第359話「おはよう」
見覚えのない夜の異国の街を歩いていた。
道幅が広いし、停まっているピックアップトラックなんかも日本ではお目にかからない車種だ。
クライスラーかフォードのものだろう。
フォードの車だと、WRCに出場するフィエスタ程度しか知らないから、すぐにはわからない。
とはいえ、こんなにアメ車がある国といったらアメリカ以外にはないだろう。
ただし、僕はアメリカどころか海外に出たことがないので、町並みからして「夢」だろうなと当たりをつける。
楡の多い並木道は、人っ子一人いない。
日本のものとは違う大きな家も灯りが漏れておらず、誰も住んでなさそうだった。
外灯だけがぽつぽつと周囲を照らしていた。
「京一!」
前から女の子がやってくる。
見慣れた改造巫女装束にリングシューズを履いた美少女だった。
手を振りながらにこにこと笑っている。
何かいいことが御子内さんにあったのだろうか。
「御子内さん、ここどこかわかる?」
とりあえず聞いてみた。
情報がないと何も先に進まないからだ。
「いや、誰もいない無人の街みたいだ。通りには人影はないね」
「……じゃあ、悪いけど家の中に入るか。どうもアメリカだと勝手に入ると銃で撃たれちゃう悪い印象があるけど」
「フリーズだけは聞き逃さないようにしないとならないってやつだね」
「そうそう」
ざっと見渡すと、コテージが連なったような建物があった。
派手なネオンがついているし、普通の家とは違うもののようだ。
「あそこに行ってみよう」
「あれ、きっとモーテルだよ」
「なんだい、それは?」
「……宿泊施設かな」
「好都合だ。それならいきなり撃たれたりはしないだろう」
先頭に立って歩きだす御子内さんの後を追う。
モーテルがどういうものかよくわかっていないのは考え物だ。
また、変な想像をして真っ赤になって照れるに違いないのだから。
……予想に反して、受付にも誰もいなかった。
古ぼけたジュークボックスから懐かしいカントリーミュージックが流れ出しているだけで、人がいる気配もない。
「どういうことだろう」
「客室も見てみようか」
いったん、外に出てモーテルの一室のドアを開けてみる。
さっきの話のように注意しないと撃たれるかもしれない。
だが、モーテルの部屋にも誰もいなかった。
大きめのベッドと机、ソファーなんかが置かれているだけのシンプルな室内には飾り付けすらない。
ベッドメイキングだけはしっかりとされていた。
何かないかとベッドに近寄ると背後から押し倒された。
「うわ!」
ベッドの上で振り向くと、御子内さんが僕に覆いかぶさってくる。
両手を取られて身動きが取れない。
彼女は僕を組み敷いたまま、見下ろして舌なめずりをした。
「ねえ、京一、……いい機会だから、しようか」
牝の顔をしていた。
こんな御子内さんは見たことがない。
少なくとも僕はね。
一年にわたる付き合いだが、ここまで色っぽい表情を見せたことはないだろう。
「するって、何をさ」
「もちろん、セックス」
御子内さんがこんな卑猥な言い方をするのも初めて聞いた。
違和感ばかりだ。
無理しているというよりも極めて自然なのが不思議だけれど。
しかし、まあこのまま流される気はないし、なにより御子内さんの顔でそういう真似をしてくるのに腹が立った。
だから、吐き捨てた。
「―――いい加減にしてくれないか、サム・ブレイディ」
僕の言葉に、御子内さんは目を丸くする。
彼女っぽさがなくなった。
外見はそのままで、まったくの別人のようだった。
『……何故、わかった?』
「昨日の今日じゃないか。こんなにはっきりとした明晰夢をみれば、誰だって君を疑うに決まっている。……封印されたんじゃなかったの?」
『あの忌々しい鐘の音が鳴る寸前に一部だけ、あんたの夢に潜り込んだのさ。巫女や神主はともかく、あんたには霊能力がなかったからな』
そっか、あの時か。
でも、よかった。もし久子さんだったら、また繰り返すところだったから。
「それで僕を殺すの?」
『あんたはまだ殺さねえ。夢の中で散々怖がってもらわなきゃならねえからな』
「なんのために?」
『俺が力を取り戻すためよ!! あんたの恐怖が俺をこの世に呼び戻す!! 力のほとんどは封印されちまったが、まだ大丈夫だ。俺は不滅のサム・ブレイディさまなんだ!!』
御子内さんのかわいい顔を下品に歪めるな。
吐き気がする。
「……夢の殺人鬼として恐怖を得ることで力を取り戻す。逆に考えれば、今の君はただの残り滓な訳だ」
『滓だと!! てめえ、俺をバカにするのか!?』
「だって、そうじゃないか。―――それに、いい加減に僕の御子内さんを侮辱するな!」
僕は拘束を外し、御子内さん=サム・ブレイディの顔面に頭突きをかました。
鼻を潰されのけ反る顔は、焼けただれた殺人鬼のものに戻っていた。
服装までが黒いものに変わる。
『な、なにをおおおおお!!』
「何をしやがるか、だって? 残念だけど、君の力は僕程度を捕まえておくこともできないほど弱っているんだ。だから、本気を出せば敵わない」
『たかが、人間が―――!』
「生きている人間を舐めるなよ、幽霊の癖に」
ここは僕自身の夢の中だし、できると思ったらできそうなので、御子内さんの真似をして崩拳をサム・ブレイディのどてっ腹に叩き込んだ。
苦鳴をあげて吹き飛ぶ殺人鬼。
どうやら見取り稽古も効果があるらしい。
「僕は君を怖れないし、恐がらないから、どうやったって復活は叶わないよ。このまま朽ちていけばいい」
そうやって、僕は最後に御子内さんっぽくローリング・ソバットを放った。
我ながら完璧なトドメの一撃だった。
これで勝負あり。
仮面もなくなった黒づくめの殺人鬼はもう動けない。
最後っ屁のつもりだったろうが、すでに君は詰んでいたんだよ。
『くそ、くそ、くそ、たかがジャップの餓鬼に! この俺が!!』
「そういう調子にのった、いらんことしぃが敗因だと理解した方がいいね。さようなら、夢の中の殺人鬼。二度とでてくんな」
『くそ、くそ、くそ!』
サム・ブレイディはまだ悪態を放ち続ける。
だが、下半身から徐々に薄れていく身体の消失が肩まで達したときに、憎悪の眼差しを僕に向けて、
『覚えておけよ、餓鬼ぃぃぃぃ!! てめえは、このあと、手酷い裏切りにあうぞ!! 仲間や友人だと思っていた連中にこっぴどく裏切られ、独りぼっちになり、絶望の淵に叩き込まれる!! そうなってからてめえが泣きっ面を見せるのを、地獄の底で楽しみに待っているぜ!! 正義面をしたてめえのような餓鬼がどん底を這いまわるのを酒でも飲みながら嘲笑ってやるぜ!! そして、俺のアレをしゃぶらせてやらあ!!』
と、呪いを発した。
こいつに未来が予見できるはずがないから、きっとこれはただの脅しだ。
僕の人生を口で左右しようとするただの呪いだ。
だから、恐れる必要はない。
「それで?」
『……なんだと? バッカじゃねえのか、てめえはそのうちに破滅するんだってことだよ!!』
僕は鼻で笑った。
「残念だけど、たとえ君の予言通りのことが起きたとしても僕は負けない」
『はあああ~!?』
「僕には〈
一拍おいて、
「君が望む悪夢なんて見ない」
むしろ自分が絶望しきった顔つきのまま、サム・ブレイディは消えていった。
最期に、
『畜生がああああああ―――!!』
と、断末魔の叫びを残しながら。
完全に消滅したのを見届けてから、僕は大きく伸びをした。
夢の中でも疲れるものは疲れるんだな。
「¦I'll be back《またもどってくる》ぐらい気の利いたコメントをすればいいのに」
所詮、悪夢なんて眼が覚めたら忘れるものだ。
―――さあ、明日になったらおはようとでもいおうか。
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