―第45試合 インベーダー秘宝街―

第343話「高学歴は腐り物である」



 郵便局を出た直後、七條悟郎しちじょうごろうは自分がとんでもないミスを犯したことに気が付いた。


「あ、性別の欄に丸つけるの忘れてた! 配偶者欄にも! 書類不備だ! ―――うわー、こんなのだから書類選考で弾かれるんだよな……」


 七條はハローワークから紹介された先に、大量に履歴書を送るためにパソコンで作成しているため、こういうつまらないミスをよくする。

 ルーチンワークと化しているからというのもあるが、もともと粗忽ものなのだ。


「せめて面接まではいってくれ……」


 祈るような気持ちで、郵便局に後ろ髪を引かれながら七條は歩き出す。

 すでに半年以上、就職活動をしているのだが、まったくもって結果が出ていない。

 いくらなんでもこの外れ方はないだろうと思わなくもない

 七條は世の中に対しての恨み節で満ちていた。

 もっとも、彼以外のものからすれば、「もう少しガンバレ」程度の努力しかしていないのではあるが。


「運が悪いだけじゃないか……。俺はコミュ症だからな」


 コミュ症―――いわゆるコミュニケーションが病的に下手な人間のことであるが、七條は自分がそういうものだと思い込んでいた。

 だから、三十過ぎてはじめた就職活動がまったくうまくいかないのだと信じていた。

 実のところ、問題はそこにはなかったのであるが。


「はー、親には文句言われるし、友達は出世しているし、世の中はろくなことがない。あああ、すべてが嫌だ」


 ため息をつくと幸せが逃げるというが、今の七條は不幸そのものなのでいくらやっても構わない。


「うちに帰って、まとめサイトでも見よう」


 100パーセント後ろ向きな予定をたてて、七條は駅前から家の方に歩き出す。

 実家暮らしなので、家賃を払う必要がなく、そのことがさらに七條の就職活動を杜撰なものにしているのだが、そういう苦労はしたくないと逃げ出すぐらいだらしない男であった。

 とぼとぼと道を歩いていると、


「七條さん」


 後ろから声を掛けられた。

 平日の昼間から住宅街をうろちょろしている三十男に話しかけるとは、なんて勇気のある男であろうか。

 もしくは警察だろう。

 お巡りさん、あの人ですみたいな通報があったとしたら理解できる。

 少なくとも今の七條は負のオーラをまとった怪しい人物に違いはないのだから。


「……なんだ、升麻くんか」


 身構えて振り向くと、見知った顔が立っていた。

 学生服を着て、通学カバンを背負っている。

 首に白いマフラーを二重巻きにしているところはかなり子供っぽい。

 近所に住む高校生で、たまに派遣のアルバイトで一緒に働いている相手だった。

 升麻京一。

 七條にとっては最近では親しいといっていい間柄の少年である。

 昔は細っこくて痩せっぽちだったが、ここ一年ほどで筋肉がついて逞しい感じに育っていた。

 普段は若いというだけで嫉妬心が溢れてくるのだが、さすがの七條もこの少年相手にだけはわりと気負わず会話ができる。


「今日も派遣ですか」

「いや。……履歴書を出しに行ったんだよ。そろそろ、きちんとした会社に行きたい。もう肉体労働は懲り懲りだ。派遣の連中に色々と言われるのももう嫌だ」

「それは七條さんが、東大出身ということをバラしてしまったからですよ。いくらなんでも赤門出のエリートが倉庫で働いているなんて思わないですからね」

「いや、東大でたなんて一言も言っていないぞ」

「今の東大学長がどうとかよく口走るからバレるんです。自重しておけばいいのに。悪目立ちしちゃったんですよ」


 七條は東京大学の法学部出身だった。

 だから、エリートである。

 インテリでもある。

 だが、学業以外には根気がなく、人間関係の構築も杜撰で、社会に出る段階で派手に蹴躓いたのであった。

 そうすると、世間は高学歴に対して冷たい。

 本人が持ち腐れるままに放置していたとしても、世間様はそんなところを見逃してくれず、だいたい好奇の眼差しでみて皮肉を言ってくる。

 七條は無駄にプライドが高いのでそれでさらに閉じこもることになる。

 そうこうしているうちに、就職もできず、大学の同期がいい感じに出世していくのを横目で見ながら、その日暮らしを続ける羽目になっていった。


「升麻くんみたいに空気を読んで無視してくれればいいのに」

「いや、一般人からすると東大生なんて珍獣は滅多にお目にかかりませんからね。ジロジロ見たくなるというものですよ」

「やめてくれ…… 俺はのんびりとしていたい。むしろチヤホヤしてほしい」

「すぐに本音を口にするのはやめましょうね。大人なんですから」


 升麻はこの手の変人の相手に慣れているので、七條を無駄に傷つけないところがよかった。

 最低限の気を遣ってくれるところが七條的にも居心地のいい相手だった。


「どうだい、お茶でも飲まないか」

「お金あるんですか? 貯金とかしなくていいんですか?」

「升麻くんまでお袋みたいなこというなよ。大丈夫だ、これも明日の活力のためだし、情報交換は必要なんだと思うぞ」

「いいですけど……」


 駅まで引き返して、ファストフード店にでも行こうかと思っていると、七條のポケットにしまっておいたガラケーが鳴りだした。

 着信だ。

 どうせ派遣会社だろう、と期待もせずに画面を見ると、登録していない知らない番号であった。

 おそるおそる耳に当てる。


「もしもし、七條でございますが」 

『七條様でいらっしゃいますか? こちら、フラン・コーポレーションの人材採用係の関口と申します』


 七條の脳みそがフラン・コーポレーションを検索し、数週間前に履歴書を送った記憶が出てきた。

 そういえば電話も郵便での連絡もなかった。

 無視されたのだと思っていたのだが、実は審査が続いていたのか。

 ここで七條はまずい事実も思い出した。

 フラン・コーポレーションがなんの会社だったか覚えていないのだ。

 適当に送りまくった履歴書と職務経歴書のせいで、一つ一つのことを把握できていないのだ。

 そういえばハローワークの窓口係には自分のキャパシティを越えた応募はやめたほうがいいと言われていたのにもかかわらず、「俺は東大出で記憶力もいいし百ぐらいは余裕余裕」となめてかかっていたせいで覚えていなかったようだ。

 でなければ、いくらなんでも職種ぐらいは覚えているだろう。


「お世話になっております。貴社に応募した件でございましょうか」

『はい。七條様のご都合がよろしければ面接を執り行いたいのですが』

「あ、ありがとうございます! いつでも大丈夫です! 私は貴社に採用されることを心待ちにして……」

『では、本日、午後六時からということでよろしいでしょうか。急な話でとても申し訳ないと』

「き、今日!?」

『はい。こちらの一方的な事情で申し訳ありませんが、急なことでありますが、是非本日中に面接を行いたいのです。七條様のご都合はよろしいでしょうか? 本日が無理ということならば、この件はなしということにするしかないのでございますが……』


 七條はこれが駆け引きの類いであることに気づいていた。

 契約関係があればパワハラに踏み込んでいるといってもいい。

 当日に面接をして、しかも冬の六時といえば完全に暗くなっている。

 とてもではないが、通常の面接としてありえる時間帯ではなかった。

 しかし、就職に飢えていた七條はそれらのリスクをすべて呑み込んだうえで、


「わかりました。面接場所を教えていただけますか」

『場所は―――』


 吉祥寺の駅前のビルを指定された。

 場所としては簡単なところであった。

 アポをとりつけると、フラン・コーポレーションの人事担当は電話を切った。

 午後六時まではあと三時間ほど。

 いくらなんでも早すぎる気はするが、とにかく面接にでればうまくいけば就職できるし、文句の多い母親にも言い訳ができる。

 七條としては行くしかない、というところであった。

 ただ問題が一つある。


「良かったですね」


 升麻京一が会話の内容から読み取ったのか、応援してくれる。

 頭の回転の速い子は呑み込みも速い。


「ありがとう。応援されついでに頼みがある」

「なんですか」

「ついてきてくれ!!」

「―――はあ?」


 予想通りの反応がされたが、七條としてはここは絶対にひけないところだ。


「俺一人では心細い。面接までは何回もいってきたが、夜中にやるなんて初めてだ。とてもじゃないが一人では心細い。一緒にきてくれ! 一生のお願いだ」

「七條さん、三十一歳でしょ? そんなの一人で行ってください」

「頼む、そんなことを言わずに。友達だろ!?」


 いつ友達になったんだ、と京一は思ったが、もともとお人好しの彼としては必死に頭をさげられては押し切られるしかない。

 コミュ症といいながら、京一に対してはやたらとグイグイくる一回りも年上に苦手意識を感じながら、了承のうなずきを返した。


「さすがは升麻くんだ。君は大物になるぞ!」


(順風満帆のレールから疾風の勢いで外れていった元エリートに言われてもなあ)


 相変わらず、空気を読んでツッコミを自重することのできる升麻京一であった……


 

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