである。
鍛え抜いた彼女たちといえども、それだけ人外の存在と人間との間には差があるということをまざまざと思い知らされるのだ。
〈社務所〉の重鎮・御所守たゆうさんや統括の不知火こぶしさんぐらいまで達しなければ、〈護摩台〉の助けを借りてようやく五分までひきあげられる程度。
そして、今回の敵である妖精はまず間違いなく、力のある強敵のはず。
(もっと急ぐべきだった)
しかし、起きてしまった現実は変えられない。
想像できる状況は、寝ていた凜花さん(もしくは〈赤帽子〉)が目を覚まして暴れ出したのだろうということだ。
僕が行っても足手まといにしかならないかもしれないが、場合によっては錬金加工したワイヤーを使った簡易結界を張る手助けぐらいはできる。
結界があれば、わずかでも御子内さんの助力になるだろう。
だから、僕は行く。
二階の客室に戻ると、室内は想定通りの状況になっていた。
目を覚ました〈赤帽子〉と御子内さんが対峙している。
千夏子さんを背中に庇いながら敵を睨みつける御子内さんと、広い窓枠の上に器用に立ちつくしている緑の服と赤い旅人帽、手斧を持った凜花さん(in 〈赤帽子〉)。
窓ガラスはすべて割れていて、カーテンはおろか室内の装飾や壁紙もボロボロになっていた。
絨毯ですら、壁の端に乱暴にまとまっている。
何か物凄い量の風が吹き荒れたような光景だった。
ほんの数十秒でこの有様か。
やはりただものではない。
「……〈フェア・デアルグの風の魔術〉ね。懐かしいものを見たわ」
この光景を目の当たりにしても、千夏子さんは気丈なままだった。
素人目にも危険極まりない相手に対して一歩も引くことがない。
「なんだい、それは?」
「ケルトに伝わる風の魔術よ。万物を切り裂く円環状の風の刃物を作り出すの。〈赤帽子〉はよく使うわ」
「なるほどね。風だから不可視だし、受ける訳にはいかないほど危険ということか」
「ええ」
言われてみると、〈赤帽子〉の周囲には風が渦巻いているようにみえる。
あのあたりだけ妙に空間が歪んでいるからだ。
耳に入ってくるゴオゴオというのは風の音か。
まだ昼間とはいえ、天井の電灯まで破壊されたことで暗くなった室内は、罠が張り巡らされた密林のように危険な空間と化していた。
無闇に動けば切り裂かれるということか。
だが、そんなことで攻撃を躊躇うような消極的な性格だったら、御子内さんは今までの脅威の戦績を手にしていない。
まだ十七歳だというのに、彼女が倒してきた妖魅は限りなく三桁に近づいているのだ。
その根底にあるのは旺盛な闘争本能から来る恐ろしいまでの積極性だ。
御子内さんはじっと風の魔術が作った壁の瑕の一つを凝視した。
付き合いが長くなってきたこともあって、彼女の考えが手に取るようにわかった。
彼女が見ていたのは瑕の「深さ」だったのだろう。
どんな深く見えても数ミリ前後。
鋭利な刃であったとしても、退魔巫女特有の気功術によって練られた〈気〉を纏えば、その程度では致命傷とはならないと見切りをつけたのか、一歩前にでる。
「拳坤一擲で行こうか」
御子内さんはいつものレスリングスタイルは止めて、藍色さんのようにピーカーブーで構える。
筋肉によるカーテンを閉める。
急所である顔面さえ防ぎきればそれでよしともいえる特攻スタイルだ。
それで最接近して一撃を放とうということか。
ただ、それだと〈赤帽子〉に憑りつかれている凜花さんの肉体まで傷つくおそれがある。
はたしてどうする気なのか?
「でやあああああ!!」
いつもの叫び声とともに、御子内さんが特攻する。
クロスした腕にビシッビシッと赤い痕が生まれていく。
僕の目には見えないが風の魔術が切り裂こうと襲っているのだろう。
普通ならば皮膚ごと肉を裂く風の刃物を〈気〉のガードで弾きながら、瞬きをする間に〈赤帽子〉に肉薄する。
だが、敵もさるもの、自分の防禦陣を突破してタックルかナックルをかまそうとしてくる寸前に窓枠から外へと跳んだ。
普通ならばバックで二階から飛び降りるなんて着地もできないし、無謀すぎる行動だった。
いかに御子内さんから逃れるためといっても。
しかし、やはり妖魅―――妖精の類いだ。
空中で舞いつつ、なんと空中三回転までして庭に着地した。
いなかっぺ大将ですらあそこまで綺麗な着地はできないだろう。
身体が羽毛ででもできていないと不可能な動きだ。
それどころか、着地と同時に手を振るうと、手斧がくるくると回転しながらブーメランのような軌道を描いて、窓から顔を出した御子内さんを狙い撃つ。
「ちぃ!!」
かろうじて左手の甲で弾き飛ばすが、赤いものが舞った。
血飛沫だ。
御子内さんが傷を負ったのだ。
白い衣の袖口が赤く染まる。
「御子内さん!」
「大丈夫だ! 京一は千夏子を連れて守ってくれ! あいつはボクが止める」
「まだ〈護摩台〉は用意してないよ!」
「設営まで待ってくれる相手ではないだろう。なんとかやってみる!」
そのまますっと自分も庭に降り立つ。
二階から程度では怯みもしない。
彼女はとんでもない運動能力の塊なのである。
「千夏子さん、あいつを凜花さんの肉体から追い出す方法ってありますか?」
「……あるわ。さっきからやろうとしていたのだけれど、意識が回復しなくて。少しでも凜花ちゃんの意志があればできる方法もあるんだけれど……」
「どんなものです?」
「ヨモギグサを干したものをナタネ油のランプの火で燃やして、匂いの気付けをする予定だったの」
「準備は?」
「まだ。さすがにシーリー・コート状態になっている人間を起こすべきかどうかが不明だったから調べていたの。シーリー・コートになりかけている人間は下手すれば二十年も姿が変わらないまま眠り続けたりもするから、慎重に事を運ぶ必要があるから」
シーリー・コート状態って、人間に妖精が憑りついている場合のことだっけ。
そんなおかしなことがあったら、眠り姫じゃないけれどおかしなことになってもおかしくない。
……あ、眠り姫ってもしかしてそういうお話なのか。
ただ、そのとき、僕の頭に浮かんだものはもう一つあった。
「―――さっき、この洋館の外であなたに伝言を頼まれました。いうべきかどうかわからないんですが……」
「伝言?」
「はい、あなたに物凄い綺麗な男性が『シーリー・コートがやってきた』と伝えてくれと」
千夏子さんの顔色が変わった。
赤く興奮状態に。
「その男性って、まさか白い外套と帽子の格好かしら?」
「あ、そうです。見た感じは日本人でしたけど……」
千夏子さんが呆然とする。
どういう心境だったのだろうか。
彼女の心からはおそらく庭で戦っている巫女レスラーも邪妖精も残ってしなかったに違いない。
「―――そうなの。シーリー・コートが来たのね……」
ぽつんと、懐かしそうに、遠い目をして彼女は呟いた……
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