第381話「シーリー・コート」
ルルルルル
僕のスマホに連絡が入った。
画面を見ると、さっきこの洋館の前にやってきていた〈社務所〉の8tトラックの運転手からだった。
何度も現場で顔を合わせるので、連絡先の交換なんかもしてしまっている相手だった。
「もしもし、升麻です」
『あ、坊主か。リングの資材、どうするんだ?』
「〈護摩台〉設営できそうな場所がないんですよ」
『このでっけえ家の裏に、全部降ろせそうな空き地あったぞ。確認したか?』
「そうなんですか? 方角は?」
『西側かな。そろそろ、西日が差しそうだぜ』
西といえば、この部屋の窓から見えるかな。
と、窓辺によってみると、どうやら木がほとんどない空き地になっているようだった。
〈護摩台〉を設置するなら、問題ないかもしれない。
「トラックつけてもらえますか?」
『いや、ちょっと狭くなるな。横持ちしなきゃならねえかもしれねえぞ』
横持ちとは、長距離トラックなどが積み込み先に間に合わない場合などに、他のトラックに引き取ってもらう場合を言うんだけれど、場合によっては大型車が入れない狭い場所に積み込みできる所まで運ぶこともいう。
現場や運送会社によって、意味合いは異なるが、今回は後者にあたることをいう。
つまり、直接に資材を降ろせないので、手間がかかるということである。
「台車は持ってきてますよね。お手伝い、お願いできます?」
『おお、いいぞ。車つけておくから、すぐに来いよ』
「はい」
台車では運べないものもあるが、急げばなんとかなるだろう。
豊ノ橋凜花という女の子に憑りついた妖精〈赤帽子〉がいつ目を覚ますのか、わからないが御子内さんが戦わなければならないこともありうるので、準備はしておくにこしたことはない。
だから、僕は御子内さんたちに声をかけると、そのまま外に出た。
改めて見ると、廊下や出入り口に様々な意匠のインテリアがつけられているが、もしかしたらこれがすべて魔除けのアミュレットの類いなのかと思うと、厳重などというレベルではない。
千夏子さんがどれほど妖精を警戒しているか、驚くべきほどだ。
僕たちが対・妖怪対策をしているように、彼女はこの極東の島国でも妖精の脅威を感じなければならない経験をしたということだろうか。
それとも、普通に考えれば地球の反対側だというのに、こんなところまで妖精がやってくる可能性があるということかもしれない。
実際に、〈赤帽子〉という妖精がすぐ傍にきていることを考えるとその用心が当たっていたということだけど。
「……妖精か。厄介な相手だよね」
僕は玄関を出ると、これまた儀式的な魔除けの術がかけられているらしい通路を抜けて、木戸から外に出た。
さっきは感じなかったが、不思議な空気の変化が内と外に存在していた。
清澄さがまったく異なる。
妖精界と人間界の違いのようなものだろうか。
空気に混じりものがない世界から、汚れた現世に戻ってきた感覚だ。
それだけこの洋館とその敷地の外に断絶があるということかも。
「……もしもし、ちょっとよろしいですか」
後ろから声を掛けられた。
さっきまでは誰もいなかったはずの背中から。
振り向くと、塀に寄りかかるようにして立っている青年がいた。
真っ先に目についたのは、青年がまとっている白い壁であった。
いや、壁のように広がって見えただけで、それは単なるふわりとしたコートでしかなかった。
複雑に入り組んだ立体構成によるマント類似のフォルムをした斬新かつ珍奇なデザイン――何枚の布が連なっているのか判断もできない――のコートを着て、同色の変わった帽子を被っている。
その下に艶のある黒い髪と、七色の奇妙な輝きを放つ瞳、ひどく緩んだ笑顔を浮かべた、優しそうでかつ端正すぎる美貌を備えた青年であった。
膝の力が抜けそうになったのは、青年の微笑みの効力だろうか。
とにかく男の人とは思えないほど綺麗なのである。
頭がくらっとしそうなほどの美貌とはまさに彼のことだろう。
宵の月でさえも彼に魅かれてしまうかもしれない。
しかし、問題は彼の貌ではない。
見覚えのある白いコートはさっき青葉台駅の前で見たものだった。
貌こそ見てはいなかったが、確かにさっき、御子内さんが異常なまでに警戒心を顕わにした相手だった。
どうして、こんなところに。
いや、偶然ではないのか。
妖精退治に来た退魔巫女と偶然二度も遭遇するなんてありえない。
もしかして、この青年は僕らの後をつけてきていたということかも。
思わず睨みつけると、青年は手をあげて制した。
「そんなにいきりたたないでください。ぼくには貴方をどうにかする気なんてありませんから」
優しい語り口調と人当たりだった。
とても、妖魅の類いとは思えない。
でも、僕はこういう一見穏やかそうな人物でさえも、とてつもなく危険な存在になるということを知っている。
だから、警戒を緩めることはできなかった。
「警戒されると困りますね。せめて、少しお話させてもらえませんか」
「……あなた、何者ですか?」
「それはいい質問ですね。いいでしょう、自己紹介させていただきます。ぼくはシーリー・コート。〈
その名を聞いて、僕は凍りつきそうになった。
「シーリー・コート……!?」
さっき千夏子さんから聞いた話を思い出した。
妖精に憑りつかれて力を得た存在……
それが確か、「シーリー・コート」だったはず。
でも、洋館の中で眠りについている凜花さんはアンシーリー・コートと呼ばれていたっけ。
「貴方がこの洋館の中で見たのはきっとアンシーリー・コートでしょ。ぼくはシーリー・コート。アンがついているのとは、まったく性質が違います。だから、安心してくださってかまいませんよ~」
ただ、御子内さんがあれほど警戒することを加味すると絶対に気を許せない。
尋常ではない力を持つということはそれだけ危険な存在にならないとも限らないからだ。
しかも、この美貌だ。
まず間違いなく人間ではないし。
「中の様子が知りたいんです。もし良かったら教えていただけないですか」
「……どうして自分でいかないんですか。僕に訊くよりも、自分でいった方が早いですよ」
「そうもいかないんです。例えば、この木戸に柑橘類の汁で描かれたルーン文字。これは妖精の出入りを禁ずる意味があるんですよね。ただの妖精だけでなく、このぼくでさえこっそりお邪魔するのはできない、とても厄介な御守りなのです。かといって、無理矢理に押しかけて千夏ちゃんに警戒されるのは避けたいですし……」
ぼくでさえ、とか中々自意識過剰な性格っぽい。
言葉の端々に自分の力に絶対の自信を抱いていることが窺えるし。
話を続けていると気が抜けそうなぐらいに飄々としているが、明らかにこの青年は超がつくほどに人外の存在だ。
これまでの僕の経験でも、ここまで化け物じみている相手は見たことがない。
あえて言うのなら、御所守たゆうさんが倒した〈ウェンディゴ〉だろうか。
あれは邪神の眷属であったという話だから、それに匹敵するというだけでとんでもない化け物だ。
ただ、このシーリー・コートという青年が易々とは入り込めない魔術の防禦陣を敷いているなんて、千夏子さんもたいした人なんだな。
「どうでしょう? 協力してもらえませんか」
「悪いですけれど、僕にはどう考えても妖魅の初対面の貴方を信用する根拠がありません」
「ふむ。その通りですね。やっぱり、日本ではシーリー・コートの名前は通じませんか。だったら、引き返していただいて、千夏ちゃんに伝言を届けてくれませんか」
「伝言?」
「はい。シーリー・コートがやってきた、それだけでいいよ。ヤアヤアヤアはつけなくていいから」
ビートルズか、というツッコミは想定済みということか。
わりと俗なことを知っているみたいだ。
ただ、僕はそれよりもこのシーリー・コートが言った「千夏ちゃん」という言葉が気になった。
千夏子さんのことを、愛称で呼ぶのか、と。
まさか、知り合いなのか。
そのことについて、尋ねようとした時、
ガシャアアアアン
ガラスが割れたものらしい破壊音が耳に入ってきた。
聞こえてきたのは確かに洋館の方―――僕が出てきた方向だ。
そして、それは絶対に何か悪いことが起きた合図のようなものである。
僕はシーリー・コートの「ああー、ちょっと待ってくださいよお。お願いがあるんですけどー」という呑気な声を無視してきた道を引き返した。
きっと凜花さんに憑りついた妖精〈赤帽子〉が暴れ出したに違いないのだ。
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