第361話「ナイト・トレーニング」
豹頭まきは気配がしたので、家の外を窓から覗いてみた。
弟が実家のドアからこっそりと出ていくところだった。
「やっぱり……」
時計を見ると、ちょうど深夜零時をすぎたところだった。
いつもの時間だ。
これから数時間経たないと弟は帰ってこない。
しかも、帰ってきたときには全身が土まみれになっている。
どうみても普通に夜遊びをしているようには思えない。
さらにおかしなことに、弟は汚れたジャージを洗濯籠に放り込んできているのというのに、母親が「汚れたものはもっと前に出して」と文句を言っても聞き入れないのだ。
というよりも自分が汚したことに対して何も覚えていないということだろう。
さりげなく夜に何をしているかを聞いても、「ずっと寝ていた」というだけなのである。
惚けているようには見えなかった。
年子で一つ下の弟だが、生意気とはいえ、姉に堂々と逆らうような少年ではなかった。
そもそも中学までは有名な緑色のなでしこリーグ・チームの下部組織の選手であり、高校に入ってからは自らフットサル部を作って、出来立ての弱小なはずのチームを全国三位にした名選手の姉は弟からしても尊敬の対象であったからだ。
姉の後を追うようにサッカーを続けているため、体格は良いが、技術的には劣るというのがコンプレックスのはずだった。
むしろ背が150センチにも満たないまきからすると身長のある弟が羨ましくて仕方ないのだが、人は永遠にないものねだりをする生き物なのだろう。
だからこそ、まきは弟に対して強くはでられなかった。
夜歩きのせいか、日に日にやつれていく弟を黙って見守るしかなかった。
しかし、そろそろ我慢できなくなっていた。
両親が弟の行状に勘付く前に、せめて何をしているかをつきとめなければならない。
まきは、冬の凍てつく寒さに耐えられるように、ジャージを分厚く着こんで弟を尾行することにした。
弟―――
「ただのランニング……練習なのかな」
だが、四時間も五時間も走るだけのはずはない。
それに帰って来た時はいつも土や泥で汚れているのだから、走る以外になにかがあるはずだ。
もしかしたら、喧嘩でもしているのだろうか。
それとも危ない奴らに目をつけられて、
そんなことになっていたら、どうしたらいいのだろう。
優秀なアスリートとはいっても、まきはただの女の子だ。
もしものときは、どう動けばいいのか想像もできなかった。
「あ、曲がった」
風太が道を変えた。
すでに実家から一キロほどは離れているので、あまり馴染みのないあたりだったが、風太が向かう先には多少思い当たる場所があった。
「
弟が向かう先には、一時期はやったキャンバス移動の余波で閉鎖された大学の運動場があったはずだ。
とはいえ、現在は鉄条網に囲まれて誰も入れないはずだが。
まさか、そんなところに行くはずもないと疑いながら尾行を続けたが、実際のところはそのまさかだった。
誰が仕業なのか、開け放たれた出入り口を抜けて入っていく。
暗い、灯りもない、場所を抜けていくと、なんともう電気も通っていないはずの夜間照明が煌々と照りつける中、グラウンドを何人もの少年たちが走り回っていた。
単純に数えて、十数人。
中にはジャージを脱ぎ捨てて、踏むの寒空の下トレーニングシャツと短パンになった風太もいた。
全員がサッカーの練習をしていた。
走っている者もいたり、ストレッチをしているものもいた。
リフティングもパス練もいた。
風太も走りながら黙々と汗をかいているようだが。
ただ、不気味なのは誰一人として口をきかないことだ。
彼らがやっているのは練習前の個人個人のアップの作業だが、普通ならこういう時は仲間とだべったり声をあげたりしながら気分を上げていくものだ。
まったく知らない者同士ということでもなければ口をきかないということはありえない。
なのに、少年たちはじっと押し黙ったまま、アップをし続けている。
あまりにも異様な光景だった。
まきは風太を連れ戻すつもりだったが、異様さに気圧されてなにもできなかった。
「オス!!」
突然、全員が声を上げた。
いつのまにか、さっきまではいなかった者たちが、グラウンドの中央にたっていた。
周りの少年たちとは一回り違う完成された体格の持ち主たちだ。
ひーふーみーよー
四人いる。
いるのだが、顔が見えない。
顔の部分だけ墨でも塗られたかのように真っ黒で判別できないのだ。
見えるのは身体だけだ。
しかも、その体格と歩き方にはなんとなく覚えがある。
誰、という訳ではなく、間違いなくサッカー選手のものだというレベルなのだが。
「プロ……ううん、ややワイドが狭いから大学生ぐらい? もしくはユースをでて一年から二年の体格かな……?」
プロの選手のものにしてはやや鍛え方が甘い。
十代でもこのぐらいの鍛え方はいるが、十年身近でサッカー選手を見てきた経験上、まきにはそれが感じ取れた。
四人の選手らしい連中もまた何も言わずに、今度は混ざってサッカーらしい練習を始めた。
どうも四人組はコーチのようであった。
鳥かごを作ってのボール回しから、シュート練習、二対三、四対五、ラインの上げ下げ……
どれも普通の練習だ。
おかしなことはただ一つ。
誰一人として、さっきの挨拶を除いては口をきかないことだけ。
風太は饒舌ではないが、仲間といるときはそれなりに喋る少年だ。
それなのに幽鬼のように黙ってボールを蹴り続ける姿は異様だ。
見たことがないくらいに。
しはいえ、まきは弟の夜歩きの原因がサッカーの秘密練習だとわかって安堵した。
かなり不気味ではあるが、これならまあいいだろう。
と思って、こっそりと帰ろうとしたとき、まきは四人の一人がかなりそばを駆け抜けたを見た。
その顔も。
「!?」
咄嗟に口を押さえたから良かったようなものの、下手をしたら悲鳴で存在がばれるところだった。
あまりにも不意打ちに、恐ろしいものをみてしまったからだ。
それは本当に恐ろしいものだった……
◇◆◇
「―――やっぱり或子にしか話せそうになかったんだ。ごめん」
突然、呼び出された僕は、御子内さんと同じ高校の友達である豹頭まきさんの会話に付き合わされることになった。
と言っても、武蔵立川高校の話ではなく、御子内さんにとっての本職である巫女としての仕事である。
御子内さんは隠しているつもりなのだが、やはり親しい友人たちには退魔巫女であることがバレているらしかった。
「ボクの本職がバレているのはどうしてだろう?」
「いや、むしろバレていないと思っていた方がびっくりだよ」
そういえば夏に〈七人ミサキ〉と戦ったときには、もう豹頭さんたちには知られていたような覚えがある。
武士の情けか、篤い友情か、どちらにしても理由はどうあれ、豹頭さんや鳩麦さんたちは御子内さんを適度な距離感で見守っていてくれたということだろう。
「弟さんはその後はどうなったの?」
「風太はそのままいつも通りに日が昇る前に帰ってきた。トレーニングシャツも汚れていて、洗濯籠に入っていた」
「ふーん、それで見た感じはやつれている、と。牡丹灯籠だな」
牡丹灯籠とは、日本三大怪談の一つで、とある浪人が美しい娘と一目惚れする。
娘は夜になると牡丹灯籠を下げて、浪人のもとにやってきて逢瀬を重ねるが、日ごとにやつれてゆくことになる。
実は娘は幽霊だったのだ。
浪人は寺の住職に娘の正体を告げられ、家中の戸にこれを貼って期限の日まで籠もっているがいいとお札を渡される。
浪人は指示通りに閉じ籠もっていると、娘は家の外で、中に入れず恨めしげに呼びかけてきた。
このまま行けば助かるだろう最期の日に、浪人は朝になったという娘の嘘に騙されて、お札を剥がして外へ出てしまい、殺されてしまうというものだ。
結末なんかは色々と違うが、とにかく筋立てはこういうものである。
今回の豹頭さんの弟さんのケースにも当てはまらないものではない。
「それで、まきは何を見たんだい?」
確信となる事実の開示を求めた。
それ目にしたからこそ、豹頭さんは御子内さんに助けを求めたのだ。
友達ではなく、巫女としての本職での彼女に。
「顔に―――穴が開いていたの」
「見間違えではなくて? 貌に痣があったりすると、光の加減ではそう見えることもあるからね」
「ううん。それは間違いない。本当に、穴を通して、向こう側の光景が見えたから」
「コーチらしい四人全員かい?」
「うん。全員。どうみてもおかしかった」
なるほど、夜な夜な少年たちを集めてサッカーをしているだけでも変なのに、顔に穴の開いた男たちがコーチなのか。
それはまさに怪談案件だ。
「じゃあ、ボクはそいつらを退治すればいいのかな?」
御子内さんは簡単に言うけど、どんな相手かわからないのは問題だ。
とりあえず正体ぐらいは確認しておくべきだろうと提案した。
操られている風太くんたちのことを考えると、ただ鉄拳制裁で解決するとも思えないことから、この提案は受け入れられた。
緊急を要する事件ともいえなさそうだし。
それから、僕らはまきさんに案内されて、深夜の練習を探りに出向いたのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます