第353話「殺人悪夢サム・ブレイディ」



「夢に見たこともない男が出てくることは、わりとあるんだよ。確か、『This Manディスマン』だったかな?」


 今回の事件の現場に向かうための電車で、御子内さんが解説を始めてくれた。


「確か、2006年に女性が一人、ニューヨークの精神科に訪れた。彼女は自分の夢の中にいつも同じ男が現れる説明した。それを聞いた医者が、試しにその男の人相を描かせると、太い眉で、特徴的な大きな口、ギラギラした目をして、髪の薄い頭をした男のモンタージュが出来上がった。別の日に違う患者がきたとき、そのモンタージュが机の上に置きっ放しになっていた。すると、その患者がモンタージュを見てこう叫んだ。『私の夢にいつも出てくる男だ』 とね」


 同じ男を二人の人間が夢の中に出たのか。

 それはオカルトな話だね。

 御子内さんは話を続ける。


「この精神科医は、仲間の医師に呼びかけてモンタージュ作成を大規模に実施してみたんだ。すると、幾人かの患者の夢に、この男らしき人物が出没していることがわかった。そこで、その精神科医と仲間たちはこの夢に出てくる男を『This Manディスマン』と名付けて、インターネット上にホームページを設置して情報を集めてみる。そうしたらアメリカどころか、インド、フランス、中国など世界中から数千人が見たことがあると体験談を寄せてきたんだ。で、この謎の男のことが世界中で話題になった」


 凄い話だ。

 人間の集合的意識的か何かが引き起こした現象だろうか。

 でも、きっとわりと印象的な顔の映画俳優かなんかだろうね。

 実際の世の中というはあまりおかしなことはないから。


「まあ、タネを明かすとヨーロッパの広告会社の仕掛けらしいんだけどね。口コミを利用してどのぐらいに情報が拡散するかっていう、えっとバイラル・マーケティングの実験だったそうだ」

「―――っ!」


 騙された。

 世の中というのは僕が思っているよりもさらに悪辣だ。

 そんなオチってないよね。


「って、じゃあ今回、御子内さんが倒す予定の妖怪というのは、口コミが関係しているの?」

「いや、違う。問題なのは、夢に出るという男の話さ」

「でも、それはバイラル・マーケティングの一環で……」

「世界中、歴史的にも、実は夢を媒介にした妖魅の類いは少なくないんだ。つい最近だって、てんが夢を食べる〈獏〉を封印したらしいけど、夢というのは人間とは切っても切れない関係にある。だから、夢の中を移動するような妖魅はわりと報告されている」


 夢の中を渡る妖魅……

 そんなものがいるのか。


「少なくとも、ボクが受け取った助けを求める声はそういう悲鳴をあげている。夢の中に出る殺人鬼が友達を殺したってね」

「夢の殺人鬼?」

「そう。アメリカに留学してきて帰ってきた友達が、夢の中にでる男に悩まされていたらしい。そして、腹からそいつらしき男が出てきて、友達は無残に殺されてしまった。今は、生き残った女の子の夢に潜んでいる可能性がある。今回、倒すのはそいつさ」


 だいたい話はわかった。

 しかし、そんなことができるのだろうか。

 夢の中にいる殺人鬼を倒すなんて。


「まあ、やってみるしかないね」

「……そんな楽観的な」


 このあたり、いつも御子内さんは深く考え込んだりはしない。

 可愛い顔して脳筋なんだよね。


「他にわかっていることは?」

「直接、その殺人鬼に憑りつかれているっている女性に会ってからかな。ほとんど錯乱気味だし、ここ数日寝ていないらしくて支離滅裂なんだ」

「なんで寝ていないの?」


 って聞くだけ無駄だった。

 夢の中にでる殺人鬼というのならば、寝たら終わりだからだろう。

 睡眠というのは、人間の三大欲求の一つだし、それが無理に奪われれば精神だっておかしくなる。

 うちのクラスの桜井が「女と付き合う前に、そいつに睡眠障害がないかきいておくべきだぜ」なんて偉そうなことを言っていたのは、健康にまつわる眠りの影響と大切さについての話だし。

 人間の心はわりと快適な睡眠に左右されるのだ。


「御子内さんは毎日よく眠れているの?」

「ボクは毎日八時間は睡眠時間を確保しているし、お布団に入ったらそく就寝だよ。寝不足なんてほとんどないかな」

「だろうね」


 これも聞く必要のない話だった。


「でも夢の中にいて実体のない相手を倒すなんてできるのかな……。まって、そんなのに殺されるってどういうこと? 夢の中から出てくるの?」

「彼女は実際に友達が殺されるところを目撃しているそうだ。まあ、それが夢でなかったという保証はないけどね。ただ、殺された友達の死体には、どうやってかはわからないがお腹の内部から破裂した痕跡があるそうだ。彼女の証言と一致する」

「ああ、アメリカ留学していたっていう……」


 そのとき、僕の脳裏にある人物が浮かんだ。

 アメリカで、殺人鬼関係で、夢の中。

 以前、聞いたことがある。

 あれは確か千葉県でプリウスαの後部座席にいたときのことだ。


「ちょっと待って」


 僕はLINEでに今大丈夫かというメッセージを送る。

 すぐに返事がきた。

 電車から降りると、僕は改めてスマホで連絡を取ってみた。


「……もしもし、ヴァネッサさんですか? 升麻京一です」

〔Hello、升麻サン。お久しぶり。それで私から何を聞きだしたいんですか?〕

「話が早くて助かります。実は……」


 そして、僕の勘は今回はうまく的中したのである。



           ◇◆◇



 そいつは、黒い服を着ているという。

 左手には鉤爪をつけて、ハンチングを被り、顔を仮面で隠している。

 仮面はパーティーのジョークで使われそうな白いムンクの「叫び」を意識したデザインで、ユーモラスであるが悪趣味でもある。

 最初は誰だかわからない。

 だが、そいつについて知っていて、名前を呼ぶと、仮面の男は自分から名乗るという。


I’mおれは Sam Bradyサム・ブレイディだよ


 そこで初めて人は、自分が夢を見ていてサム・ブレイディが殺しにやってきたことに気が付く。

 ネトル・ストリートの住民は、みな、この狂気の殺人鬼の都市伝説を衆知しているからである。

 この殺人鬼から逃れる方法はたった一つだ。

 悪夢から自力で覚めること。

 それによって、逃れることができたものも多く(そうでなければこの話自体が伝わっていない)、不可能とは思われていない。

 ただし、そこに至るまではとてつもなく困難で、障害ばかりと言われている。

 もっとも、一度でもサム・ブレイディの夢から自力で脱出できたものは、それ以降も逃げることができるようになるため、悪夢の殺人鬼は面倒くさがって襲わなくなるというのも伝えられていた。

 だから襲われた人たちは、なんとしてでも逃げるために必死の努力をしなければならないのだ。


「……亜紀は、布団に入る少し前に、『もしかしたら、あたしもサム・ブレイディの夢を見ちゃったかもしれない』って言ってました。アメリカをでる日のことらしいです。たまたま、ですけど乗っていたタクシーがブレイディの放火された店の前を―――何もない更地なんだそうです―――を通ったとき、変な声を聞いてしまったといっていました。それがもしかしたら、サム・ブレイディの呼び声だったのかも、と冗談交じりですが言ってました」


 貴瀬久子さんは、二十一歳で僕らよりも四つ上だ。

 しかし、睡眠不足と友達の死体を目撃したショックでほとんど憔悴しきっていて、子供のようになっていた。

 九州のご家族には事態を知らせていないらしく、付き添いはいない。

 いたとしても、困ることになっただろう。

 娘が夢の中の殺人鬼に狙われているなんて、理解できるはずがない。

 最悪の場合は、精神病院行きだ。


「警察にこのことは話したのかい?」

「ええ。ほとんどのお巡りさんは信じてくれませんでしたけど、一人だけ変わった方がいて、あたしにこの神社へいけと教えてくれました」


 ここは杉並区にある、「夢間神社」という神社の社務所の一室だ。

 僕と御子内さんは、その夢の中の殺人鬼サム・ブレイディという妖魅に憑りつかれたらしい女性と対面していた。

 会った瞬間に、憔悴しきった顔色だけでなくて、纏う黒いオーラのようなものに気が付いた。

 僕でわかる程度なのだから、相当なものだろう。

 この女性ひとは確実に善くないものに憑かれている。


「……詳しい事情をもう少し聴こうじゃないか」


 夢の中の殺人鬼。


 そんなものと巫女レスラーは戦うことになってしまったのであるが、果たして勝ち目はあるのだろうか。



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