第358話「夢から覚めたら……」
〈社務所〉の退魔巫女たちの敵となる妖魅・怪異は強さがバラバラである。
例えば、年末に御子内さん・レイさんコンビが倒した神クラスがトップクラスで、次に太古から存在する神獣・聖獣、現象が実体化した純粋な妖怪、動物が変化した妖怪、人間の思念が怪物化したもの、
僕が助手となってから遭遇したものたちでは、化け兎の〈犰〉と〈泥田坊〉あたりが強かったと思う。
純粋な妖怪になると、〈護摩台〉の結界の力がないと御子内さんでさえ苦戦するレベルとある。
だが、今、彼女が戦っている夢の中の殺人鬼サム・ブレイディは、はっきり言って強敵などというレベルではない。
左手につけられた鉤爪は鋭く、当たればこの間のモグラの妖怪のように引き攣れた傷ができる凶器だが、御子内さんには通用しない。
もともとがただの商店主であって、鍛え抜かれた戦士ではないからだ。
同じアメリカから来た殺人鬼である〈J〉が次元の違うタフネスと膂力で対抗して来たのに対して、サム・ブレイディは恐ろしいものが何もない。
あいつが強いのは何でもありの夢の世界だけなのだ。
現実に引きずり出された時点で御子内さんが負けたりはしない。
「でやあああ!!」
ロープに飛ばして、戻ってきたサム・ブレイディに振り向きざまのフライングニール・キックを低高度でぶちあててダウンさせる。
そんなものを受けたこともないだろう、マットでもだえ苦しむ殺人鬼。
無理矢理に首筋を掴んで立たせると、そのまま屈みこんで足を払う。
中国武術の
倒したサム・ブレイディの左足にコブラツイストの要領で御子内さんが左足をセットする。
そのまま敵の右足の付け根部分を両手で抱えるようにロックしながら後方へとのけ反って、倒れこんだ。
倒れこむ勢いを最大限利用して、ブリッジの首を支点にしながら反時計回りに〈護摩台〉上をくるくると回転する。
「
掛けられた側の三半規管を狂わせることもできるし、一緒に股裂きを決める技であった。
転がり続けるスピードが速ければ速いほどダメージがあるといわれている。
体幹が強く体力のある御子内さんが使うと、あっという間に十回転は突破してしまう。
回転が増えるたびに『ギィエエ!!』とサム・ブレイディが叫ぶ。
かなり痛いのだろう。
御子内さんがこんな寝技を使うことはあまりないので、僕も初めて見る。
いつもの彼女の戦いはだいたい体格差のある厳しいものばかりなので、普通の人間サイズの殺人鬼など滅多にない。
だからこそ、いつもとは違う寝技に移行できたのだろう。
十回転したところで、御子内さんは敵を解放した。
当然、助ける気はない。
コーナーポストによじ登り、トップに仁王立ちになる。
そこから撃ち放たれる水平ドロップキック!
高い位置からのドロップキックは、飛距離も長く、仰向けのままマットと水平となる形で、背中から着地する。
だが、それだけでは終わらない。
着地した直後に反対側に駆け抜け、別のコーナーポストによじ登るともう一度同じミサイルキックをぶちかます。
あの空飛ぶ巫女レスラー音子さんを彷彿とさせる空中挙動だ。
無駄が多いように見えて、実は冷静沈着な判断に基づく、いかにも御子内さんらしい戦い方を見せつつ、こんな派手な技を披露するなんて……
『て、てめえ、ふざけるなよ……小娘ェ……』
すでにサム・ブレイディの膝はガタガタだった。
あとはフォールして3カウントをとってしまえば、封印することができる。
特にあいつは夢に潜む死霊でしかない。
〈護摩台〉にかかればすぐに終わる。
だが……
(妖魅には常に―――
かつて多くの巫女を屠ってきた凶器が。
「夢の中では世話になったね。でも、もうキミが自在に操れる
『カーカッカカ、小娘が調子に乗るなよっ! 大人の男をコケにしたらどうなるか、あんたのプッシーに教えてやるよ!』
「清らかな女の子に叩き付ける言葉じゃないな」
三度、ドロップキックを放ち、サム・ブレイディの口をふさぐ。
どうやら彼女は怒っているらしかった。
夢の中という自分にとって安全な場所から弱い女子供をいたぶって殺すという、殺人鬼のやり方に本気で憤っているのだろう。
僕にはわからないが、きっと潜り込んだ夢の世界でも彼女を怒らせる真似をしでかしたのだと想像もつくけど。
「よっしゃ行くぞ!!」
腕をロックしてから前に投げる。
殺人鬼は為すすべもなくマットを這う。
しかし、その左手の爪はまだ殺意の光りを輝かせている。
まだ、あいつは死んでいない。
白い仮面が外れた。
火傷で引き攣った皮膚が醜く歪んでいる。
『近づいたな』
サム・ブレイディが誰にいうのでもなく呟いた。
言葉に強い力があった。
僕にもわかった。
あいつは切り札をだす。
『死ね!!』
左手首が捻られ、指先が御子内さんに向けられる。
それだ。
「御子内さん!!」
と叫ぼうとしたが、無意味だった。
僕の声が届かないという訳ではなかった。
たかが薄汚い殺人鬼の姑息な作戦など、人々を守るという修羅場を数えきれないほど潜ってきた僕の御子内さんには無意味だという意味だ。
サム・ブレイディの鉤爪がまるでナイフのように五本まとめて飛んだ。
ロシアがソ連だった頃にスプリングで刃を飛ばすスペツナズ・ナイフという武器があったが、それと同じ効果を五本の指すべてが備えていたのだ。
しかも初速は弾丸並みだった。
直撃すれば鉄板さえも貫くような勢いの爪の矢であった。
しかし、そんなものは簡単に御子内さんが受け止めてしまった。
奇跡のような反射速度で五本まとめて。
できるできないは関係ない。
やってしまうのが、彼女なのだ。
小さな掌にすべての爪を握りしめて、彼女は言う。
「こんなものか?」
怒りをこめて言う。
「こんなもので女や子供を殺しまくって楽しかったのか?」
心優しき巫女は、心ない殺人鬼を決して許さない。
「おまえは消えろ」
御子内さんはサム・ブレイディをまたもロープに向けて投げ捨てた。
バランスを崩して、よたよた走りながら、殺人鬼は弾力によって跳ね返されて戻ってくる。
サム・ブレイディの真っ正面に立ったままジャンプして両肩に乗った。
すらりとした両脚でサムの頭を挟みこむ。
上半身を振り子の錘のように振って後方にのけ反り、サム・ブレイディの股へと潜りこむ。
すべての物理法則を利用して殺人鬼をフロント回転させながら、がっしりと両足を掴んで回転エビ固めの要領でフォールに持ち込んだ。
一見、フランケンシュタイナーと同じだが、御子内さんはサムの頭部をマットに痛烈に叩きつけてダメージを負わせていたので、これは―――
「
あまりにもアクロバティックすぎる技であった。
『オ……オオオオ』
後頭部を破壊する勢いで叩き付けられたサム・ブレイディは断末魔を上げた。
そのまま、スリーカウントが流れ出し、「3」となった途端、死霊の殺人鬼は煙となって消えていく。
何十年にもわたって、多くの人たちを夢の中で殺してきた下劣な殺人鬼の最期であった。
僕の隣で無言のまま御子内さんの戦いを見つめていた久子さんが呟いた。
「―――亜紀……」
亡き友への鎮魂の声だった。
亜紀さんは―――これで成仏してくれるだろうか。
あなたを殺した奴は正義の人に退治されたので安心して眠ってください。
もし、死んだ人に声を届けられる機械を作った人がいたら、ノーベル賞ではたりないだろう。
それはすべての人の願いなのだから。
「京一」
「なに、御子内さん」
彼女は戦いが終わって、荒い息を吐きながら言った。
「長い悪夢もこれで終わりさ」
彼女の足下にある多くの人の血を吸った爪も消えていく。
長い長い悪い夢の、呆気ない幕切れだった……
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