第369話「試合終了」



 御子内さんはサッカーの初心者だから、守備の際に不用意に飛び込みそうなところがあった。

 だが、超一流の闘争者である彼女は同時に超一流のアスリートでもあった。

 六試合分のフットサルとフルコートサッカー前半だけで、なんと守備に必要な間合いというものを完璧に掴んでいた。

 足の駆動部を把握して、蹴るという動作を熟せる範囲を邪魔する程度の距離感をとる。

 そうすると、ボールホルダーはパスに必要なキック力を確保できないのだ。

 フットサルと違って広いコートでは勢いのないパスは仲間に繋がらない。

 かといってフォローを期待できない。

 なぜなら、死霊たちは自分達以外の少年から必要な生気を搾取してしまったせいで、された方の運動量が極端に減ってしまったのだ。

 それだけではない。

 さっきまで見せていた少年たちの動き質までが劣化していた。

 だから、御子内さんを振り切るためには自分だけでやらなければならなくなったのだ。

 例えサッカーでは素人といえども、卓越した運動神経を誇る巫女レスラーを一気に振り切るなんてプロでも無理だろう。

 死霊ボランチは力任せに御子内さんを抜こうとする。

 腕を掴み、強引に身体をぶつけるチャージを越えたファールにしかならない。

 だが、御子内さんは倒れない。

 身体つきは小兵といっても体幹の鍛え方と〈気〉による強化は、巨人たちをへそでスープレックスできる女の子なのだ。

 ボランチの体当たりをいなし、さらに足を伸ばすことで横からボールをかっさらった。

 上手いプレーだ。

 柔よく剛を制す。

 そのまま、ペナルティーエリアの外、いわゆるバイタルに入り込む。

 あとはシュートに持ち込めるかどうかだ。

 自陣の低い位置で相手にボールを奪われるなどあてはならない失態を犯したボランチは、背後から御子内さんのユニフォームの袖をこらえ切れずに握りしめた。

 そして、無理矢理に引っ張る。


 カアアアア


 今度こそ、ファールだった。

 しかも八咫烏は嘴に黄色いカードを咥えて提示する。

 イエローカード、警告一枚目。

 今のプレーはそれだけ悪質だということだ。

 といえ、引き倒された御子内さんは気にも留めないというポーカーフェイスで立ちあがる。

 イエローカードの意味は教えてある。

 チャンスを潰されたというよりも、相手のそこまでの覚悟を受け止めたという顔だった。

 少年たちから生気を抜きとるような真似は許せないが、結局、それは何が何でも勝ちにこだわるという想いの強さだと承知しているからだ。

 相手の勝ちたいという気持ちは本物だ。

 だからこそ、御子内さんは負けない。


「FKはまきが蹴ってくれ」


 ボールをクラスメートに渡して、御子内さんはペナルティーエリアに入る。

 まきさんのキック力では直接にシュートは狙えない。

 それに相手のGKも膨張していて、とてもじゃないがそんな隙はない。

 誰かに合わせた方が得策だ。

 こぼれ球も狙えることだし。

 少年たちと三人の死霊が壁を作る。

 凸凹しすぎていて歪な壁だった。

 あれだと逆にGKにとっては見づらい。

 僕はエリアに入らなかった。

 通常と違って、セットプレー要因になれるほどの体格もないから。

 ボールの位置は、ゴールからみて斜め右。

 誰に合わせるか……

 まきさんが助走する。

 御子内さんと音子さんが攪乱し、レイさんが進み出た。

 普通ならばさっきヘディングシュートで高さをアピールしたレイさんだが。

 まきさんの左足が振りかぶられ―――

 蹴った。


 真横に。


 そこに走りこんでいたのは、ヴァネッサさんだった。

 FW三人を囮にしたトリックプレー。

 矢のようなミドルシュートは地を這って進み、陣形の崩れた壁の足下をすり抜ける。

 GKの予想していない場所だった。

 普通ならばそのままゴールだ。

 だが、少年たちの生気を吸い取って肥大化したGKの伸ばした足が辛うじて当たる。

 弾かれた。

 だが、キャッチされていないのでボールはルーズになる。

 その一瞬を見逃していないものがいた。

 抜け目ないリングの上の風の精霊。

 神宮女音子が誰よりも早く反応して押し込んだ。

 ふぁさ

 とネットが揺れ、静かにボールを包み込んだ。


 カアアアアアア


 再び、〈ミコミコファイターズ〉の得点、そして勝ち越し点だった。

 貌のない死霊たちまでが茫然としていた。

 完全に裏を突かれたからだ。

 3トップが素人であったとしても、最初の日米インサイドハーフは経験者であり、この手のプレーは熟知していたことを忘れていたのだろう。

 ドーピングしたフィジカルだけで勝てるという考えの甘さが招いた失策だ。

 死霊たちにとっては痛恨のミス。

 どうにもならないところだった。

 だが、このピッチ上の二十二人の中で誰よりも早く動いたものたちがいた。

 ゴールに転がったボールを拾い、走ってダッシュでセンターまでいくものたちがいた。

 ボールをセットし、すぐにでもリスタートできる、反撃の準備をするものたちが。


「風太……?」


 まきさんが呟く。

 それは彼女の弟だった。

 風太君だけではない。

 少年たちは全員がさっさと自分のポジションにつき、再スタートを今か今かと待ち構えていた。

 彼らはまだやる気なのだ。

 勝つ気なのだ。

 まずは同点。

 そして、最後は逆転。

 勝つ。

 絶対に勝ってみせる。

 彼らはゾンビのような顔色と動きをしていたが、態度だけは決して譲らなかった。

 表情が物語っていた。

 彼らは―――


「ふーん、コーチのためにも負けられないって感じだね」


 御子内さんが言った。


「そういうの嫌いじゃない」


 音子さんも言った。


「漢気があっていいじゃねえか。オレも気に入ったぜ」


 レイさんも。

 ―――勝つために自分たちの生気を奪い取った死霊のコーチであったとしても、その恩に報いんと少年たちが戦おうとしている。

 僕のようなどっちつかずと違い、根っから体育会系のみんなはその在り様を善しとしたようだ。

 コーチのために。

 例え、相手が死んでいて、もしかして悪霊であったかもしれなくても。

 気が付くと、みんな微笑んでいた。

 どんな経緯で始まったものであれ、同じスポーツの同じ土俵で勝負している者同士わかり合えた気がしたのだろう。

 やるからには手は抜かない。

 結果として、死霊たちが成仏させられても仕方ない。

 だけど、正々堂々とやりあった結果ならば、それでいいじゃないか。

 死霊たちも自分の位置に戻った。

 彼らも同じ想いだったかもしれない。

 そして、また八咫烏の鳴き声が響き渡り―――


 僕らと少年と死霊のチームの試合はまた再開した……



         ◇◆◇



「……うちの弟、なんかうまくなってんの」


 あの激戦が終わって、何週間後。

 たまたま出会った豹頭まきさんが僕に言った言葉だった。


「何がですか?」

「サッカー」

「……ああ」


 風太君はあのあと、ご両親に完全に悟られる前に普通の生活に戻った。

 夜ごとに通っていた死霊のサッカースクールのことについては覚えていなかったらしい。

 だから、まきさんとしてはすべてなかったことにすねというつもりだったのらしいのだが、


「足元の技術はそれほどではないんだけど、ポジションの取り方とかさ、動き出しとか……。誰かにマンツーで教わんなきゃできないレベル」


 さすがは緑のなでしこチームの下部組織出身だ。

 選手を見抜く力はケタ違いである。


「だからさ、あの連中に感謝しなくちゃいけないのかなあ。はむ」


 食べていた肉まんを頬張って、表情を隠すのはどういう気持ちなのだろうか。


「そんでさ、あの時の子たちって、みんな顔馴染じゃなかったはずなのに、日曜日とかに集まって練習したりしてんの。自主的に」

「……記憶にないはずじゃあ」

「って言ってたのは風太だけだから、あいつが嘘ついてたらわかんない」


 それはそうだ。

 別に無理して自白させるものでもないしね。


「もしかしてあたしらのやったことってお節介だったのかな」

「それはないですよ。あのまま放っておいたら、霊障に憑りつかれていたのは確からしいですから。あのタイミングでないともっと酷い結果になっていたはずです」

「―――でもさあ」


 朝陽の中、消えていく四人を見送っていたときから、みんなの胸にはそういうトゲのようなものが刺さっていたらしかった。

 御子内さんたちも似たようなことを言っていた。


「マジ考えちゃうんだよ。あたしらとあいつら、ガチンコでぶつかった仲だから」


 理解しあった敵を失くした喪失感なのだろうか。

 いつもの退魔と比べても釈然としない気持ちはあった。


「でも……」


 僕は言った。


「でも、楽しい時間だったじゃないですか。なんでも忘れられるような」


 あの短い時間は本当に楽しかったはずだ。

 スポーツというもののよいものを限りなく信じられるような。


「まあ、そうだね。―――いい試合だったよ」

「そうですよ」


 僕とまきさんはなんともいえない晴れやかな表情で笑った。

 それは、情熱に身を焦がしたアスリートの気高い笑顔だった……




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