―第46試合 夢へ鎮め―
第352話「田舎町の悪夢」
昨日、ルームメイトが三か月の留学から帰ってきたせいで、室内の空気が妙にざわざわしていた。
元々、大学に入学して、二年以上同じ相手と生活していたのだから、すぐに感覚も元に戻るだろうと楽観していたこともある。
友達が買ってきてくれたアメリカ土産を堪能しつつ、わざわざ用意した日本食でもてなして、遅くまでビールを飲んだ。
寮に住む他の部屋の友達も来てくれたが、一応、就寝時間というものが定められている関係上、10時には帰ってしまい、宴会は二人きりということになってしまったのだ。
とはいえ、つもる話は山のようにある。
頼まれて録り溜めしておいたテレビ番組や漫画雑誌の類いを肴にして、深夜まで飲み明かした。
それから、ツインベッドの寝室の布団に潜り込んだのだが、久子はすぐには寝付けなかった。
飛行機での長旅の疲れもあるのか、すぐに泥のように眠り込んでしまったルームメイトを恨めしそうに睨んだ。
「ねえ、
少しゆすっても軽くいびきを掻くだけで起きる気配はない。
「まったく…… あんたが怖いことをいうから寝れなくなったかもしんないのに。勝手なやつだ」
久子は眼を閉じた。
寝る前に亜紀がしていた話を思い出す。
確か、彼女の留学が早めに切り上げられる原因となった事件についてだった。
(ネトル・ストリートだっけ? 亜紀がホームステイしていたアメリカの街って…… そこで人殺しがあったんだよね)
彼女たちの在籍している大学と提携しているアメリカの大学に通うために、亜紀はすぐ近くの住宅街でホームステイをしていたということだ。
その街で、信じられない連続殺人事件が起きたというのである。
十人近い、ハイティーンの若者が次々と謎の殺され方をしたというのだ。
「―――みんなね、お腹から何かが出てきたみたいな死に方をしていたの」
「何かが出てきた?」
「そうなの。こう、お腹がぶわっと膨らんで、そこが破裂したみたいな感じ」
亜紀が手にしていたハムを丸めて、中から突くようにすると、脆い表面が破れて指が顔を出した。
死体の見立てなのだろう。
想像するだけでもグロテスクだった。
「北○の拳?」
「まあ、北斗○拳ね」
「それって病気か何かじゃないの? 殺人事件ってことはないでしょう」
「いや、あたしもそう思ったの。でも、ホームステイ先の両親とか同級生とかなんてもう論調が『○○に殺された』一色になっちゃって、あっという間に大学に誰もこなくなっちゃったの。いや、驚いたわ」
「なによそれ」
ビールをぐびぐび飲みながら、
「信じちゃってるのよ、町中のみんなが殺人鬼の都市伝説を」
「都市伝説ってなに」
「うんとね。ネトル・ストリートにはその昔、学生運動があったらしいの。日本のものとはちょっと違うんだけど……。 なんていうかモルモン教徒みたいに変わった教義のカソリック宗派がいたらしくてね。その宗派の子息を中心とした政府の方針に反対するデモを学生たちがやって、その際に、なんていうか暴徒っぽくなってしまった」
「ロサンゼルス大暴動みたいなものか」
「それで、町中が大騒ぎになったんだけど、そのどさくさ紛れに十数人の高校生が一軒のお店を襲撃した」
「強盗しちゃったわけね」
「ううん。お金とかは関係なくて、そこは雑貨店だったんだけど、今でいうSMグッズみたいなものも売っている店で道徳的に問題があると言われていた」
数十年前のアメリカの田舎町なら、そういうのは迫害の対象になってもおかしくないのかな。
ただそれだけで襲われるのは変だ。
「問題は売っているものじゃなくて、店主だったのよ。……えっと、サミュエル・ブレイディだったかな? サム・ブレイディと呼ばれていた」
「もしかして、変質者かなんかだったの?」
「まあ、そうね。小児愛者で、強姦魔で、連続殺人鬼だったらしいから」
うわ、と久子は口を押さえた。
平和で凶悪犯罪の少ない日本ではあまり聞かない単語のオンパレードだからだ。
「町ではずっと有名だったらしくて、そのデモの日に勢いづいた学生たちがプラカードだけじゃなくて鉄パイプとか片手で殴りこんだの。学生たちは、店内を滅茶苦茶にしただけでなくて、通りにサム・ブレイディを無理矢理引き摺り出すと殴る蹴るのリンチを始めた。その間に他の学生がサムの店に火をつけることもした。別に彼らも命を奪うつもりはなかったと思うけど、大切な店が燃えているのをみたサムはそのまま自分の身も顧みずに戻っていってしまったの」
「―――死んじゃわない?」
「当然、死んじゃった。あとで、警察が燃えてなくなった店を調べたら地下室が見つかって、そこで窒息死していたサムの死体と彼の行っていた殺人とかの悪事の証拠が見つかったの。何十件もの事件の証拠がね」
……サムの店を放火した学生たちも酷いが、それが冤罪でもなかったということがショックだった。
アメリカってやっぱりそんな風に凶悪事件が多いんだな。
しかし、
ただ、殺人鬼サミュエル・ブレイディは死んだのにその後なにがあったのだろうか。
亜紀の話はまだまだ続く。
「それからしばらくして、町の子供たち……ハイティーンの高校生の中に奇妙な噂が広がったの」
「噂……?」
「みんなの夢に、サミュエル・ブレイディが出てくる。そして、油断をしていたら夢の中で殺されるっていう噂だった」
息を呑んだ。
なぜか、笑い飛ばすことができなかった。
亜紀の口調などは抜きにしたとしても、サム・ブレイディの話に潜む狂気のようなものを感じ取ってしまったからかもしれない。
「それで……夢に出てくるぐらいで本当に殺されるわけがないじゃない」
「ううん、殺されたの。―――夢でサム・ブレイディに出会った学生たちは、みんな、殺されたの。お腹を中から突き破られるっていう、ありえない殺され方でね」
―――亜紀の話はそれからもまだ続いたが、どれも非現実的すぎて恐ろしいものばかりだった。
ただ、それが原因で亜紀の海外留学は半年の予定が三か月にまで短縮してしまったのである。
(まったく、酷い話だよね。亜紀もとんだとばっちりだ)
ルームメイトの不幸を思うと可哀想になる。
訪米前の楽しそうな亜紀を覚えているからなおさらだ。
楽しみにしていた留学が無残な事件のせいで短縮してしまったというのは同情に値する。
「ついてないよね、亜紀は……」
さすがにそろそろアルコールが回ってきて瞼が重くなってきたころ、隣のベッドで寝ているルームメイトが苦しそうな呻きをたてはじめた。
「……ううう」
「どうしたの、亜紀? 飲み過ぎ? 大丈夫?」
だが、亜紀はどんなに揺すっても目を覚ます様子はない。
それどころか、呻きはさらに強くなり苦しそうに息遣いが荒くなっていく。
汗は額だけでなく、パジャマをまるで濡れ雑巾のように湿らせていった。
手で押さえつけてもガクガク震えるのを止めることさえできないのだ。
「亜紀、亜紀!」
しかし、亜紀は絶対に目を覚まさない。
荒く息をする唇から一言だけ漏れた。
「―――やめて、サム・ブレイディ!! あたしは関係ない!!」
その瞬間、
「いやあああああああああああああああああああああああああああああ!!」
亜紀の断末魔の叫びと共に、その腹部が信じられない隆起を見せて持ち上がり、膨大な血飛沫と共に破裂したのだ。
そして、久子は目撃した。
亜紀の小柄な胴体から飛び出てきたのは、鋭い凶器のような爪を伸ばした男の左腕であった。
女の胎内の血に塗れた腕の持ち主は、手首から先だけでなく、二の腕、肩まで出てきて、最後は頭まで妖々と現われた。
どうやって出てくるのか、どこに隠れていたのか、そんなことは無意味だとばかりに堂々と出現してきた。
『―――Uhm
狂気しか感じられぬ登場をした男は久子にもわかる英語でそう呟いたのであった……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます