第376話「Don't think. Feel!」
「京一さん、人から何かを感じましたか? 己を知るとはそういう事です」
こぶしさんが静かに言う。
截拳道の一つ一つの技を出す前の甲高い怪鳥の声とは別人のような優しさだった。
なぜ、そんなことを僕に聞くのか。
「あなたはあなたが考えたように変わるのです。やっていることが正しいか間違えているかなど、考えるのはまだ早いと思いますよ」
ああ、僕を諭しているのだ。
奥寺さんの死に責任を感じて、御子内さんたちからも離れようとしている僕を。
「―――だから、本来、媛巫女統括として実戦にはでないはずのこぶしさんが一緒に来てくれたのですか」
「我々〈社務所〉は、あなたに返しきれない借りがあります。わたしの大切な後輩たち、来たる災厄に備えて鍛えぬかねばならぬ巫女たち、をなあたは幾度となく表から裏から支えてきてくれました。或子ちゃん、音子ちゃん、レイちゃん、藍色ちゃん……。きっと、あなたがいなければ今の体制は維持できなかったでしょう」
「でも、バイト代も頂いていますし」
「金で代償にできるものを借りとは言いませんよ」
僕は今まで最善を尽くしていたと言えるのだろうか。
奥寺さんの自殺によってつきつけられた課題こそ、僕がこれから克服しなければならないものだ。
僕はもっと自分を磨かなければならない。
「限界などはないんです。ただ、うまくいかない時があるだけなんですよ。でも、そこに留まっていてはいけません。それを超えて行かなくては」
こぶしさんは語る。
「わたしの截拳道の始祖の言葉を送りましょう。
心を空にしろ
形をなくせ
形をはっきりさせるな
水のように
ボトルに水を入れたらボトルに変形し
ティーポットに水を入れたらティーポットに変形する
水は流れ
水は壊すこともできる
水になれ、友よ
―――あなたは紛れもなく我々退魔の巫女の友です」
涙が出そうになった。
僕は滅多に泣くことはない。
そういう性質だ。
だけど、截拳道の始祖からの言葉が染入るように入り、水というよりも涙になりそうだった。
『グゥゥゥゥゥ』
〈絡新婦〉はまだ健在だ。
見たところ、ほぼ完ぺきな妖怪で、まともに戦えば御子内さんたちでも〈護摩台〉なしでは相当の苦労をするだろう。
なのに、そんな〈絡新婦〉を圧倒するこぶしさんの強さよ。
「実戦は6秒以内に終わらせる」という始祖の思想に基づいて、超短期決戦が求められているからだろうが、まさに早すぎる手際だった。
「―――何か、思いついたんですか?」
〈絡新婦〉についてのことだろう。
だから、僕は答えた。
「はい」
彼女は微笑み、
「では、わたしはどうすればいいのですか。指示してください」
「……えっ?」
「人を助けたくてもすべての人を救うのは無理なのです。せめて、できるのは助けを求める声をあげたものだけでもなんとしてでも救うこと。声をあげないものを救うのは、八百万の神の領域。人の為しえることではありません」
「―――そう……ですね」
「あなたには、そんな独善を持ってほしい。全部を選ぶことはせず、自分のできるものだけをして欲しい。あなたの知恵と勇気を直接に求めるものをまず助けてほしい。……そこでわたしは問います」
僕は口を噤んだ。
「あの、妖怪を、どうすればいいのですか、と」
答えはシンプルにして、わかりやすい。
「―――無力化してください」
「退治しなくていい? 封印も?」
「今は、まだ」
「奥寺瑛作のことについてはどうします?」
「おそらく、僕がするべきことではありません」
「―――わかりました」
会話を続けながらも、こぶしさんは一切、〈絡新婦〉から目を離さない。
さすがというべきか。
御子内さんたちと同じだ。
戦闘中に油断なんて決してしない。
そんな彼女が今の僕の様子を察してくれている。
申し訳なくてまたしても泣きたくなる。
「さて、〈絡新婦〉。うちのものが、あなたを無力化しろと言っています。大人しく制圧されてくれますか」
『フザケルナ、ニンゲン!! ワレハイニシエヨリイキル妖魅デアルゾ! 貴様ラニヤスヤストクッシタリハセヌ!!』
伏せていた顔を上げた〈絡新婦〉の額に幾つもの黒い眼が現われる。
咥内には凶暴な牙が生え、さっきまでの美貌は悪鬼羅刹のそれへと転じてしまう。
振り乱した髪は針金のように強張り、綺麗な肌はぬめぬめした表皮へと変貌する。
軟らかいセーターを内側から貫いて、蜘蛛のものと思しき触手のごとき肢が伸びてきた。
まさに蜘蛛。
恐ろし冥府のアラクネー。
人と同じ大きさでありながら、人間を食べる絶対の捕食者であることが一目瞭然の怪物がそこにいた。
「さてと、感じますね」
こぶしさんが截拳道の構えを前傾に変える。
一気呵成に攻め切るつもりなのだろう。
だが、最初の一歩がでない。
何故かというと、居間のあちこちに蠢く―――まさに、虫が動くだ―――小さな蜘蛛の群れが湧いて出たからだ。
水辺にでるという蜘蛛の集合が〈絡新婦〉であり、この家は蜘蛛の巣そのものであった。
何十という蜘蛛が這いまわり、こぶしさんを囲もうとする。
あんなのに一斉に集られたら、いくら〈社務所〉の退魔巫女でも。
そして、蟲どもは美貌の麗人に向けて這いより、バルーミングで飛びつこうと舞った。
「京一さん、〈気〉を強く持って丹田に力を籠めて! アチャアアアアア!!」
こぶしさんが叫んだ。
その指示通りにできる自信はないけれど、できる限り根性をいれて踏ん張る。
怪鳥の声とともに気合いが僕の身体の芯にまで辿り着く。
全身を硬直させ、内臓を殴られたような感覚だった。
もし、指示を聞いていなければ気を失っていたことは確実だ。
棒のように倒れないのが不思議なくらいに、意識がもうろうとする。
何があったのか。
颶風を身体で浴びたような痛みだった。
ただ、僕より被害甚大なのは小蜘蛛どものほうだった。
なんと、挑みかかった全匹がこてんと倒れて動かなくなったのだ。
まるで殺虫剤を浴びせられたかのような光景だった。
『ナゼ!!』
〈絡新婦〉が驚愕に慄く。
「〈
〈
またの名を不動金縛りの術という、瞬間催眠術だ。
武芸者の中には、これを〈気〉を飛ばすことで様々な過程を抜きにしてかけることができるものがいる。
そして、不知火こぶしさんは〈
『クソ、ナラバ火ヲ吐クノダ!!』
次の蜘蛛たちが湧きだし、鳥山石燕の「画図百鬼夜行」で描かれているように小さな口から火の玉を吐いた。
間違いない。
これは妖怪として〈絡新婦〉の秘儀だ。
四方八方を囲んだ小蜘蛛から放たれる火の玉は、確実に相手を撃ち抜いて火の海に変えるはずであるから、きっと奥の手に違いない。
しかし、鳥山石燕の図画にあるということは逆にすでに周知の事実だということである。
こぶしさんほどの強者が用意をしていないはずがない。
手を伸ばすと、その掌にはいつのまにか黒い棒が握られていた。
三十センチほどの棒が二本、鎖で連結している武器だった。
呼び出したのは、おそらく御所守たゆうさんも使っていた〈
「アチョオオオオオ!!」
始祖譲りの叫びとともに、その武器が高速回転を開始する。
使いこなすには地獄の修練が必要とされるその武器の名は「ヌンチャク」。
その難しすぎる武器を二つも手にして、こぶしさんは飛んでくる火の玉を片っ端から叩き落していく。
「アチョ! アチャ!!」
とんでもない加速と動体視力だった。
御子内さんの眼も凄まじいが、こぶしさんのものはそれをはるかに上回るかもしれない。
あとで聞いた彼女の二つ名は〈神の眼〉というそうだ。
それだけとんでもない速さでくるものを見切れるのだ。
そして、息もつかせぬヌンチャクのアクションが終わったとき―――小蜘蛛どもはすでに火を吐くこともできなかった。
すべて、すべて叩き落したのだ。
ヌンチャク二本で。
「―――ホオオオオオオオオ」
これまでにない大音声とともに、ブログレッシヴ・インパクト・アタックが炸裂する。
最短直線距離を貫く拳が〈絡新婦〉の胸を撃つ。
そのまま息もつかせぬ連打が続き、〈絡新婦〉が完全にノックアウトされて倒れるまで十秒もいらなかった。
「アチャア!!」
こぶしさんが残心をみせたところで、もう勝負はついていた。
〈護摩台〉や簡易結界さえも遣わずに、純粋な妖怪をKOする。
完成された退魔巫女の真の実力を僕は目の当たりにしたのである……
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