第357話「ドリーム・カム・トゥギャザー」
久子さんと〈護摩台〉の中央で横になって眠っていた御子内さんが、苦しそうに呻いた。
夢間神社の神主さんを見ると、強く頷き返された。
僕たちの目論見が確かならば、久子さんの夢の中で御子内さんと殺人鬼との戦いが始まっているはずだ。
つまり、タイミングを絶対に間違ってはいけない状態だということである。
夢の中の状況は現実世界からでは窺い知ることができない。
実際には、夢の世界があるかないか、そんなことも考えなければならないはずなのだが、僕は多少の非現実的なことなど簡単に受け入れてしまうようになっている。
御子内さんが夢で戦っているというのならば、僕は信じて彼女を現実に戻さなければならない。
共に考えた手筈を信じるのだ。
可愛い彼女の寝顔を見つめる。
かなり苦しそうだ。
悪夢にうなされているのだから、当たり前だ。
だが、手筈に従えば、彼女は起死回生のチャンスを待っているはず。
そして、必ず掴み取るだろう。
じっと待つ。
「―――ううう」
形のいい唇が歪む。
奥歯が軋む音がした。
歯を食いしばっている。
痛みに。
しかし、まだまだ。
その間に神主さんが久子さんを揺り起こしていた。
鼻に夢間神社特製の、どんな悪夢を操る妖魅相手からでも逃れられる気付け薬を当てて、無理矢理に眠りから覚まさせる。
恐怖に引き攣った表情のまま、久子さんは覚醒した。
キョロキョロと見渡し、僕と神主さんを見て安堵のため息を漏らす。
よし、この女性は助けられた。
あとは御子内さんだ。
「ぐっ!」
かわいい顔がさらに歪む。
こちらまで痛みを感じるようなしかめっ面だ。
そして、口が開いた。
「いいよ、京一!! 掴まえた!! こいつを引き摺り出せ!!」
彼女は眼を閉じたまま、まだ意識は寝ているはずだから、これはただの寝言でしかなかった。
だけど、これは打ち合わせ通りの言葉だ。
つまり、御子内さんはチャンスの神様の前髪を掴み取ったのである。
「起きろ、御子内さん!!」
同じように鼻頭に気付け薬を擦り付ける。
頭をあげて、鼻孔がよく嗅ぎ取れるようにして。
それでかっと眼が開く。
御子内さんも覚醒したのだ。
同時に、彼女の右手の先に黒いコートを着た仮面とハンチングの男が出現する。
瞬き一つする間に、こんな男がどこから現われたのかさっぱりだった。
夢の世界から現実に引き摺り出してきたということなのだろう。
「こいつが、殺人鬼サム・ブレイディ」
サム・ブレイディが自分を取り戻すまでの数秒、僕は御子内さんを抱えて赤のコーナーポストに行く。
チャンピオンのための場所だ。
そこに御子内さんを立たせる。
現実に帰ってきた衝撃から完全覚醒は遅れたが、さすがの精神力で御子内さんは復活し、〈護摩台〉のマットの中央でまだぼうっとしている殺人鬼を睨みつける。
『ここはどこだ!? ここはどこだ!? どうして俺はこんなところにいる!? 俺はなんでプロレスリングになんかいるんだ!? ここは夢か? 俺の夢じゃねえぞ!?』
殺人鬼ががなりたてる。
あいつはまだ現実に適合していない。
こちらの仕掛けた罠にはまったことをわかっていない。
「ボクの現実世界にようこそ、夢に潜む〈殺人現象フェノメナン〉サム・ブレイディ」
御子内さんが言った。
ようやくサム・ブレイディはこちらに気が付いた。
驚愕に目を丸くしている。
『なんだよ、ここは……?』
「もうキミは逃げられないよ。この〈護摩台〉の外にも、夢の中にもね。さて、決着だ。今までに殺してきた人の分だけ後悔するがいいさ」
殺人鬼にはまだ事情が呑み込めないようだった。
僕たちが意図的に夢の世界からあいつを連れ出したということを。
「……ヴァネッサさんに助言を求めておいて良かったですね」
「そうだね」
僕たちは今回の敵サム・ブレイディの正体を知ったときに、あいつがアメリカからきたということを聞いた。
そして、日本にいるFBI捜査官の友人のことを思い出した。
携帯で連絡を取るとやはり彼女―――ヴァネッサ・レベッカ・スターリングはサム・ブレイディのことを知っていた。
『―――元々南部では〈殺人現象〉が多く確認されやすいのです。どうも、南北戦争時代に呪われた所業が増発した結果なのでしょうけれど』
「そいつは本当に夢の中に現われるの?」
『Well…… 残念だけれどわたしたちスターリング家の女でも、そいつには遭遇したことないわ。でも、被害者の夢の中を動き回る怪物めいた〈殺人現象〉のことは有名だった』
「有名? もしかして、何度も現われているの?」
『確か、ネトル・ストリートという街に出たということは聞いています。私の母が捜査に行くという話だったのですが、その前に事件が終息してしまったようでした』
終息したということは、ネトル・ストリートでのサム・ブレイディの殺人は誰かが止めたということだ。
つまり、夢の殺人鬼は止められる。
「どうやって、サム・ブレイディを止めたんですか?」
『細かい話はわからないけれど、殺人鬼に狙われていた女の子が追い詰められた建物を燃やして焼き殺したという話よ』
「―――夢の中の人物を? どうやって?」
『外に出す方法があるみたい。入り込んだ夢で肉体のどこかに触れられている状態で、夢を見ている人間が覚醒すると、その部分が現実世界に行ってしまう、という話よ』
「夢を見ている人間が……」
それだけ聞けば大丈夫だった。
夢間神社の神主さんと話し合った結果、僕たちは睡眠を導入しやすい薬によって久子さんと御子内さんを同時に眠らせて殺人鬼を誘き出すことにした。
この神社には夢の中に霊力の高いものを送り込む秘術があったから、それは容易だった。
夢の中に御子内さんが入れたら、彼女がサム・ブレイディを捕まえて合図を送る。
そうしたら、現実世界の僕らが睡眠者たちを起こし、絶対に触れない怪物を表に引き摺り出す。
これが作戦の全貌だった。
そして、僕たちは賭けに勝ち、チャンスを掴んだ。
夢の殺人鬼は現実にでてきた。
御子内さんの拳が届く世界に。
カアアアアン
ゴングが鳴った。
コーナーポストから離れた御子内さんは、構えをつくり、マットの中心に立ち尽くす殺人鬼に近寄る。
左手に鋭い鉤爪をもつ怪物は、もう夢の中にはいない。
無敵でも不死身でもない。
ここは現実世界。
御子内或子の戦場なのだ。
『俺を、俺を、夢の中から……!!』
鉤爪が大きく振るわれたが、そんなものでは彼女に通じるはずがない。
もともとはただの商店主でしかないサム・ブレイディでは、格闘技の達人であり、最強の巫女レスラーである御子内さんに触れることすらできないだろう。
「どっせい!!」
その正義の拳が腹を貫く。
奇想天外な夢の中ではないリングの上で戦いはついに始まったのだ。
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