第356話「闘夢と悪夢」



「やはり夢の中というのは、ふわふわしていて動きづらいものだね」


 手を握ったり閉じたりして感触を確かめる。

 確かに現実世界とは微妙に違う。

 プールに肩まで塚っているような重さを感じていた。

 さすがに自分の肉体ではなく、夢の世界に入り込んだだけあって勝手が違う。

 彼女がどうやって「夢」に入ったかというと、それは夢間神社に伝わる特殊な儀式によるものだった。

 夢などという形而上学的な世界についても、太古の昔から研究は続けられていた。

 例えば、夢のお告げを初めとする不思議な事象は数限りがなく、サム・ブレイディのように夢の世界に巣食う怪物の存在も確認されていたのだ。

 それら夢にまつわる現象について集積し、解析し、研究するために徳川家康が江戸の外れに秘密裏に用意したのが、夢見神社の前身であった。

 江戸の幕府が滅び、明治政府ができると同時に現代では〈社務所〉と呼ばれる退魔組織が明治天皇の勅令により設置される。

〈社務所〉は京都から帝都に遷られる際に、明治天皇が連れてきたものたちを中心として、新しく再編された組織なのであった。

 今では廃仏毀釈といえば、悪政の見本のように考えられているが、明治政府のこの政策の裏では〈社務所〉によるオカルトの世界―――闇の蠢く世界への強い干渉がなされていたのである。

 明治天皇は自ら京都から連れてきた退魔の家のものたちを要所の宮司に据え、帝都・東京の霊的安定を促がした。

 特に朝敵とされている平将門を祀る成田山には「明王殿」を、川崎大師・平間寺の近くには「神宮女」を、神田明神には「熊埜御堂」を、内藤新宿には「猫耳堂」を配置するなどの策を巡らせた。

 また、天皇家の守護として禁裏に出入りしていた「御所守」「刹彌」「豈馬あにま」を〈社務所〉と繋がりをもたせ、武力も増強させた。

 さらに、山梨・栃木・群馬の各地の元天領における霊的安定を保つために、全国各地から集めた道々のものや修験者出身の退魔師を送る。

 このように、明治天皇は表の政治の裏側において、首都となる東京ひいては関東一円を護る霊的仕掛けをたんまりと施していたのである。

 夢間神社は元々幕府の管轄であったが、大政奉還にともない明治政府の一部門となり、〈社務所〉とのパイプを用意された神社であった。

 その理由は「夢」の世界の守護。

 そして、その神主である宮司には、他人の夢に霊的な力を持つものを送り込む呪法が伝承されていたのである。

 升麻京一が用意した〈護摩台〉の上で、貴瀬久子と御子内或子は寄り添うように眠りにつき、呪法の力で或子は久子の夢に「同調」した。

 同床異夢ならぬ異床同夢である。

 或子はサム・ブレイディのように、のである。


『……まさか、あんた、俺みてえに死んでるのか? いや、ちげえな。どうみても生きている人間だ』

「そうだよ。ボクはキミを倒すためにきたんだ」

『倒すだってぇ、この俺をか? ドタマいかれてんじゃねえのか!? ここをどこだと思っていやがる!!』


 サムからすれば或子の言っていることは無意味な戯言だ。

 彼の言う通り、ここは夢の世界。

 殺人鬼のホームだ。

 思い出のグリーングラスなのである。

 この世界でサム・ブレイディをどうにかできる敵などいない。


「こうするのさ!!」


 或子は走った。

 そのまま久子を捕まえているサムの顔面に腰の乗ったパンチを突き立てる。

 あまりの速さにサムは反応もできずに、獲物を手放して吹き飛ぶ。


『なにしやがる!?』

「まだ終わりじゃないぞ!」


 或子は勢いをキープしたまま縦回転で踵落としを放つ。

 テコンドーのネリチャギとは違う、鎌のように頭を砕く蹴りだ。

 鉤爪がついた左腕では間に合わないと、サム・ブレイディは右手を防御に回した。

 だが、巫女レスラーの脚力はその腕ごと脳天を破砕する。


『おおおぉぉぉん、あはぁはぁぁぁ!! よくも俺の腕をぉぉぉぉ!!』


 サムの右腕はおかしな方向に直角に折れ曲がっていた。


「まだだ!!」

 或子は縦にチョップを放った。

 木の枝ぐらいなら切れる手刀だ。

 それは鉤爪のついた左腕にあたり、なんと切断してしまう。


『お、おおおおぁぁぁおおおお!!』

 

 両腕がなくなるか破壊されたサムは身も蓋もない叫びをあげて、床に這いつくばる。

 切断面からはどす黒い血が溢れていた。

 嘘みたいに脆い、と思ったとき、サムは痛がるふりを止めた。

 傷をものともせずに立ち上がり、


「ん、ふふふふ」


 と笑うと、気合いとともになくなっていた腕が生えてきて、折れた骨までもが元に戻る。

 さすがに驚いた或子に対して、左右から殴りつけ、斬りつけ、鉤爪を躱して体勢を崩した彼女の腹を蹴った。

 なんとか十字受けで防いだものの、細身とは思えない異常な怪力によって或子は黒板まで飛んでいった。

 背中に〈気〉をこめて衝撃を防ぐ。

 夢の中でも〈気〉は使えるようだった。

 しかし、信じられない力だ。


「ケケケケ、俺の悪夢へようこそ」


 サムはケタケタと笑った。

 手を挙げて或子目掛けて振ると、その動きに合わせて教室の机と椅子が触れてもいないのに飛んでいく。

 まるでサイコキネシスでも使っているかのように。

 間一髪左に跳んだ或子だったが、次の瞬間、いつ移動したのかさえわからないサムに背後を取られる。


「そこ!!」


 振り向きざまにバックブローを放つが、サムは黒い霧になって消えた。


『よそ見をすんなよ、姉ちゃんビッチ


 鋭い爪が顔面を狙った。

 巫女レスラーの超反応がそれをなんとか躱すが、髪の毛を持っていかれた。

 正体不明の風圧が彼女を弾き飛ばした。

 まったく想定していない方角からの風だった。

 今度は窓に激突し、ガラスが割れる。

 なのに外に出たりしない。

 まるでクッションでもあるかのように跳ね返り、床を転げた。


『ここは俺のホームだぜ。どうやって入ってきたかは知らねえが、お客様は大切にもてなさなきゃあなあ』


 サムは鉤爪を擦り合わせ耳障りな音を立てる。

 殺人鬼の指揮に従って、再び動き出した机と椅子が或子の前身を覆いかぶさる。

 貌と右腕以外はすべて動けなくなった。


『ケケケケ、なかなかキュートじゃねえか、ベイビー』


 サムは爪で或子の前髪を梳かす。

 可愛らしい顔が剥き出しになった。

 机と椅子の重さによる苦痛で歪んでいく。


『なーに、すぐには殺さねえ。殺すときはまあ初めてだから痛いだろうが、そのうち気持ちよくなってケツを振りだすぜ』


 爪を或子の腕に振るい、掌に血の筋を作る。

 彼の得意の遊びだった。

 どんなに夢の中でいたぶっても弄んでもそれで被害者が目を覚ますことはない。

 だから、身体に傷でメッセージを作るのが好みの遊びだった。


『日本だとどういうのが喜ばれるかなあ。ご馳走さまか? あんた、処女みたいだし、穴の一つや二つ空いていた方が楽しいだろう』


 もう動けない或子をどうやって苦しめるかが、目下のところ、サムの楽しみとなっていた。

 ここでもう一人の最初の獲物のことを思い出した。

 こっちのよくわからない闖入者はさておいて、まずは順番通りに食べていくのがマナーを守る文明人のやることだ。


『おーい、久子ぉ。ちょっとこっちにおいで』


 教室を見渡してみたが、彼と或子以外には誰もいなかった。

 隠れられるスペースもないし、ここはサムの意志のままに操られる空間なので、彼の許可なしに出られるはずがない。

 出した覚えもない。

 それなのに、いつのまにか久子がいなくなっていた。

 どういうことだ?

 サムは首をひねった。

 まさか、目を覚ましたのか。

 だが、その場合でも彼に悟られることなくというのは難しいはずだ。

 今まで迂闊にも逃がしてしまった相手は、外から強引に叩き起こされたから目覚めたのであって、その場合はしょうがなく見逃していただけだ。

 また、いつか殺せばいい程度のことで。

 では、どうやって?

 久子はどこに行ったのだ?


『どこに行ったあ? おいおい、ジョークとしちゃあ面白くねえぞおお』


 どんなに呼んでも日本人はでてこない。

 

『でてこいやあ、黄色い豚が!!』


 癇癪を起してあらん限りの声で叫んだ時、ガシッと足首を掴まれた。

 身動き取れないはずの或子の仕業だった。


『後にしてくれねえか。あんたは後回しなんだよ』


 だが、巫女レスラーは微笑みながら答えた。


「いや、久子への予約はキャンセルだ。まずはボクが相手をしよう」

『邪魔だ、お呼びじゃねえってんだよ!!』


 足首を掴んだ或子をもぎ離そうとするが、少女のものとは思えない握力によって阻止された。


「いいよ、京一!! 掴まえた!! こいつを引き摺り出せ!!」


 その言葉の意味をサム・ブレイディはすぐに理解した。

 周囲の景色が一変し、日本の学校の教室が彼ですら見たことのあるセットになっていたからだ。

 四隅に赤と青のコーナーポストがたち、白いマットが敷かれたプロレスリングのセットに。


『ここはどこだ!? ここはどこだ!? どうして俺はこんなところにいる!? 俺はなんでプロレスリングになんかいるんだ!? ここは夢か? 俺の夢じゃねえぞ!?』


 サムはがなりたてたが、普通ならそれで答えが返ってくるはずがない。

 普通ならば。


「ボクの現実世界にようこそ、夢に潜む〈殺人現象フェノメナン〉サム・ブレイディ」


 御子内或子は赤いコーナーポストに寄りかかりながら言った。

 セコンドには升麻京一が立っていた。

 さらに後ろには貴瀬久子。


『なんだよ、ここは……?』

「もうキミは逃げられないよ。この〈護摩台〉の外にも、夢の中にもね。さて、決着だ。今までに殺してきた人の分だけ後悔するがいいさ」


 夢の中の殺人鬼を現実に引き摺り出し、今度は巫女レスラーのホームでの勝負が始まろうとしていた。 


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