第345話「きょーでー出陣する」
問題のビルは、吉祥寺駅の北口(井の頭公園のある反対側)に降りて歩いてすぐのところにあった。
なんだか知らないけれど、白い壁面の瀟洒な六階建てのビルだった。
入口はロビーがあるほどではないけれど、それなりに広さがとってあって、待ち合わせや歓談ができるようにソファーとテーブルが置いてあり、それぞれ区切られている。
受付には、二人の制服を着た女性がいて、まるでホテルのようだった。
ガラス越しにその様子を見て、
「このビルみたいですよ」
「マジかよ。もうちょっと安っぽいとこだと思ってたわ」
その気持ちはわからなくない。
このビルが大通りに立っていたらともかく、ここは裏路地を使うような、あまり景観がよいとはいえない場所だからだ。
すぐすこに飲み屋やカプセルホテルがあって、規模は小さいとはいえこんな立派で豪勢なものがあってよさそうな立地ではなかった。
だから、ここに来るまでの間に、名前倒しの雑居ビルを想定していたというのに、予想外だったのである。
「……看板とかでてませんね」
「自社ビルっぽいな。なんだか気後れして来たぞ」
「七條さん、東大出なんですから普通ならもっと立派な会社に行けたでしょうに。こんなに気後れしてどうするんですか」
「俺は大企業にも高級官僚にも興味はないんだ。もっと自分らしく生きていきたい」
「さいですか。でしたら、どこでもいいから就職したいとか言わないでください」
「それはそれ、これはこれだ」
うん、やっぱりダメな人だ。
人生のピークが大学受験で終わっているのだろう。
そういえば大学在学中も彼女ができなかったと零していたけど、まあ僕が女子大生でも七條さんはお断りかな。
一言でいうと縁起が悪そうだし。
「とりあえず、時間になる前に面接会場についておくのは大事です。いいですか、急いで準備したので背広とか多少ヨレてますけど、それを弾き飛ばすような知性の煌めきを面接官に見せるようにするんですよ」
「まかせろ。俺はこう見えても東大出だ」
「七條さん、聞かれない限り、こっちから東大出という言葉を使うのは禁止です。いいですか、絶対に自分から東大関係の話題を振ってはいけませんよ」
すると、七條さんはものすごい不思議そうな顔をして、
「どうしてだよ。自分のアピールポイントを強く主張しろと就活セミナーでは言っていたぞ。その方が好印象だからって。ということは、俺の一番のアピールは東大法学部をいい成績で卒業したということじゃないのか」
というので、僕は脳天がヒリヒリするのを感じながらも返した。
ちなみに卒業時に主席とか次席とか、創作物のキャラクター設定のようないい成績ではなくて、どうも中の中ぐらいの成績だったのが七條さんらしい。
彼のいういい成績ってのは、つまり留年とかをしないですんだことだったり、ABCDの評価があったとしたら、Bばかりで過ごしたという程度のことだ。
可が山のようで、優が三つしかない加山雄三の芸名よりはマシというぐらいのことであろう。
まったく褒められたものではないけれど、東大法学部に入ったというだけでお釣りはくるのだろうし良しとしておくか。
しかし、こっちの意図を汲んでくれないというのは面倒なことだ。
「いいですか。一般の中小企業なんかに、俺は東大出だ!なんて自己アピールしていたらドン引きものですよ。普通は、募集しても応募なんてしてこないものですから」
「俺はするぞ」
「あなたは例外。でも、例外を一般論にまとめ上げるのは問題でしょ? ですから、七條さんはあっちが喰いつかない限り学歴をひけらかしちゃあダメですよ」
「―――面倒くさいな」
あんた、それだから書類選考で弾かれまくって、わずかに掴んだ面接のチャンスも棒に振ってきたんだよ。
ああ、ダメだ。
ツッコンんじゃいけない。
この手の人はおだてて褒めまくって心の隙を突かなくちゃ。
「でも、そこさえクリアすれば七條さんの有能さならばなんとでもなりますから。―――有能だけど馬鹿な人って結構いるけど」
「なんかいったか」
「いや、なにも。とにかく、いいですね。東大出はNGワードですから」
「わかったよ。まったく、升麻くんはうちのお袋よりもしっかりしているな」
うーん、無職の高学歴の三十男を家に置いてくれているお母さんて素晴らしい人だと思いますよ。
僕がそんなことをしたら、まず涼花に蹴っ飛ばされて、次に母親がエアガンで撃ってくるからね。
「わかった。とりあえず行ってくる」
「あ、ネクタイ曲がってます」
前から七條さんのだらしない首周りを直してあげて、身なりを整えさせる。
胡散臭い企業でももしきちんと就職ができればそれに越したことはないだろう。
まったく神にでも祈りたい気分だった。
「頑張ってくださいよ。僕は外で待ってますから」
「面接会場まで来てくれないのか?」
「学生服が付き添いで来るのは変ですってば」
なんで捨てられた子犬みたいな顔をしているのか。
肝心なところでメンタルが弱い人だな。
でも、ここで下手に親心を出すと高確率で失敗するであろうから、心を鬼にして僕はその場を離れる。
しばらくは僕の背中を目で追っていたようだが、ついてきてくれないとわかると意を決したのか、ようやく七條さんはビルの中へと入っていった。
やる気はありそうだ。
まともな面接ならばなんとかなるかもしれない。
だが、僕はきっとまともではないだろうと睨んでいた。
何故なら―――
「何してるの、分福茶釜?」
七條さんが入っていったビルを見渡せるところにある路地裏の、エアコンの室外機の裏に隠れている一匹のタヌキに声をかけた。
びくりと固まって硬直した。
首だけが動いているが、肉体は完全に固まってしまっている。
腰を抜かしてしまっているのかもしれない。
よく道端でタヌキが轢かれていることがあるのだけど、この野生動物の癖に腰を抜かす習性だけでなくて、その爪の形のせいだとも言われている。
タヌキは車にびっくりしてスタートダッシュかまそうとする際、隠していた爪をにょっと出するのだけれど、これがアスファルトに食い込みすぎて、身動き取れずに棒立ちのまま轢かれてしまうだそうだ。
逆に地面が土なら、無事に逃げられるらしいが、まあいかにもどんくさいタヌキの話である。
『な、なんでわかった!?』
「なんでって……」
江戸の妖狸族らしい幻の術(確か、幻法っていったっけ?)を使って、自分の姿を小さくして隠れていたつもりなのだろうが、僕にははみ出した尻尾が見えていたのだ。
一般人ならば、外は暗いし、なんだかわからないものでしかないだろうが、僕は経験上その手のものは見過ごさなくなっていた。
むしろ、そのぐらいでないと、退魔巫女の妖怪退治には付き合えない。
驚いて硬直しているのはタヌキの癖だ。
ちなみにこのタヌキは、いつもの茶釜を被っていないが、名前を〈三代目分福茶釜〉といい、僕とは時折LINEで連絡を取り合う仲である。
いつのまにかタヌキと友達付き合いをする羽目になっているのがとても哀しい。
『ワシの完璧な隠形の法を見破るとは、さすがは
「僕はタヌキの兄弟を持ったつもりはないよ」
『いやいや、巫女の姐御たちでさえ一目置く
「だから、タヌキと契った記憶はないって。盃を交換したこともね」
『いやいや、タヌキの
……話がデカくなっている。
ちなみに〈五代目隠神刑部〉とは、〈のた坊主〉事件のときに知り合ったのだけれど、兄弟の盃を交した覚えはない。
清水の次郎長みたいな渡世のヤクザじゃないんだから……
しかし、今でもまだ東京にいるはずだけど、元気にしているだろうか。
確か、土佐弁で喋る〈三代目金長狸〉とともに長引くハクビシンとの抗争に精を出していると聞いている。
「で、君はどうしてあのビルを見張っていたのさ。教えてよ」
『それはこっちの台詞だぜ、兄弟。あんたがノコノコやってきたときには肝を冷やしたもんだ。だが、あそこに入らんでいてくれて助かった』
「どういう意味だい? それだと、あそこはとてつもなく危険な場所のように聞こえるけど……」
〈三代目分福茶釜〉は肩をすくめ、
『ふー、何も知らずに入ろうとしていたのかよ。これだから、妖魅の臭いに鈍感な人間は困るぜ。どんくさいったらありゃしない』
人間よりもさらにドンくさい生き物に言われたくはないな。
僕は君らのお仲間が、前に民家の外壁フェンスを越えようとよじ登ってるを見かけたけど……
→目と目が合い3秒ほど硬直
→慌ててフェンスを乗り越えようとしてずり落ちる
→迂回して駐車場から民家の庭へ逃亡
っていう醜態を晒しているところを覚えているぞ。
なんというか、タヌキは臆病なところがあるくせ微妙に人間を舐めてるからそんなことになるんだよ。
「まあ、ちょうどよかった。キミらが警戒しているということは、あそこは妖魅的に危ないということなんだね」
『そうだぜ』
「だったら、教えてくれ。今、僕の友達があの中に入っていった。彼を救い出さなくちゃならない。手を貸してくれ」
すると、〈三代目分福茶釜〉はニタリと笑い、
『なんでもしてくれるなら、手助けしてやるぜ、
と、腹黒いことを言いやがった。
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