―第49試合 妖精伝承―
第378話「アイルランドからの贈り物」
アイルランドの工芸品はその製品は、森と湖が生み出した芸術品、妖精が人の目を覚まさせるために作ったなど、様々な賛辞で讃えられるほどに美しい。
自然の温もりに満ちた、日本でもファンが多いことで知られている。
大手商社で働く父親が、アイルランドを含むブリテン一帯で商品を精力的に買い付け回っていることから、豊ノ
寂しい思いをしているだろう娘のために、父親が頻繁に現地の品を買っては送りつけてくるからだ。
中学時代に母親を事故で亡くし、長期出張の多い父親のせいで、一人でいることの多い凜花にとってはうっとおしくもあり温かい気持ちにもなれる品ばかりだった。
不器用な父親なりの愛情表現だと思っていた。
ただ、今回に限っては父親に対してイライラせざるをえない。
なぜなら―――
「こんなおっきい
伝法な口調で言い切ったのは、夕方になって届けられた高さ2メートル幅1.5メートル、奥行き1メートルほどのクローゼットのせいだった。
父親にメールで苦情を申し立てたら、
〔絶対に値打ちものだから、確保しておいた。凜花の誕生日プレゼントに相応しいだろ。一週間後には帰る〕
という返事がきてそれっきりだ。
一週間後には彼女の誕生日がある。
そのために帰ってきてくれるというのは父親らしい優しさの顕れで凜花としても嬉しいのだが、だからといってこのサイズのクローゼットは困る。
いくら二人暮らしの一軒家といっても、置く場所に困るものは困るのだ。
「あたしが結婚して出ていくとき用なのかなあ」
それならばわからなくはないが、凜花としてはできたら、旦那となる男にはこの家に住んでもらい、
たまに変なことをするが、父親の直哉は愛すべき中年男であり、凜花としては放っておけないたった一人の家族でもある。
もし、彼が再婚するというのならそれはそれで構わないが、亡くなった母親以外の誰かに惚れることなどなさそうな男でもある。
一途というよりも、面倒くさがりなのだ。
おそらく、凜花が結婚してでていったとしても独身生活をエンジョイすることは間違いない。
娘への愛情と自分の生活は割り切れるドライさも有しているからだ。
だからこそ、直哉としては娘が結婚したらでていくであろうことを前提にこんなものを買い付けて送ってきたに違いない。
「できはいいんだけどね……」
よく乾燥した古い白木を使い、表面には薄い石膏が塗られていて、手作りの質感が出ているうえ、正面の扉にはニカワをふんだんに使った豪奢な浮彫が仕立てられている。
素人の日本人でさえ、これは相当の逸品だとわかる品だった。
凜花自身、ものは悪くない。むしろ好みだといえた。
古いのはアンティークだからと割り切れば、大事にしてもいいと感じられる。
とはいえ、この日本家屋そのものの豊ノ橋家に置くには場違いすぎる。
「……どうするかなあ」
後ろに回ってみる。
壁につければ絶対に人目につかないはずの背面板さえもしっかりと仕上げられていて、さすがの趣きがあった。
ただ、一つ気になるのは、妙な窪みがあったことだ。
傷ではないし、意匠でもなさそうな、指をひっかけられそうな窪みであった。
「なんだろ、ここ」
二本の指を不用心に差しこむと、カチリと音がした。
何かボタンのようものを押した感触だった。
すると、背面板の一部が軽く動いた。
扉のようなものになっている。
隠し扉?
凜花は直感的にそう理解した。
動きそうなので、触ってみると観音開きに開く扉のようだった。
巧みに偽装されているせいか、そう簡単には見つからない造りだ。
窪みに気が付かなければわからないはずだ。
「へえ」
中には特に何もなかった。
厚さはほとんどなく、小物を入れておくにしても狭すぎる。
ただ、異常だったのは、ちょうど中央部分に妙なものが引っかかっていたことだった。
大きさでいえば十センチほどだろうか。
長くて細い―――人形の腕のようだった。
それが太い釘によって打ち付けられていた。
人形の腕らしいのは小さな掌がついているのがわかるからだ。
肩の付近までしかないので、胴体がどのぐらいかわからないが、普通の人間とサイズ変換するなら全体としては三十センチもないだろう。
干からびているせいか、それとも元々地黒なのか、腕は全体的に黒ずんでいた。
どういう意味があるにしても、凜花にとっては不気味な装飾でしかない。
「気持ち悪いなあ。えーい、とっちゃえ」
凜花はティッシュペーパーを手に巻き付けて、そのまま無理矢理に黒い人形の腕を引っ張り上げてとってしまった。
意外とスムーズにとれたのが不思議だった。
釘自体、錆びついていて相当古いものだから手こずると思ったのに。
「えいや」
そのままティッシュにくるむと、ゴミ箱に腕を捨ててしまう。
「ここはへそくり入れにでもしますかね」
元通りに扉を閉める。
一週間、面倒だとはいえこのクローゼットは居間に置いておくしかない。
父親という男手が帰って来てから、この迷惑な誕生日プレゼントの処遇は考えるとしよう。
そう決めると、凜花はそのままソファーに腰掛けてテレビの電源を点ける。
気持ち悪い人形の腕のことなどすぐに忘れてしまった。
だが、もしも、彼女がこの腕について調べていたのなら、のちの恐怖を体験せずに済んだかもしれない。
ネットで検索するにしても、色々と条件があるのだが、もし彼女が的確に答えを探し当てていたのならば、それはこういうワードでするべきであった。
アイルランド 妖精の腕 富をもたらす呪い
そして、正解のページを見つけたとして、その最後にはこう記されているはずだ。
何らかの理由があって釘から外してしまったら、その腕の持ち主が
―――邪妖精となって。
……だが、凜花はまだその事実を知らずにいた
◇◆◇
「―――横浜の青葉区にだね、妖精の専門家がいるんだ」
小田急線の新宿から小田原行の急行の中で、御子内さんが事件のことを説明しだした。
なんでも、今回はイギリスから来た妖精が関わっているらしい。
詳しいことは現地についてからということらしいが、僕には幾つか頭を捻らざるを得ない疑問点があった。
まず、横浜というと、たまプラーザのあたりには神宮女音子さんの実家があって、彼女の縄張りのはずだ。
わざわざ都下の多摩から埼玉県西部・南部一帯を担当している御子内さんがいく必要はない。
音子さんも他に匹敵する強い退魔巫女だからだ。
「音子のバカは体調不良だということだよ。あいつ、季節の境目にはよく熱を出すんだ。だから、たまにこういう風にボクや藍色が代行することになる」
「はあ」
あと、ブリテンの妖精が関係するとなると、てんちゃんのところで居候をしている透明人間のロバート・グリフィンさんにも声をかけた方がいいのではないかという点だ。
彼の家系が透明人間としての力を持っているのは、その肉体に流れる妖精の血のおかげだということであるから、適任なのじゃないだろうか。
ただ、それに関しても、
「この間の新宿の〈砂男〉の時もそうだけど、あっちから来た妖精関連の妖魅にロバートを接触させるのは問題があるらしい。だから、はっきりとブリテンの妖精が関わっていないという保証がない限り、てんとロバートのコンビは関わらせないというのが〈社務所〉の方針なんだそうだ」
非常に納得のいく話だった。
あの〈砂男〉事件のようなことが、この横浜でも起きないとも限らないということなのか。
そこでまず在野の妖精研究者を尋ねて事件の概要を把握しようということなのだろうね。
「でも、妖精って外来種の妖魅に含まれるんでしょ? だとすると、管轄は〈社務所・
ララさんの名前を聞くと、心底嫌そうな顔をする御子内さん。
年末に僕を拉致・監禁した事件のせいで、彼女にとってその名前は禁句に等しくなっているようだった。
被害者に当たる本人自身はそんなに気にしていないのに、僕の友達の方がいまだに憤っている。
「〈社務所・外宮〉の連中はまた何か企んでいるみたいで、まったく動向が掴めない。あいつら、何をするかわからないくせに、自分たちの本分を疎かにして最悪だ。本当なら、妖精なんかが我が国に入る前に検疫したりするのもあそこの仕事なのにさ」
御子内さんはぷんぷんだ。
激おこ、という奴だろう。
万事からっとした性質の彼女にしては相当根に持っているっぽい。
「……おっと、次の青葉台という駅で降りないと」
「あれ、横浜って? ここ、町田市あたりじゃないの?」
「町田はもうちょい先じゃないのか」
「まあ、町田は神奈川みたいなもんだし、別にいいか」
地方の人は知らないかもしれないが、町田市というのは神奈川県でも横浜市でもなく、一応は東京都に含まれる。
場所的に神奈川県の飛び地みたいになっているが、それは紛れもない事実なのだ。
ただ、地域の住民にとってはどうなのかはしらない。
でも、この間、神奈川テレビで「今期に挑む神奈川のサッカーチーム」という特集をやっていたとき、横浜Fマリノス、川崎フロンターレ、湘南ベルマーレに含まれて「町田ゼルビア」があったのがとても印象的であった。
そこは横浜FCじゃないのかよ、とテレビの前でツッコんでしまったほどである。
ちなみにJ3まで行くとYSCC横浜、SC相模原なんかがあるので、そっちを紹介するべきじゃないかなとも思ったが。
まあ、とにかく町田というのはなかなかひと癖もふた癖もある地域なのだ。
閑話休題。
「さて、降りるか。この駅から、確か桐蔭学園方面に行くと聞いていたんだけど……」
タクシー乗り場を探して歩いていると、御子内さんが急に立ち止まった。
「どうしたの?」
だが、彼女は静かにしろ、というニュアンスのジェスチャーをして何も答えない。
珍しいことがあったものだ。
僕の知る限り最強の巫女レスラーである御子内或子がこんなに警戒色を顕わにするなんて……
いったい何があったというのだ?
このとき、僕の目には何故か少し前の雑踏を歩く、一人の白いコートと帽子姿の背の高い青年が一瞬だけ映っていた。
「あれは……」
あの青年が御子内さんを警戒させているのか。
隣にいる御子内さんが、ここまで獰猛な野生の獣のような睨みつけ方をしているのを見るのは随分と久しぶりであった。
はたして、あの白いコートの青年は何者なのであろうか?
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